*

 なんだか暖かい、なんだかポカポカする。そして誰かの声が聞こえる。目をゆっくりと開くとそこには僕の通っていた小学校があった。満開に咲き誇る桜が玄関に吊り下げられている濃紫の垂れ幕とをより際立たせていた。
 何か文字が綴られているが、目がぼやけており正確な文字の断定は難しい。目を擦り、瞬きを繰り返す。変な感じがしたけど文字を究明したくて違和感をかき消した。
 "入学式"
 垂れ幕には白でそう書かれていた。
 どうやら夢を見ているようだ。ありもしない夢なら良いもののこれは僕が過去に体験して歩んだ記憶。もっと幻想的な舞台を選んで欲しかった。さっき目を擦ったときに違和感があったのが理解できた。
 手が幼児くらいに小さくて、もっちりとした大福のような感触であったのは、夢により僕が幼児化していたから。姿を見て手だけでなく体全体がそうなっていた。
 徐々に視覚が戻っていく。
「こんなものあったか?」
 小学校と行っても最後に訪れたのが卒業式の涙で周りが溢れみんなと笑い合った日以来だった。だから、わかることなのだと思う。校門の側に見たことのない白い植木鉢があった。
 新しい物が置いてあるという子供心全開の行動はそこに向かって走ること。案の定僕はそれだった。
 入学式とは疎遠の花が植えてある。いたって普通の花びらが四枚か五枚集まって花を形成しそれらが束となって一つに集まる。
 口紅を連想させる美しい赤の花びらだが、今丁度よく吹くそよ風になびく花びらは可憐に踊っていて可愛らしい一面も兼ね備えていた。
 ふと、どこからか聞き取れないくらい小さな声が聞こえた。幼い少女の声だと思う。これは目覚めた時にも聞こえたのと同じものだと思う。幻聴のように、心霊スポットで微かに助けを求める幽霊のような小さな声。
 辺りを見回した。だけど、誰もいない。怯えて学校の裏にでも潜んでいるのかもしれない。腰をあげ、僕はまたもや謎の違和感に首をひねる。
 目線が幼児のそれではないし、気がつけばいつもの身長へと戻っていた。夢の遊び心に遊ばれた気がして悔しいが所詮自分なのだから良しとした。
 一歩また一歩と足が進む。小学校は意外と好きだった。香澄の存在もあるが、数は少ないものの深い付き合いの友達がいて居場所に困ることもなかったし平穏な日々が経過していた。
 玄関をくぐると薄暗い空間だった。
「懐かしい。以前と変わっていないじゃないか」
 あるときには楽しみの入り口として、あるときには気の進まない入り口として構えていた。入り口という役割だけじゃない。僕はここで何度香澄を待っただろうか。
 午後の時間帯での休み時間。同じクラスの香澄に勇気を振り絞ってかけた言葉が今でも印象に残る。
 
 ・

「今日、一緒に帰らない?」
 この言葉を最初に掛けたときの香澄の表情は、地球外生命体を見るときと同じ反応だった。そして、少しの間も出来た。それぐらい微妙でやや否定気味の問いだったのだろう。そんな顔をしていた。
 判断は自分の意思が通らない方へと傾いた。
 首を振られ、「ごめんなさい」の一言。「いや」の二文字ではなかっただけでもと、首肯してその場をなんとか逃れた。
 逃げるが勝ちとはこういう状況にあるんだなと当時ことわざに少し興味をそそられていただけの知識が役に立った。
 前向きと名を連なる言葉がこれで精一杯なのは悔しいが今一番に勝っていた証拠だから。教室の隅に位置する自分の席。僕は周りには見えないようにそっと泣いたんだった。
 学校が終わり一人の通学路を歩く。
 もし、僕がうまく誘えていたら一人が二人になっていただろうにって思うと自分の席で出したのと同じ涙を出しそうだったから特に考えないようにした。だってそうだよ、昨日も一人で帰っていた。一昨日も、そのまた昨日も。
「僕は悔しくなんかないぞー」
 元気に右手を空に突き出してやった。自分を鼓舞せずに誰が僕を支えるんだって感じで勇気ある道を辿る。
 水の流れる音が僕をそこへと振り向かせる。そこは川だった。水と水のぶつかり合う音と水と石がぶつかり合う音。
 振り向いての次の行動は足を進めること。その川へ僕は向かった。
 川から少し離れた緑豊かな土手で腰を下ろすことにした。ちょっと寒かったけれど、日頃インドアで「家にいないで外で遊びなさい」と親に言われる自分にとってこういう場は大切にしないといけないという考えが強かった。
 川の青色、川のほとりの砂利は灰色、僕が今いる土手の緑。視界にはその三色の他に一際目立つ色が入った。
「タンポポだ」
 すぐに腰を上げ、花の蜜に虜の蝶のように僕を寄せ付けた。
 ここまでタンポポに魅力を感じたことはない。なんだか今の曇った心を照らしてくれそうに感じたからこう触れ合っている。
「確か綿毛になって飛んでいくんだよな。そして、子孫を残す。君は一人なんだな」
 視界に入るタンポポはこの一輪だけだ。どこか遠くへ飛ばされて、目覚めたら一人。まるで僕を連想した。
「すごいな、お前。俺なんかよりずっと凄い」
 心が響いた。この一輪のタンポポが僕をなぐさめて、元気づけてくれた。
 心身、血液、臓器の全てを次の日に奮い立たせた。
「今日、一緒に帰ってくれませんか?」
 これが二度目の声だ。昨日の出来事とは一転、自分の顔は笑っていた。
「いいよ」
 今日は笑ってその場を過ごすこととなった。
 一度が二度、二度が三度、三度が四度と数が増えていくと一を足して前より一個多い。塵も積もれば山となるだ。これもことわざ。
「どうして、こんなに一緒に帰ってくれるの?」
 一度の塵で終わると思っていた道が今は無数に存在して、今もそれを歩んでいる僕は唐突にその道を切り開く香澄に聞いてみた。
「ここが私の唯一の居場所だからね」
 自ら抜いた刃がまさかの自分に突き刺さる感情だ。
「ねえ、それっ───」
「ほらほら見てよ。あそこの野原にタンポポがたくさん咲いてるよ!」
 たくさんのタンポポに僕の言葉は絶えてしまった。植物よりも魅力の無い自分だと顔を暗くしてしまった。
 敗者は勝者の方へと目をやった。
「野原行こうよ。あのタンポポもっと近くで見いたいしさ」
「僕もあのタンポポを見てみたいと思ったんだ」
「タンポポ好きなんだねー」
「まあね」と香澄より先に野原へと足を進めた。どれだけ美しいタンポポなのかと対抗心をそっと隠して見てやることにした。
 特に何も感じない普通のタンポポだ。僕よりも背が小さくて、頼り甲斐ない体で僕ならすぐに折れることもできて、黄色が綺麗で、ふんわりと広がる花びらが可愛くて、今にも包み込んでくれどうで───。
 香澄の目に留まるのだから。
 僕はそのタンポポに思いっきり足を乗せた。僕は強いんだ。男なんだ。
「渉君、やめてよ!」
 香澄が俺を褒めている。
「渉君! ねえ、渉君ってばさ!」
 手応えのない、弱くて微塵の力すら持っていない。なぜ、こんな奴が───。

 音が響いた───。

 それと同時に僕は地面にお尻を付いていた。おかげで今は尻餅をついたときの格好をしている。香澄の前で僕はなんて恥ずかしい姿をしているんだ。
「タンポポめ。よくも俺にこんな醜い姿を───」
 さっきの音の正体は僕の頬の音だ。今度は地面にお尻をつくことはなかった。誰かに叩かれたみたいだが、それは目の前にいる人ではないだろうか。
「なんでこんなことしたのよ!」
 目の前にいる人は僕の方を見ているが、目線は下だ。
「なんでこんなことをしたのよ! 私に答えて!」
 野原に人がいなくて良かったと思った。香澄の声はきっと周りにすごく響いただろう。
「答えないなら、もういい───」
 後ろを振り返り、茶色の花を掘り起こし手に抱える香澄。茶色の花なんて初めて見た。なんだろう、よく見えない。
「タンポポに罪はない。私は物を、命を傷つける人なんかと一緒にいたくない。それに───」
 好きだと思っていた。耳に入った言葉がもし間違えないのなら謎でしかなかった。
 あることを理解した。あの花はタンポポなのだと。そういえば、あの茶色のどこかにひっそりと黄色が見えた。でも、タンポポはどうして茶色なんかに。
 ハッと気づいた。僕が貶したんだ。魅力を削ぎ取られたから。香澄が僕よりタンポポを見たから。
「もう知らない。一生声なんか掛けないで」
「もう二度と……」と小さく耳に入ってきた。僕が悪い。それもしっかりわかってやったのだから尚更腹が立つ。タンポポは人間にとって無害な植物だ。人を傷つけることももちろんしない。たとえ、人間という僕なんかみたいながどれだけ踏んだりしても何もやり返さない。
 だから、僕は今こうして無傷なんだ。
 だから、香澄が怒ったんだ。
 僕は立ち上がり香澄の行く先へと足を走らせた。悪いのは僕でした。単純な恋心なんだと、かっこよくありたかったと二度と同じ誤ちをしないことを誓うために駆ける。

 ・

 そんなこともあったな、なんて玄関の壁に背中を預けながら黄昏ている。思い返す記憶は心を想像以上に揺さぶる。アルバムなら記録日記のように象った写真という紙を見れば嫌でもそれは思い出すが、思い返す記憶だと自らの心が訴えかけるため強く鮮明に残っていると言い切れる気がして僕は過去にいた唯一無二の存在と知らしてくれる。
 そういえば僕はどうして声を掛けたのだろう。
 これも思い返す記憶の一種だ。自分のあのときの言動の意味を追い求めたくなる。それに解が定義されていないのも醍醐味の一つ。
 僕は考えて、悩んで、迷った。
「この複雑な感情はなんだ───」
 思い起こしたことを口にする。定義されない解はそのまま謎として残る。だけれど、その解の方程式、解法、解説が頭に流れた。音楽を聴いたときのような、一瞬の流れを感じた。
「私の声が聞こえますか───」
 外からだ!
 僕は急いで外に出る。太陽の光の影響か玄関から外へ白い表面の壁をまとう出入り口。ただそんなことより声の正体だ。
「えいっ」って言ってみた。未知の世界と頭の中で描いたからちょっと怖かった。
 移動は一瞬で見覚えのある場所へ出た。
「野原だ……」
 そう口にした。目の前は瞬時にあのときの野原を写した。たくさんタンポポがあった。そう、あのときの恋敵と言わんばかりのトラブルの原因となった奴らだ。
 ここしかないと思った。夢の中だ、誰も見ちゃいない。
 僕は決めたんだ、とその一言を行動へ移す。膝を曲げて、地面に付く。手を前にそっと添える。万が一のこと、タンポポをその添えた勢いで潰しちゃ元も子もない。
「すべて僕が悪かった。自分の力不足だ。弱いものに手を出す。当時はそれをしっかりわかっていた。悔しかったんだ。自分という存在を比較されたみたいで、姿を取り残され置いて行かれた。君たちは美しい。これからも美しくあってください。そして、ここは夢の中だからいることを望んで言おうと思う。君は最高のプリンスです。傷つけてごめんなさい」
 返事が欲しかった。僕を蔑んで欲しかった。罵って欲しかった。自分が醜い姿だと再度認識したから心を粉砕する勢いでいじめて欲しかった。
 いじめて欲しいなんて思うことは初めてだ。
「ならば盛大にいじめてやろう。君は自分を許していないんだ。出来もしない、ありもしない自分をただただ作り上げてばっかなんだ。君は僕たちなんかより凄く優れているよ。僕をあんな目に合わせるぐらいなんだ。あの子をしっかり託したよ」
 そよ風が謳うような透き通った女性の声だったから、誰かさんにこの声を合わせていた。この声の主がもし、楽しい気分でいたら弾んだ楽しい口調なんだろう。一緒にいて飽きない、仕草も目に留まる。
 幻想を見ていたのか、今はあの小学校の玄関へと戻ってきた。
「香澄、なのか───」
 身に覚えのない白い植木鉢の側でセーラー服を着た少女が立っていた。さっきとは違う光景に見惚れ僕はその少女へと近づいた。よく見たら、背丈が変わらない。
 周りの空気が暖かく周りを包み込む、そんな気がしてきた。
 だから、僕はああやって口にしてしまったんだ。
「久しぶりだね。渉」
 いつなんどきこの場を望んだだろうか。
「君が私に飢えている頃だと思ってさ、出てきちゃったよ」
 飢えてなんかいない。でも結局、その言葉が最後のパズルのピースのようにぴったりとはまった。これしかないとお告げをもらったかのように。

 ・

 僕はあのとき、町内を駆け巡った。香澄と一緒に帰るときのお別れの知らせは二つに分かれる道が差し掛かるときだ。僕は右側、香澄は左側。その左側をひたすらに掛けた。
 如月香澄。これが彼女の名前だ。こんな苗字はそうそういないだろうから見つけるのに苦戦する。見える限りの家の表札を転々と見て探した。
 だが、結局は"如月"を見つけることはできなかった。無我夢中で町内を駆け巡ったツケが回ってきた。
「足が棒になるって、言葉、なかったか───」
 紡ぐ文章に不可解な読点が入る。この疲れがそろそろ限界を迎えそうだったので僕は近くの公園へと最後の力を振り絞って向かうことにした。時は五月の中旬。まだ少し涼しい風が街を彩っていた。
 時間は夜九時。公園に着いて時計を見ると気持ちいい感じにされた。夜の暗さを一人で見たことはこれが初めてだ。周りには僕を害する危険でいっぱいかもしれない。けど、そんな危険といることが冒険みたいでわくわくする。
 公園にはベンチはなかった。代わりにブランコがある。そこで体を休めることにした。足がついた状態で揺られてみたり、足をつかない状態で揺られたみたり。
 自分の心だった。不安定な様を忠実に捉えた無様な心が体にまで深く浸透してしまった。
 後ろから物音がした。ランドセルを抱えた香澄がいた。おかしな光景で笑ってしまったが、それが何を示しているのかとか香澄がどんな思いでそんな姿になっているのかを考えるとタンポポを痛みつけたときの悔しさがまた溢れ出てきた。
「な、なんでこんなところにいるんだよ……」
 忘れて取りこぼしていたけど、動揺もそこにはあった。
「タンポポ落とした……」
 呆然と僕は香澄を見つめた。
「あんなに渉に怒ったのに、タンポポに何をするんだって怒ったのに。私が本当に何をしているんだって……。そんな気持ちで渉と会いたくなかったから明日学校休もうと思って、ここで寝ようとしてた」
「風邪ひくとか考えなかったのか?」
「一日ぐらい平気だし……」
「そっか……」
 無音の空間が出来た。何も話さないし、何もしない。気まずいといえばそうなのだが、これが一番居心地が良かった。
 ブランコの揺れをあまり感じなくなった。
 香澄は隠れるのをやめて、隣のブランコに腰を掛けた。
「俺さ、香澄をさっきまで探してた。あの別れ道の左側をさっきまで無我夢中でかけ続けてたんだ」
「うん」
「そしたらさ、気づいたんだよ。人を失うきっかけは自分にあるってことにね」
 タンポポにして自分が報われたことは今になって未だかつてない。逆に報われなかったことならある。
「香澄を失ったんだ。自分の誤ちは帰ってくるんだよ」
「でも、私は今ここにいるよ」
「けど、それは今日の朝の香澄ではない。僕があんなことをしてしまう人間だと知らない香澄だった」
「ちょっと難しいかな……」
 いやわかっているはずなんだ。逃げもしないこの場と、派手な反抗もしてこない。
「家に帰ろうよ。僕もだけど、親が心配するよ」
 僕はそう誘った。小学生がこの時間にこの場にいてはいけないから。
「タンポポの花言葉知ってる?」
 それは突発的に出た言葉だったのか、香澄は口を押さえた。
「ごめん、何もないよ。帰るね。また明日会おう」
 それを言ってからのスピードは早かった。逃げたというより恥ずかしい一面を見られてしまったと言った所作だった。だから一つ言いたかった。
「ランドセル逆さまだよー!」
 香澄は驚いてそれを直した。暗い空は香澄の表情を紛らわすには絶対条件みたいだった。
「待ってて。僕も行くから───」
 香澄から初めて聞いた言葉だった。そして、初めての共鳴だ。

「一緒に帰ろう───」

 ・

 僕は飢えていたようだ。
「死んで暇だなーって。あのときのタンポポをここに植えたんだ。落とさなかったらね、家に持って帰って、育てて元気な姿にして。渉を土下座させてやりたかったんだよね」
 土下座のワードを口にして笑う香澄。
「だってさ、あれは私たちを導いてたんだよ。それなのにさ、渉は酷いことするんだもん。あれ、嫉妬だったのかな?」
「んなわけ───」
 ある。言うのは止めた。
「"運命"なんだよ、あれは。渉は知らないと思うけど」
「何がなんだかさっぱりわからない。確かにお互いタンポポでこう思い出が出来た。だけど、なんであれが運命で僕たちを繋げたみたいな言い方なのかわからないんだよね」
「そりゃそうか。わかったらストーカーだもん」
 香澄は笑う。
「私が君との帰りの誘い断ったことは覚えてる?」
「あの最初のときのか?」
「そうだよ。あのときさ、渉ってどんな人かわからなかったから急に答えれなかったんだ。それにさ、周りに友達がいっぱいいるのに堂々と言ってくるんだもん。そういうもんは公開処刑みたいにするんじゃなくてヒソヒソと声を掛けて伝えるんだよ」
 香澄はさっきよりも楽しく笑う。確かにそうだなと相槌を打って釣られて笑う僕だ。
「先に言うとね、ごめんね。私渉のことストーカーしてた」
「え、いつだよそれ!」
 香澄は絶え間なく笑うけど僕には無理がある。
「その断った日。渉がどんな人なんだろうってこそこそ見てた」
「ああ、そういうことか」
「そして、タンポポをずっと見てるんだもん。つい好きなのかと思った」
「だからか!」
 僕は忘れていた。あの謎が今解決した。どこか安堵で残念な歪な感情が心に流れ込む。
「だからって何が?」
「いや、あのタンポポの件でちょっといざこざがあったときに辻褄の合ってないというか、変なところがあってさ」
「えー! 私覚えてないなー。なんて言った?」
「好きな───」
「好きな?」
 やばい状況を自ら作った自分がアホすぎる。
「その後の言葉何かな?」
 言うべきなのか、言って変な誤解を招いてしまわないか。
「ねー、教え───」
「そういえば香澄は何が言いたかったの? 確かに僕はあのときタンポポをずっと見て癒されていたけれど」
「えっとね───」
 なんとか話を変えれたと思うようにした。
「野原なんてね、別にどうでもいいと思ってた。だから、野原なんて考えてもいなかったんだ。だけど、あのときの渉のタンポポを見る表情が素敵でさ。タンポポ好きな人なんだって思ったから寄ったんだ」
「なんかごめんね香澄。そんなこと考えてたなんて知らなかったわ」
「知らなくて当然だよ」
「だから、"運命"なんだね!」
「そうだよー。渉がここまで疎い人とはね。ちょっと意外だったよ」
「ありがとうって言えばいいんだよね」
「そうだよ。ありがとう。ほらー、言ってみてよ」
「ありがとう」
「それで良し!」
 香澄は右手で親指を立てて僕の方に突き出した。
「てことは、タンポポの花言葉って"運命"だったりするの?」
「それが違うんだよ」
 予想が外れたようで「じゃあ何?」と続ける。
「それはね───」
 香澄は白い植木鉢を持ち上げて言った。
「"幸せ"! だよっ!」
 植木鉢から咲くタンポポは元気に笑っていると思う。多分許してくれた。だから、こんなに笑って僕らの間に入って繋ぐんだ。
「私は死んでも"幸せ"だから。生きてる渉が"幸せ"じゃなくてどうすんだー! バカやろー!」
 胸が少し暖かい。タンポポでも咲いたのかな。
 香澄は笑う。