・
今残る花の原型は一つもない。
思い出となる花は萎れて、枯れてゴミになる。
桜がそれじゃないか。
咲いて散って、散ったのはやがて僕らが踏む。
今日は学校を休むことにした。
過去の自分を思い出すと、無駄な想いが募るばかりで良いとは思えない。それが、やがて力となることも考えるのは難しい。
君を一番見ていたかった。
そんなことを今更自室のベッドの上での転がりながら、耽っていても何も変わらない。
でも、変えられない。
大輝らとは違う高校になった。
彼らはそれぞれの目標のために工業高校、商業高校。高専とかいろんな進路へ各々が進んでいく。
遅れているのは僕なのかもしれない。
僕の高校は進学校で夢や目標はまだない。
この大学に行ってこんな職業に就きたい、と思える心に自分はまだ巡り会えないのだ。
せっかくの命を無駄にする高校三年生。
僕は今年受験生なのに行きたい高校が見つからない。
夢も目標も、耐えられない精神がそれを追い込む。
孤独を覚えると「死にたい……」と何度も心で叫んだことがある。
周りには聞こえないさ。だけど、それは身体中に響くから、己の肉体や心をただただ蝕むのだ。
けど、そうだよな。
「死にたいなんて思っちゃダメだ」
ベッドから思いっきり体を起こして、勉強机に向かう。
死にたいって思うなら、それに相当する頑張りを体に染み込ませないといけない。けど、僕はそれをしたか?
いや、していない。だから、こうも簡単に言っている。
余命はもう過ぎている。
それでも僕は生きた、みたいなことはない。
生きたかった。
その気持ちを心に大切にしまっていた。
だから、今の命があるんだろう。
俺は余命わずかの日に、心臓を捧げられた幸せなやつなんだから。
紙の上のシャープペンシルがみるみる進んでいく。滑らかに、ノートの上で踊って次の紙へと移る。
何か行動を。
そう思えば、勉強をせずにはいられない気持ちがただただ強くなるばかりで、僕のても頭も止まることを知らない。
次の問題を楽しみ待つ、数分間前の自分には考えられない僕が今ここにいた。
ただ、これだけ言わせるとするならば目標がない。
行きたい大学もなければ今ここで勉強する意味もない。
"やりたいこととはなんだ?"
"僕が楽しいもの"
ノートの空白に思い切って書いてみようと思った。
だけど、さっぱりだ。
しばらく、勉強は捗ったけど結局はそれを最後にベッドに戻る羽目になった。
いつ目覚めるかわからない。
僕は昼寝をすることにした。
*
「目標ないの?」
ここは懐かしい。慣れない夜だったからここが一瞬でどこだかわからなかったが、放課後のあの公園で間違えなさそうだ。
「見つからない。何が楽しいのかも、何を俺がしたいのかも」
「それは困った。私が解決してあげよう」
「解決ってどうやってだよ」
「そうだねー」
腕を組んで、悩む香澄だが、なんだか楽しそうな顔をしている。
「確かに、渉の好きなことって何かあったっけ?」
「香澄でもわからないんならもうダメだなこれ」
「ちょっと待て」となだめる。
小さい頃からずっと一緒にいた香澄なら何か僕を誘い出すと少しは期待した。
「教員とかは? 頭良いんだし、なれるよきっと」
「それなら医療系とかに進んでるはずだよ」
「あー、確かにーって自分のことはしっかりわかってるじゃん。なーんだ安心したー」
「違うんだ」
僕は言う。否定だ。せっかくの提案も相談もただただ時間の無駄だったかのような、どうでもいいと相手を懲らしめる態度が体から滲み出ている。
「頭が良いからこれ。そんな決まりきった道を辿り続けるのは苦しいんだ。それが僕にどういう風に返ってくるのか想像したか?」
香澄は首を横に振る。
無理もない。人の人生だ。例え、それが好きな人の悩みとしてもそれに体を全て捧げるほどの想いはない。
「なんかごめん。そこまで、真剣に悩んでたなんて……」
「いや気にしないで。これは僕自身の問題だし、香澄が僕を庇う理由も特にないから。八つ当たりみたいになっちゃった」
「それぐらい、困ってるんだ」
「まーな」
ただただ敷かれたレールに乗っかって進んでいくのも悪くはない。
だけど、確信したんだ。「死にたい……」と思ったあのとき、僕に命をくれた人は、どんな決断を下して、どんな思いが生まれてそれを決めたのか。
僕は知らなかったんだ。
中学三年生。
手術はそのときに行われ、僕は心臓移植により無事生きている。
受け継がれた思いをドブに捨てるところだった。
「無駄にしたくないんだよ。狭い世界しか見ていないけど、同年代の中でこんな思いを背負っているのは僕だけだ」
「わかってるよ」
「母さんにさ、教えてもらったんだ。僕に命をくれた人がどんな思いで経緯でそれを決めたのか。僕はそれらを満たしている人間ではなかった」
ああそうだ。悔しくて握る拳に力が入る。
「自分は自分じゃない。まさか、渉ってそんなこと思ったことない?」
香澄のいきなりの発言に首を傾ける。
「どういうことだ?」
「今ある人生は自分のためじゃなくて、今胸の込めている人のものなんだって。だから、自分がどうのこうのって決めて良いわけじゃない」
「僕の行動は、自分のためではない?」
「そういうこと。傷付けたくないんだよ。優しいよ、渉は。タンポポの件からここまで成長するとは」
皮肉にも聞こえたその言葉は、心に溶け込む。
「どんな子だったの? そういう夢の見つけ方も悪くはないと思うよ」
母さんの言葉を思い出す。
でもダメだ。
「───でも、やっぱり良いかな別に。教師ってのも悪くはなさそうだし」
「え! なんでよ。早すぎない?」
「思い出したくないんだよ、あのことを。元の心が一番傷んだときだし、そんな思いをここにもさせたくない」
胸の奥にあるそれを静かに撫で下ろす。
「まさか、あのことを言ってるんじゃないよね?」
「そうだよ。その通りだ。ただただ不安の途切れない日々をどうにか抗って、耐え抜こうとした無理した毎日だ」
夢なのに、風が吹く。
夢なのに、泣いてしまう。
この心臓になって、だいぶ感情的になった僕。
条件が揃ったみたいだった。
だから、嫌な思い出もフラッシュバックするみたいに流れてしまう。
そして、傷んだ日々をまた見てしまう。
・
中学三年生も終わりに近づいた頃、俺も終わりに近づいていた。
この頃、入院生活が長らく続いて、点滴に打たれる日々を送る。
それは、今年の体育祭。
この日にこれからのきっかけを招いた。
『体育祭もそろそろ終わりに近づき、残す種目は三年生の全員リレーです!』
三年生は全員出場で、毎年の体育祭を締める伝統ある種目がこの全員リレーである。
気合いを入れるがために円陣を俺らは今とっている。
「いいか? 俺ら赤団は決して早くない。だけど、バトンパスの練習は忘れるな。体育の時間、暇があれば見直したはずだ」
団長は語る。
確かにこのクラスには文化部の吹奏楽部やら美術部の生徒が多くて、足もそこまで早くない。
俺もそのメンバーの一人だ。
「じゃあ、何でミスをしないか。基礎をしっかりやろう。だから、バトンパスなんだ。必死に物事にひたむきになるのは恥ずかしい。俺もわかるよ。だけど、人間いつしかそれをやらなきゃいけないんだ。ときには誰かのために、ときには自分のために」
みんなの顔は真剣だ。
負けられない。これが最後なんだ。
そんなきらめきを放っている。
「今はそれらが全て掛かっている。自分の最高の走りをするために、誰かの最高の走りをサポートするために。手は抜かない。だけど、これは徹底しよう」
団長は円陣の中央に進む。
そして、作った拳を高く青空に突き上げた。
「悔いのないよう楽しむぞ!」
「おー!」
大輝らの顔が見えた。
明るくて、きらめいて、輝いて。
最高にかっこいい。
俺も彼らみたいになれるだろうか。
なぜ、疑問形なのだ。
俺は俺を訴える。おかしい、全てがおかしい。
意志があるからこそ、喉の奥からこんな声が出たんだ。
みんなで集めた、あの声は偽物なんかじゃない。
気合いが自信へと変わるときだ。
俺は、自分の立ち位置へ力強い一歩を踏み出した。
『おっと白団! ここで、バトンを落としたー!』
「チャンスだ! 相手の油断出たぞ!」
俺らは積み上げた努力の結晶を無駄になんかしない。だから、今チームはトップだ。
赤、白、青、黄。
これらが、今年の団であり、最初の方から今のリレーの順位。
俺の属する赤団は首位だ!
「おい、渉! 次だぞ次!」
後ろにいる晋が指摘した。
気がつけば目の前にいた人はすでにバトンを受け取り、走り始めていた。
「大丈夫。差もあるし、渉の次は大輝だ。大輝は足が速いから繋げば良い。抜かされたとしても、きっと元に戻してくれる。だから───」
晋は拳を作って俺の胸に置く。
「精一杯走ってこい!」
向こうでは俺の前の走者が走り始めていた。
俺の番だ。
手を後ろに出し、構える。
来る!
バトンの重みは今まで持ったバトンの中でも一番重かった。
意外とすぐだ。
気づけばコースの半分まですでに駆けている。
差もさっきまでと変わっていない。
余裕だ。
あと少し、大輝にまで繋げば良い。
運動場は今、全校生徒の視線と応援に包まれて騒がしい。
小さい役割だ。
もう少し。
目の前に大輝を捉えた。手を伸ばせば、バトンを渡せる。
真っ直ぐ腕を伸ばした。
届け!
距離が少しあった。腕を伸ばしただけじゃ届かない。それもそのはずで、大輝も同時に走るのと同時に大輝の方が少し速い。
背中が前に倒れて、届いたから良かった。
周りの応援での騒音が忽然として音をなくした。代わりに胸から嫌な音がする。それは、張り裂けそうなくらいに胸の中で暴れていて、俺の胸ごと張り裂けそう。
痛い。
そう思った頃には、息もままならく出来なくて走った後にも関わらず酸素を吸えない。
死ぬんだ───。
目が閉じ始めたときに思ってしまった。
真っ暗な視界。
ポツンと現れたのは白い光で、周りを照らさない。
白い光は小さな点だ。
でも、ずっと見ていると横に細い形で伸びていき、やがては全て開いた。
足が重くて、完全と戻らない頭は足を眺める。
重いのも仕方なくて、母さんがその場に突っ伏していた。
「……ん……さん……母さん……」
何度か呼んだところで母さんは俺のことに気づいて、目を丸くした。
「渉! 渉起きたのかい?」
「起きたよ……」
あの体育祭だ。
バトンを渡した直後に俺は突然倒れて、気を失った。
そこから、すぐに救急車に運ばれて病院へ連れられて今ここにいる。
「体育祭から二日も気を失ってたのよ。心配させるんじゃないわよ。倒れたと聞いて、どれだけ心配だったか」
まあまあ、日が過ぎていた。
母さんは、俺に抱きついて涙を流す。
普通はそれを突き放すけど、ある覚悟があった。
今この場では一つも交わされていないけれど、あの倒れたときに感じた体の限界は痛みとなって俺を叩いた。
母さんに抱かれる最後のときなのかもしれないと思うとき、それを忘れないように体全体に染み込ます。
こんな強さで肌がどれだけ母さんの腕で凹んだか、そのときに見た光景はどんなだったか、頭に出てきた言葉は何かとか。
「医師はなんだって?」
あれもこれもその一言が実権を握ることを俺は忘れたことがない。
「───」
母さんは黙る。これの方が、どんな回答よりもわかりやすかった。
「ありがとう。で、どれくらいなん?」
「言いたくない……」
母さんは拒み続けた。
こんなやりとりが今から何十回も続いた。けれど、聞けることはなかった。
時間が進んで夜になり、母さんは病室を後にする。
「それじゃあ、帰るから。元気にしててね」
「うん。また、明日」
規則となる時間ギリギリまでいてくれた。
まずは、そのことに感謝する。
俺が生まれてきたときから、嫌もなく育て続けた。ときには怒って、喧嘩して。でも、それで人生がめちゃくちゃになったことはない。
良い人生を歩んでほしい。
実際にそれは言ったことはないが、育ててもらってきて、そんなメッセージを送られている気がする。
心は申し訳ない気持ちで充満する。
良い人生。
俺はもういい。
だって、こんなとこまで生きられた。
何もかも母さんのおかげだ。
そんな気持ちがあるから、母さんがもし後悔とか言い出したらただじゃおかないんだ。
言ってやりたい。
ここまでありがとうと……。
寝る前に水を飲もうと、テーブルへと目をやる。
薬とペットボトルの水、そしてコップが置かれている。
コップの下に白い手紙が敷かれていた。
それをどかして、手に取ってみる。
やはり、それは手紙で日中の時間帯から母さんしか病室を出入りしていないから、差出人は把握した。
そのときの記憶も蘇る。
口では言わなかった。
でも、おかしい。母さんはずっと病室で俺と一緒にいた。
昨日書いたのかもしれない。
わかっていたからだ。
母さんは自分の口で決して言えるはずがないことを悟って事前に手紙で伝えようと決めていたに違いない。
自分の今後。
過去にそれが恐怖だと感じたのは自分が病気だと知らされたあのとき以来だ。
手紙の封を剥がして、中を開く。
紙が一枚。
ただ、それだけだ。
"渉へ"
その一言だけで、目が溺れるみたいになってしまうんだ。文字を作る一画の線が二つ、三つに見えて書いてある文字と違う文字に見えてしまう。
私は今ある現実を受け入れたくない。これが本当なのだとしたら、過ちはきっと私なんだと。私のせいで、息子に迷惑をかけてしまうなんて申し訳ない。
倒れた原因は、渉もわかっているはず。走っているときに呼吸困難を起こして、体が耐えられなかったと医師から聞かされました。無理をしていたなんて思いません。体育祭を最後まで楽しんだ若き誇りです。やり遂げた自分を誇らしげに思ってほしい。それが私からの願いです。
ここで、なんですがいつもの医師とは口調が違いました。限られた余命を宣告された。一年も渉の命は持たないみたいです。私はこれを聞かされてもまだまだ現実を受け止めきれていません。なのに、第一に頭に浮かんできたことが渉の顔です。ただの言い訳に現実逃避を試みているのだと思います。きっと体は知っているんです。
ただ、助かる道は唯一残されています。医師が言うに残された道は心臓移植だそうです。ドナーといって、他の人から心臓を貰えば助かるみたいです。
もし、ドナーが見つからなかった場合、私が申請しようと思いましたが、生きている人からの心臓移植はどうやら出来ないみたいです。
脳死状態の患者から頂く。そう言われました。
これが渉の現状のようです。私は渉のために何かをしてあげたい。食べたいものとかがあれば遠慮せずに言ってください。
少しでも幸せな人生を。
母さんより
全部読んで気づいた。紙のところどころに水滴が落ちて乾いた跡がある。
母さんはどんな気持ちで、どんな姿でこれを書いたのだろう。意識を失って、見たことはないが俺にはわかった。
病室には窓があった。
今日は満月で夜でもだいぶ明るいし、月の光が窓に入ってくる。
「残りの人生、笑っていきたいです」
誰にも聞かれない俺の独り言。
これは立派な弱音だ。
今すぐにでも夜の暗闇へと溶け込んでしまってほしい。
「ここにあったの、読んでくれた?」
「読んだよ。大丈夫、怖くもなんともない」
母さんは無口だ。でも、それはなんとなくわかる。
香澄の足がなかったときのことを知って俺はろくに言葉をかけれなかった。俺の前ではいつもの母さんでいてほしい。
「本当、大丈夫だって。無口の方が怖いからさ、なんか喋ってよ」
少しは話してくれるようになった。
話題はほとんど俺の話で、大輝らのことについて話している。
「大輝ってすごい頼れるやつなんだ」
「茂咲って花に詳しいんだよ、男子のくせに」
「晋は歴史が好きでいろんなことを教えてくれる。学校の授業では習わないことだってわかってるんだ」
「拓はこの中で一番に頭が良いんだ。一歩俺より及ばないけど」
日頃、友達といえば香澄で、学校のことといえば香澄だった。
他に新しく友達ができた。
そんな些細なことがどれだけ嬉しかったのだろう。
今日、やっと笑った顔を見せてくれた。
「それでこそ母さんだよ」
それを聞いて、少し戸惑う表情を見せつつも意味を理解したようだった。
「確かに。私は最近笑えていなかったかもね。渉のことを聞いて、心に余裕がなかった。母親失格なのかもしれない」
母さんのことをあまり見ていないんだなとこのとき思った。さっきの笑った顔とさっきの言ったこと。
俺の病気に散々付き合わせてしまったみたいだ。そして、それに責任を感じてしまい笑うことも忘れて。
だけど、一つ訂正だ。
「母親失格は違うよ」
それは、絶対に違う。この荒れ果てている心臓だがそれを賭けてもいい。
「それだけはできるなら取り消してほしい。父さんが早くして亡くなって、でも俺はここまでに大きくなって成長した。母さんのおかげだよ」
そうなのだ。
女手一つでこんなやつになってしまった。
言いたいことを言って、好きな人とも付き合えて。そして、新しい友達だって出来た。
「だから、母親失格は取り消そう。誇れる母親になれてるんだから」
この約十五年。
経ってしまえば、なんともないがいろいろな初めてがあって怖かっただろう。けど、俺がいるってことはそれを克服して、乗り切って、何事にも打ち勝ったって証拠だ。
「渉に、そんなふうに思われていたなんて。渉の母親でいられてよかったわ」
また、抱いてきた。
昨日のが最後じゃなかったみたいで、なんか嬉しい。
そして、最後なんてまだまだだと思うことができる自分も生まれた。最後にしなくちゃ良いんだ。何回も繰り返せば、最後なんて言葉怖くない。
「医師の言うことがでたらめってことを思い知らせてやるんだ」
強い自分でいよう。
母さんが後悔するのは俺が弱ったときだ。
もうすぐ、死んでしまうのに可哀想な母さんなんて見るのはごめんだ。
数日後に大輝らがお見舞いに来た。
「元気してるかーって、病院にいるんだし元気なわけないか」
先頭に病室に入ってきた大輝が発言した言葉に、自らが笑う。
案の定誰も笑っていなくて、逆に笑えてくる。
「慰めてあげてよ。こいつ、どうしたら渉が元気に笑ってくれるかで、悩んだ末にこれしてるんだから」
「拓、それまじかよ」
「おい拓! それは言うな!」
「言っても良いじゃん別に。減るもんじゃないんだし」
「言ったな。じゃあ、拓のバーカ!」
「おい! それは悪口だろ!」
「良いじゃん! 減るもんじゃないし」
病室はいつも暗いと思うんだ。(そもそも病院が明るいわけがない)
けど、この瞬間の空気は明るかった。
「そういやさ、体育祭どうなったの?」
みんなは集まる。
こそこそと小さく話し合う。
その懐かしい光景で、あの後の出来事とかを踏まえ少し嬉しい。
「聞いて驚くな。せーの!」
みんなは一斉に口を開いた。
『なんと優勝です!』
「え、まじ! すごいじゃん!」
友達のピースサインを前に突き出して満遍の笑顔が微笑ましい。
「そういえばさ、香澄ちゃんいなかった?」
「え、いた?」
「俺も見た! 最後の方にいたよな」
今の俺の耳は間違いなんておかさないと思う。
「最後って、まさか俺が倒れたリレーのときか?」
「そうそう。実はあのとき香澄ちゃんいたんだよ」
「俺は渉はすでに知ってるんかと思ってた」
「あ、俺も俺も!」
香澄が学校に来てくれて嬉しい思いはもちろんある。
けど、俺は倒れたんだ。
ただ、それが命取りに俺をもてあそんでいるいる気がする。
「わからないけど、香澄ちゃんのことだし心配してくれるんじゃないのか?」
「そうだよ。そんなに気負いすることはないよ」
「いや、それじゃないんだ」
キッパリとその場の空気を変えてやった。
「まさか、単純に彼女の前に恥ずかしい姿を見せたとかほざくんじゃないよな?」
「いやいや、大輝。俺より頭の良いやつがそんなこと思うはずが───」
「はい、それです。間違えありません。恥ずかしいです。現に、いつお見舞いに来るのか、来たらなんて話せば良いかと話題の方向転換を行っております」
場の空気は一瞬で凍りついた。
今残る花の原型は一つもない。
思い出となる花は萎れて、枯れてゴミになる。
桜がそれじゃないか。
咲いて散って、散ったのはやがて僕らが踏む。
今日は学校を休むことにした。
過去の自分を思い出すと、無駄な想いが募るばかりで良いとは思えない。それが、やがて力となることも考えるのは難しい。
君を一番見ていたかった。
そんなことを今更自室のベッドの上での転がりながら、耽っていても何も変わらない。
でも、変えられない。
大輝らとは違う高校になった。
彼らはそれぞれの目標のために工業高校、商業高校。高専とかいろんな進路へ各々が進んでいく。
遅れているのは僕なのかもしれない。
僕の高校は進学校で夢や目標はまだない。
この大学に行ってこんな職業に就きたい、と思える心に自分はまだ巡り会えないのだ。
せっかくの命を無駄にする高校三年生。
僕は今年受験生なのに行きたい高校が見つからない。
夢も目標も、耐えられない精神がそれを追い込む。
孤独を覚えると「死にたい……」と何度も心で叫んだことがある。
周りには聞こえないさ。だけど、それは身体中に響くから、己の肉体や心をただただ蝕むのだ。
けど、そうだよな。
「死にたいなんて思っちゃダメだ」
ベッドから思いっきり体を起こして、勉強机に向かう。
死にたいって思うなら、それに相当する頑張りを体に染み込ませないといけない。けど、僕はそれをしたか?
いや、していない。だから、こうも簡単に言っている。
余命はもう過ぎている。
それでも僕は生きた、みたいなことはない。
生きたかった。
その気持ちを心に大切にしまっていた。
だから、今の命があるんだろう。
俺は余命わずかの日に、心臓を捧げられた幸せなやつなんだから。
紙の上のシャープペンシルがみるみる進んでいく。滑らかに、ノートの上で踊って次の紙へと移る。
何か行動を。
そう思えば、勉強をせずにはいられない気持ちがただただ強くなるばかりで、僕のても頭も止まることを知らない。
次の問題を楽しみ待つ、数分間前の自分には考えられない僕が今ここにいた。
ただ、これだけ言わせるとするならば目標がない。
行きたい大学もなければ今ここで勉強する意味もない。
"やりたいこととはなんだ?"
"僕が楽しいもの"
ノートの空白に思い切って書いてみようと思った。
だけど、さっぱりだ。
しばらく、勉強は捗ったけど結局はそれを最後にベッドに戻る羽目になった。
いつ目覚めるかわからない。
僕は昼寝をすることにした。
*
「目標ないの?」
ここは懐かしい。慣れない夜だったからここが一瞬でどこだかわからなかったが、放課後のあの公園で間違えなさそうだ。
「見つからない。何が楽しいのかも、何を俺がしたいのかも」
「それは困った。私が解決してあげよう」
「解決ってどうやってだよ」
「そうだねー」
腕を組んで、悩む香澄だが、なんだか楽しそうな顔をしている。
「確かに、渉の好きなことって何かあったっけ?」
「香澄でもわからないんならもうダメだなこれ」
「ちょっと待て」となだめる。
小さい頃からずっと一緒にいた香澄なら何か僕を誘い出すと少しは期待した。
「教員とかは? 頭良いんだし、なれるよきっと」
「それなら医療系とかに進んでるはずだよ」
「あー、確かにーって自分のことはしっかりわかってるじゃん。なーんだ安心したー」
「違うんだ」
僕は言う。否定だ。せっかくの提案も相談もただただ時間の無駄だったかのような、どうでもいいと相手を懲らしめる態度が体から滲み出ている。
「頭が良いからこれ。そんな決まりきった道を辿り続けるのは苦しいんだ。それが僕にどういう風に返ってくるのか想像したか?」
香澄は首を横に振る。
無理もない。人の人生だ。例え、それが好きな人の悩みとしてもそれに体を全て捧げるほどの想いはない。
「なんかごめん。そこまで、真剣に悩んでたなんて……」
「いや気にしないで。これは僕自身の問題だし、香澄が僕を庇う理由も特にないから。八つ当たりみたいになっちゃった」
「それぐらい、困ってるんだ」
「まーな」
ただただ敷かれたレールに乗っかって進んでいくのも悪くはない。
だけど、確信したんだ。「死にたい……」と思ったあのとき、僕に命をくれた人は、どんな決断を下して、どんな思いが生まれてそれを決めたのか。
僕は知らなかったんだ。
中学三年生。
手術はそのときに行われ、僕は心臓移植により無事生きている。
受け継がれた思いをドブに捨てるところだった。
「無駄にしたくないんだよ。狭い世界しか見ていないけど、同年代の中でこんな思いを背負っているのは僕だけだ」
「わかってるよ」
「母さんにさ、教えてもらったんだ。僕に命をくれた人がどんな思いで経緯でそれを決めたのか。僕はそれらを満たしている人間ではなかった」
ああそうだ。悔しくて握る拳に力が入る。
「自分は自分じゃない。まさか、渉ってそんなこと思ったことない?」
香澄のいきなりの発言に首を傾ける。
「どういうことだ?」
「今ある人生は自分のためじゃなくて、今胸の込めている人のものなんだって。だから、自分がどうのこうのって決めて良いわけじゃない」
「僕の行動は、自分のためではない?」
「そういうこと。傷付けたくないんだよ。優しいよ、渉は。タンポポの件からここまで成長するとは」
皮肉にも聞こえたその言葉は、心に溶け込む。
「どんな子だったの? そういう夢の見つけ方も悪くはないと思うよ」
母さんの言葉を思い出す。
でもダメだ。
「───でも、やっぱり良いかな別に。教師ってのも悪くはなさそうだし」
「え! なんでよ。早すぎない?」
「思い出したくないんだよ、あのことを。元の心が一番傷んだときだし、そんな思いをここにもさせたくない」
胸の奥にあるそれを静かに撫で下ろす。
「まさか、あのことを言ってるんじゃないよね?」
「そうだよ。その通りだ。ただただ不安の途切れない日々をどうにか抗って、耐え抜こうとした無理した毎日だ」
夢なのに、風が吹く。
夢なのに、泣いてしまう。
この心臓になって、だいぶ感情的になった僕。
条件が揃ったみたいだった。
だから、嫌な思い出もフラッシュバックするみたいに流れてしまう。
そして、傷んだ日々をまた見てしまう。
・
中学三年生も終わりに近づいた頃、俺も終わりに近づいていた。
この頃、入院生活が長らく続いて、点滴に打たれる日々を送る。
それは、今年の体育祭。
この日にこれからのきっかけを招いた。
『体育祭もそろそろ終わりに近づき、残す種目は三年生の全員リレーです!』
三年生は全員出場で、毎年の体育祭を締める伝統ある種目がこの全員リレーである。
気合いを入れるがために円陣を俺らは今とっている。
「いいか? 俺ら赤団は決して早くない。だけど、バトンパスの練習は忘れるな。体育の時間、暇があれば見直したはずだ」
団長は語る。
確かにこのクラスには文化部の吹奏楽部やら美術部の生徒が多くて、足もそこまで早くない。
俺もそのメンバーの一人だ。
「じゃあ、何でミスをしないか。基礎をしっかりやろう。だから、バトンパスなんだ。必死に物事にひたむきになるのは恥ずかしい。俺もわかるよ。だけど、人間いつしかそれをやらなきゃいけないんだ。ときには誰かのために、ときには自分のために」
みんなの顔は真剣だ。
負けられない。これが最後なんだ。
そんなきらめきを放っている。
「今はそれらが全て掛かっている。自分の最高の走りをするために、誰かの最高の走りをサポートするために。手は抜かない。だけど、これは徹底しよう」
団長は円陣の中央に進む。
そして、作った拳を高く青空に突き上げた。
「悔いのないよう楽しむぞ!」
「おー!」
大輝らの顔が見えた。
明るくて、きらめいて、輝いて。
最高にかっこいい。
俺も彼らみたいになれるだろうか。
なぜ、疑問形なのだ。
俺は俺を訴える。おかしい、全てがおかしい。
意志があるからこそ、喉の奥からこんな声が出たんだ。
みんなで集めた、あの声は偽物なんかじゃない。
気合いが自信へと変わるときだ。
俺は、自分の立ち位置へ力強い一歩を踏み出した。
『おっと白団! ここで、バトンを落としたー!』
「チャンスだ! 相手の油断出たぞ!」
俺らは積み上げた努力の結晶を無駄になんかしない。だから、今チームはトップだ。
赤、白、青、黄。
これらが、今年の団であり、最初の方から今のリレーの順位。
俺の属する赤団は首位だ!
「おい、渉! 次だぞ次!」
後ろにいる晋が指摘した。
気がつけば目の前にいた人はすでにバトンを受け取り、走り始めていた。
「大丈夫。差もあるし、渉の次は大輝だ。大輝は足が速いから繋げば良い。抜かされたとしても、きっと元に戻してくれる。だから───」
晋は拳を作って俺の胸に置く。
「精一杯走ってこい!」
向こうでは俺の前の走者が走り始めていた。
俺の番だ。
手を後ろに出し、構える。
来る!
バトンの重みは今まで持ったバトンの中でも一番重かった。
意外とすぐだ。
気づけばコースの半分まですでに駆けている。
差もさっきまでと変わっていない。
余裕だ。
あと少し、大輝にまで繋げば良い。
運動場は今、全校生徒の視線と応援に包まれて騒がしい。
小さい役割だ。
もう少し。
目の前に大輝を捉えた。手を伸ばせば、バトンを渡せる。
真っ直ぐ腕を伸ばした。
届け!
距離が少しあった。腕を伸ばしただけじゃ届かない。それもそのはずで、大輝も同時に走るのと同時に大輝の方が少し速い。
背中が前に倒れて、届いたから良かった。
周りの応援での騒音が忽然として音をなくした。代わりに胸から嫌な音がする。それは、張り裂けそうなくらいに胸の中で暴れていて、俺の胸ごと張り裂けそう。
痛い。
そう思った頃には、息もままならく出来なくて走った後にも関わらず酸素を吸えない。
死ぬんだ───。
目が閉じ始めたときに思ってしまった。
真っ暗な視界。
ポツンと現れたのは白い光で、周りを照らさない。
白い光は小さな点だ。
でも、ずっと見ていると横に細い形で伸びていき、やがては全て開いた。
足が重くて、完全と戻らない頭は足を眺める。
重いのも仕方なくて、母さんがその場に突っ伏していた。
「……ん……さん……母さん……」
何度か呼んだところで母さんは俺のことに気づいて、目を丸くした。
「渉! 渉起きたのかい?」
「起きたよ……」
あの体育祭だ。
バトンを渡した直後に俺は突然倒れて、気を失った。
そこから、すぐに救急車に運ばれて病院へ連れられて今ここにいる。
「体育祭から二日も気を失ってたのよ。心配させるんじゃないわよ。倒れたと聞いて、どれだけ心配だったか」
まあまあ、日が過ぎていた。
母さんは、俺に抱きついて涙を流す。
普通はそれを突き放すけど、ある覚悟があった。
今この場では一つも交わされていないけれど、あの倒れたときに感じた体の限界は痛みとなって俺を叩いた。
母さんに抱かれる最後のときなのかもしれないと思うとき、それを忘れないように体全体に染み込ます。
こんな強さで肌がどれだけ母さんの腕で凹んだか、そのときに見た光景はどんなだったか、頭に出てきた言葉は何かとか。
「医師はなんだって?」
あれもこれもその一言が実権を握ることを俺は忘れたことがない。
「───」
母さんは黙る。これの方が、どんな回答よりもわかりやすかった。
「ありがとう。で、どれくらいなん?」
「言いたくない……」
母さんは拒み続けた。
こんなやりとりが今から何十回も続いた。けれど、聞けることはなかった。
時間が進んで夜になり、母さんは病室を後にする。
「それじゃあ、帰るから。元気にしててね」
「うん。また、明日」
規則となる時間ギリギリまでいてくれた。
まずは、そのことに感謝する。
俺が生まれてきたときから、嫌もなく育て続けた。ときには怒って、喧嘩して。でも、それで人生がめちゃくちゃになったことはない。
良い人生を歩んでほしい。
実際にそれは言ったことはないが、育ててもらってきて、そんなメッセージを送られている気がする。
心は申し訳ない気持ちで充満する。
良い人生。
俺はもういい。
だって、こんなとこまで生きられた。
何もかも母さんのおかげだ。
そんな気持ちがあるから、母さんがもし後悔とか言い出したらただじゃおかないんだ。
言ってやりたい。
ここまでありがとうと……。
寝る前に水を飲もうと、テーブルへと目をやる。
薬とペットボトルの水、そしてコップが置かれている。
コップの下に白い手紙が敷かれていた。
それをどかして、手に取ってみる。
やはり、それは手紙で日中の時間帯から母さんしか病室を出入りしていないから、差出人は把握した。
そのときの記憶も蘇る。
口では言わなかった。
でも、おかしい。母さんはずっと病室で俺と一緒にいた。
昨日書いたのかもしれない。
わかっていたからだ。
母さんは自分の口で決して言えるはずがないことを悟って事前に手紙で伝えようと決めていたに違いない。
自分の今後。
過去にそれが恐怖だと感じたのは自分が病気だと知らされたあのとき以来だ。
手紙の封を剥がして、中を開く。
紙が一枚。
ただ、それだけだ。
"渉へ"
その一言だけで、目が溺れるみたいになってしまうんだ。文字を作る一画の線が二つ、三つに見えて書いてある文字と違う文字に見えてしまう。
私は今ある現実を受け入れたくない。これが本当なのだとしたら、過ちはきっと私なんだと。私のせいで、息子に迷惑をかけてしまうなんて申し訳ない。
倒れた原因は、渉もわかっているはず。走っているときに呼吸困難を起こして、体が耐えられなかったと医師から聞かされました。無理をしていたなんて思いません。体育祭を最後まで楽しんだ若き誇りです。やり遂げた自分を誇らしげに思ってほしい。それが私からの願いです。
ここで、なんですがいつもの医師とは口調が違いました。限られた余命を宣告された。一年も渉の命は持たないみたいです。私はこれを聞かされてもまだまだ現実を受け止めきれていません。なのに、第一に頭に浮かんできたことが渉の顔です。ただの言い訳に現実逃避を試みているのだと思います。きっと体は知っているんです。
ただ、助かる道は唯一残されています。医師が言うに残された道は心臓移植だそうです。ドナーといって、他の人から心臓を貰えば助かるみたいです。
もし、ドナーが見つからなかった場合、私が申請しようと思いましたが、生きている人からの心臓移植はどうやら出来ないみたいです。
脳死状態の患者から頂く。そう言われました。
これが渉の現状のようです。私は渉のために何かをしてあげたい。食べたいものとかがあれば遠慮せずに言ってください。
少しでも幸せな人生を。
母さんより
全部読んで気づいた。紙のところどころに水滴が落ちて乾いた跡がある。
母さんはどんな気持ちで、どんな姿でこれを書いたのだろう。意識を失って、見たことはないが俺にはわかった。
病室には窓があった。
今日は満月で夜でもだいぶ明るいし、月の光が窓に入ってくる。
「残りの人生、笑っていきたいです」
誰にも聞かれない俺の独り言。
これは立派な弱音だ。
今すぐにでも夜の暗闇へと溶け込んでしまってほしい。
「ここにあったの、読んでくれた?」
「読んだよ。大丈夫、怖くもなんともない」
母さんは無口だ。でも、それはなんとなくわかる。
香澄の足がなかったときのことを知って俺はろくに言葉をかけれなかった。俺の前ではいつもの母さんでいてほしい。
「本当、大丈夫だって。無口の方が怖いからさ、なんか喋ってよ」
少しは話してくれるようになった。
話題はほとんど俺の話で、大輝らのことについて話している。
「大輝ってすごい頼れるやつなんだ」
「茂咲って花に詳しいんだよ、男子のくせに」
「晋は歴史が好きでいろんなことを教えてくれる。学校の授業では習わないことだってわかってるんだ」
「拓はこの中で一番に頭が良いんだ。一歩俺より及ばないけど」
日頃、友達といえば香澄で、学校のことといえば香澄だった。
他に新しく友達ができた。
そんな些細なことがどれだけ嬉しかったのだろう。
今日、やっと笑った顔を見せてくれた。
「それでこそ母さんだよ」
それを聞いて、少し戸惑う表情を見せつつも意味を理解したようだった。
「確かに。私は最近笑えていなかったかもね。渉のことを聞いて、心に余裕がなかった。母親失格なのかもしれない」
母さんのことをあまり見ていないんだなとこのとき思った。さっきの笑った顔とさっきの言ったこと。
俺の病気に散々付き合わせてしまったみたいだ。そして、それに責任を感じてしまい笑うことも忘れて。
だけど、一つ訂正だ。
「母親失格は違うよ」
それは、絶対に違う。この荒れ果てている心臓だがそれを賭けてもいい。
「それだけはできるなら取り消してほしい。父さんが早くして亡くなって、でも俺はここまでに大きくなって成長した。母さんのおかげだよ」
そうなのだ。
女手一つでこんなやつになってしまった。
言いたいことを言って、好きな人とも付き合えて。そして、新しい友達だって出来た。
「だから、母親失格は取り消そう。誇れる母親になれてるんだから」
この約十五年。
経ってしまえば、なんともないがいろいろな初めてがあって怖かっただろう。けど、俺がいるってことはそれを克服して、乗り切って、何事にも打ち勝ったって証拠だ。
「渉に、そんなふうに思われていたなんて。渉の母親でいられてよかったわ」
また、抱いてきた。
昨日のが最後じゃなかったみたいで、なんか嬉しい。
そして、最後なんてまだまだだと思うことができる自分も生まれた。最後にしなくちゃ良いんだ。何回も繰り返せば、最後なんて言葉怖くない。
「医師の言うことがでたらめってことを思い知らせてやるんだ」
強い自分でいよう。
母さんが後悔するのは俺が弱ったときだ。
もうすぐ、死んでしまうのに可哀想な母さんなんて見るのはごめんだ。
数日後に大輝らがお見舞いに来た。
「元気してるかーって、病院にいるんだし元気なわけないか」
先頭に病室に入ってきた大輝が発言した言葉に、自らが笑う。
案の定誰も笑っていなくて、逆に笑えてくる。
「慰めてあげてよ。こいつ、どうしたら渉が元気に笑ってくれるかで、悩んだ末にこれしてるんだから」
「拓、それまじかよ」
「おい拓! それは言うな!」
「言っても良いじゃん別に。減るもんじゃないんだし」
「言ったな。じゃあ、拓のバーカ!」
「おい! それは悪口だろ!」
「良いじゃん! 減るもんじゃないし」
病室はいつも暗いと思うんだ。(そもそも病院が明るいわけがない)
けど、この瞬間の空気は明るかった。
「そういやさ、体育祭どうなったの?」
みんなは集まる。
こそこそと小さく話し合う。
その懐かしい光景で、あの後の出来事とかを踏まえ少し嬉しい。
「聞いて驚くな。せーの!」
みんなは一斉に口を開いた。
『なんと優勝です!』
「え、まじ! すごいじゃん!」
友達のピースサインを前に突き出して満遍の笑顔が微笑ましい。
「そういえばさ、香澄ちゃんいなかった?」
「え、いた?」
「俺も見た! 最後の方にいたよな」
今の俺の耳は間違いなんておかさないと思う。
「最後って、まさか俺が倒れたリレーのときか?」
「そうそう。実はあのとき香澄ちゃんいたんだよ」
「俺は渉はすでに知ってるんかと思ってた」
「あ、俺も俺も!」
香澄が学校に来てくれて嬉しい思いはもちろんある。
けど、俺は倒れたんだ。
ただ、それが命取りに俺をもてあそんでいるいる気がする。
「わからないけど、香澄ちゃんのことだし心配してくれるんじゃないのか?」
「そうだよ。そんなに気負いすることはないよ」
「いや、それじゃないんだ」
キッパリとその場の空気を変えてやった。
「まさか、単純に彼女の前に恥ずかしい姿を見せたとかほざくんじゃないよな?」
「いやいや、大輝。俺より頭の良いやつがそんなこと思うはずが───」
「はい、それです。間違えありません。恥ずかしいです。現に、いつお見舞いに来るのか、来たらなんて話せば良いかと話題の方向転換を行っております」
場の空気は一瞬で凍りついた。