なかなか強烈な珍獣や宇宙人との出会いを経て、いよいよ私の婚活はクライマックスヘ。
うまく行きそうだった人に「重い」と言われたり、急に連絡が取れなくなってしまったりと思いの外難航する婚活に、メンタルが悲鳴をあげ始めていた。
婚活疲れ。自暴自棄になり、アプリを開く気力すらない日もあったが、塞ぎ込んだら余計にモチベーションも下がる一方。一旦、婚活から離れようと趣味に没頭したり、ショッピングを楽しんだり、某公園の薔薇を見に行ったりしながら過ごした。5月の連休明けくらいに、「結婚はまず置いといて、とりあえず茶飲み友達探す感覚でやってみるか」と、試しに気になっていたP○ARSに登録してみた。登録者数は他の婚活アプリよりも圧倒的に多く、しかも無料で利用できてしまうのは金欠な一人暮らしの非正規雇用にはありがたかった。
★P○ARS★
→当時は男性は有料、女性は登録無料、オプション(いいね!を送るハートの数など)課金制だった。私は本当にいいと思った人にしかいいね!を押さず、基本は検索やプロフの熟読をしていた。P○ARSでは、前述のような強烈な輩は目立たなかったが、同じ職場の同僚2名、大学時代のサークルで交流のあった他大学の同い年の元彼(後にストーカー)の友人らがいて、慌ててブロックした。
結婚は置いといてとはいったものの、最終的にそうなった場合のことを考えてジモティー限定で探すことに。そこで夫を見つけたのだが、夫はいわゆるフツメンで、特にこれといったものもなく、当初はただ飛行機が好きで航空機の製造業に就いているんだくらいにしか思っていなかった。それでも、私からいいね!を押した理由は夫のプロフの最後の一言だった。
「皆さんに良い出会いがありますように」
今思えば、これが決め手だったのかもしれない。今までの婚活を振り返っても、自分を含め自分の幸せを第一に求める人ばかり。なのに、彼は“自分以外の人”の幸せを願うフレーズで自己紹介を締めくくっている。
ああ。彼はただのフツメンではない。誰より幸せになりたいと願う群衆の中に埋もれた、誰よりもピュアな原石だ。
いいね!をしたら、すぐに「いいねありがとうございます」とメッセージが来た。
数日メッセージをやりとりし、夫の方から「直接会って話したい」と誘われランチをすることに。
当日、お互い遅刻をし、2軒目のカフェで6時間喋り倒すというマイペースぶりを発揮。その後、「僕でいいんですか?」「いいよ」で交際がスタート。私の長い長い婚活に終止符を打ったのは、2つ年下の飛行機大好きなプラモデラーだった。そして出会いから約1年後には婚約、その半年後に結納、年明けに入籍とトントン拍子。唯一予想外だったのは、コロナの流行で籍を入れてから1ヶ月後に予定していた結婚式を一年延期することになったこと。まさか一年の間に3回も延期することになろうとは。4度目の正直で漸く叶ったものの、それまでのモチベーション維持や双方親族の意見のすり合わせ、もどかしさ、怒り、悲しみの連続で心が何度も折れそうになった。結婚式を挙げたらすぐに妊活したいと思っていただけに、式の延期は当時34歳だった私にとっては死活問題。35歳までに第一子を授かりたかったが、式の延期によりそれは叶わず。いずれにしても、私の子宮に問題があったため、治療は結婚式が終わってからスタートすることになった。術後2ヶ月、念願の第一子を妊娠し36歳の時に息子が生まれた。2023年9月現在で1歳3か月になる。
一つ一つ乗り越え、実家を出て一人暮らしを始めたら結婚し、更には母になった私。
実家を出るとき、結婚だけは絶対に自分の好きな人としたいと決めていた。なぜなら、母は私が長女だから跡を取るのが当たり前。長男以外の公務員にしろとかずっと私に言い続けていて、私の妹が結婚してから流石に焦ったのか(妹は市役所職員で、同じ職場で出会った私と同い年の当時の広報課職員と結婚した)、私を無理矢理結婚相談所に登録させた。お金は払うから言う事聞けと連れて行かれ、そこのおばちゃんに「どんな人がいいの?」と聞かれたら「長男以外の公務員がいい」と母が答えてておばちゃん苦笑。「〇〇県だったらそういう人いるよ、警察官でもいい?」と聞かれたので「はい、構いません」と言ったら、母が慌てて「できれば地元の人がいいんですけど」と修正してて「何だ、お母さんが娘さんを離したくないだけじゃない。もしかして、これ全部お母さんの希望?」とすべてお察しの様子。
「だったらお母さんが婚活したら? ねぇ、だってお一人でしょう? お嬢さんの意志でここに来るならわかるけど、お母さんが出てきたらそりゃうまくいくものもうまくいかなくなるわ」と言われ、母は「うちにはうちの事情があるのに」とか「所詮他人だから無責任なことしか言えない」とか逆ギレしてたが、私は「おばちゃんよくぞ言ってくれた」と感謝していた。
我が子の代わりに親が動いて婚活すると言う話を聞くが、それでうまく行った例を聞いたことがなかった私。「いくら子の将来を思ってよかれとやるにしても、本人の意志を無視して勝手に話を進めるのはただの迷惑行為でしかないよな」と思う。善意のつもりだったとしても、そこには必ず「親の願望」があり、それを子の人生に押しつける形にどうしてもなってしまうからだ。
子は親のために生まれてきたわけではない。親が望んで我が子を産み育てた。ただそれだけで「親の人生=子の人生=幸せ」と錯覚した親ほど、子を知らず知らずのうちに闇に落としている気がする。
何より自尊心を傷つけ、「お前一人では何もできない」という無言のメッセージを送り続けている自覚がないのが厄介だ。話が通じない親を説得するのはほぼ無理だ。「親に理解してもらうにはどうしたら良いか」なんてことは、本来考えるまでもないはずなのに、真面目な人ほど問題解決に奔走し、貴重な時間をあれこれ悩みながら立ち止まって行動を起こすことなく消費し続けてしまうという悪循環が生まれる。
行動を起こす勇気と覚悟。婚活を成功に導くためのヒントはここにあり、その後の人生のヒントもここにあるのだと私は婚活を通して実感した。厳密に言えば、婚活を成功させるために実家を出て自立することから学んだのだが、いずれにしても現状維持は後退するばかりなのは確か。
夫と付き合い始めて間もなく、母から電話があり、「親戚が勤める病院の看護師で独身のいい人がいるんだけど、今付き合ってる人いる?あ、あと結婚相談所からも紹介があったんだけどどう?」と聞かれた。婚活をやめた直後に舞い込む縁談。もちろん断った。普通の会社員だと伝えると、「長男?」と真っ先に聞かれた。「一人っ子長男だけど」と言ったら「あ、そっか……」と一瞬黙った。実は、私の狙いはここにあった。
あえて、一人っ子の男性を選んだ理由。
代々有名な由緒あるお家柄でもないのに、たまたま200年以上前から続いた我が家の歴史に幕を下ろすときが来たのだと身をもって知ってもらいたかった。そして、自分が婿入り結婚して失敗した現実と向き合い、今回の縁を逃したら二度と子の縁談は来ないかもしれないという崖っぷちの状態を作って婿入りを阻止したかった。まして、未だに独身の叔母がいる我が家に婿入りさせるのも気が引ける。更に義母の押しの一手が決め手になった。
「よくお一人で二人の娘を大学まで行かせた。私はそんなあなたのお母さんを尊敬する。そんな手塩にかけた長女をいただくのは非常に心苦しいが、あえて言わせて。ぜひうちにお嫁に来て欲しい。こんな素晴らしいご縁に出会えたこと、私はとても感謝している。協力できることがあれば遠慮なく言って。できる限りのことはさせてもらうから。どうか末永くよろしくお願いいたします」と。ここまで言われて漸く母も断る理由がないと悟ったのか「それなら」とすんなり了承し、縁談がまとまった。そして面白いことに、我が家は女系家族だったのだが、自立を促してくれた叔母が嫁ぐ頃から「男の子」しか生まれていない。我が家を出ると男の子が生まれるというジンクスは、私の出産でほぼ確実だと認定されることになった。
人生はないものねだり。それでも、その中にはかけがえのない宝が眠っている。それに気づくか気づかないかだけで、世界が変わる。婚活は、自分の幸せだけ追い求めている以上成功はない。奔走するよりも、立ち止まった時に意外と原石は近くにあったりするものだ。ただの石ころだったとしても、愛おしいと思った瞬間宝になる。
そんな人と出会えたら、それ以上の幸せを求めるのはかえって贅沢というものだ。
うまく行きそうだった人に「重い」と言われたり、急に連絡が取れなくなってしまったりと思いの外難航する婚活に、メンタルが悲鳴をあげ始めていた。
婚活疲れ。自暴自棄になり、アプリを開く気力すらない日もあったが、塞ぎ込んだら余計にモチベーションも下がる一方。一旦、婚活から離れようと趣味に没頭したり、ショッピングを楽しんだり、某公園の薔薇を見に行ったりしながら過ごした。5月の連休明けくらいに、「結婚はまず置いといて、とりあえず茶飲み友達探す感覚でやってみるか」と、試しに気になっていたP○ARSに登録してみた。登録者数は他の婚活アプリよりも圧倒的に多く、しかも無料で利用できてしまうのは金欠な一人暮らしの非正規雇用にはありがたかった。
★P○ARS★
→当時は男性は有料、女性は登録無料、オプション(いいね!を送るハートの数など)課金制だった。私は本当にいいと思った人にしかいいね!を押さず、基本は検索やプロフの熟読をしていた。P○ARSでは、前述のような強烈な輩は目立たなかったが、同じ職場の同僚2名、大学時代のサークルで交流のあった他大学の同い年の元彼(後にストーカー)の友人らがいて、慌ててブロックした。
結婚は置いといてとはいったものの、最終的にそうなった場合のことを考えてジモティー限定で探すことに。そこで夫を見つけたのだが、夫はいわゆるフツメンで、特にこれといったものもなく、当初はただ飛行機が好きで航空機の製造業に就いているんだくらいにしか思っていなかった。それでも、私からいいね!を押した理由は夫のプロフの最後の一言だった。
「皆さんに良い出会いがありますように」
今思えば、これが決め手だったのかもしれない。今までの婚活を振り返っても、自分を含め自分の幸せを第一に求める人ばかり。なのに、彼は“自分以外の人”の幸せを願うフレーズで自己紹介を締めくくっている。
ああ。彼はただのフツメンではない。誰より幸せになりたいと願う群衆の中に埋もれた、誰よりもピュアな原石だ。
いいね!をしたら、すぐに「いいねありがとうございます」とメッセージが来た。
数日メッセージをやりとりし、夫の方から「直接会って話したい」と誘われランチをすることに。
当日、お互い遅刻をし、2軒目のカフェで6時間喋り倒すというマイペースぶりを発揮。その後、「僕でいいんですか?」「いいよ」で交際がスタート。私の長い長い婚活に終止符を打ったのは、2つ年下の飛行機大好きなプラモデラーだった。そして出会いから約1年後には婚約、その半年後に結納、年明けに入籍とトントン拍子。唯一予想外だったのは、コロナの流行で籍を入れてから1ヶ月後に予定していた結婚式を一年延期することになったこと。まさか一年の間に3回も延期することになろうとは。4度目の正直で漸く叶ったものの、それまでのモチベーション維持や双方親族の意見のすり合わせ、もどかしさ、怒り、悲しみの連続で心が何度も折れそうになった。結婚式を挙げたらすぐに妊活したいと思っていただけに、式の延期は当時34歳だった私にとっては死活問題。35歳までに第一子を授かりたかったが、式の延期によりそれは叶わず。いずれにしても、私の子宮に問題があったため、治療は結婚式が終わってからスタートすることになった。術後2ヶ月、念願の第一子を妊娠し36歳の時に息子が生まれた。2023年9月現在で1歳3か月になる。
一つ一つ乗り越え、実家を出て一人暮らしを始めたら結婚し、更には母になった私。
実家を出るとき、結婚だけは絶対に自分の好きな人としたいと決めていた。なぜなら、母は私が長女だから跡を取るのが当たり前。長男以外の公務員にしろとかずっと私に言い続けていて、私の妹が結婚してから流石に焦ったのか(妹は市役所職員で、同じ職場で出会った私と同い年の当時の広報課職員と結婚した)、私を無理矢理結婚相談所に登録させた。お金は払うから言う事聞けと連れて行かれ、そこのおばちゃんに「どんな人がいいの?」と聞かれたら「長男以外の公務員がいい」と母が答えてておばちゃん苦笑。「〇〇県だったらそういう人いるよ、警察官でもいい?」と聞かれたので「はい、構いません」と言ったら、母が慌てて「できれば地元の人がいいんですけど」と修正してて「何だ、お母さんが娘さんを離したくないだけじゃない。もしかして、これ全部お母さんの希望?」とすべてお察しの様子。
「だったらお母さんが婚活したら? ねぇ、だってお一人でしょう? お嬢さんの意志でここに来るならわかるけど、お母さんが出てきたらそりゃうまくいくものもうまくいかなくなるわ」と言われ、母は「うちにはうちの事情があるのに」とか「所詮他人だから無責任なことしか言えない」とか逆ギレしてたが、私は「おばちゃんよくぞ言ってくれた」と感謝していた。
我が子の代わりに親が動いて婚活すると言う話を聞くが、それでうまく行った例を聞いたことがなかった私。「いくら子の将来を思ってよかれとやるにしても、本人の意志を無視して勝手に話を進めるのはただの迷惑行為でしかないよな」と思う。善意のつもりだったとしても、そこには必ず「親の願望」があり、それを子の人生に押しつける形にどうしてもなってしまうからだ。
子は親のために生まれてきたわけではない。親が望んで我が子を産み育てた。ただそれだけで「親の人生=子の人生=幸せ」と錯覚した親ほど、子を知らず知らずのうちに闇に落としている気がする。
何より自尊心を傷つけ、「お前一人では何もできない」という無言のメッセージを送り続けている自覚がないのが厄介だ。話が通じない親を説得するのはほぼ無理だ。「親に理解してもらうにはどうしたら良いか」なんてことは、本来考えるまでもないはずなのに、真面目な人ほど問題解決に奔走し、貴重な時間をあれこれ悩みながら立ち止まって行動を起こすことなく消費し続けてしまうという悪循環が生まれる。
行動を起こす勇気と覚悟。婚活を成功に導くためのヒントはここにあり、その後の人生のヒントもここにあるのだと私は婚活を通して実感した。厳密に言えば、婚活を成功させるために実家を出て自立することから学んだのだが、いずれにしても現状維持は後退するばかりなのは確か。
夫と付き合い始めて間もなく、母から電話があり、「親戚が勤める病院の看護師で独身のいい人がいるんだけど、今付き合ってる人いる?あ、あと結婚相談所からも紹介があったんだけどどう?」と聞かれた。婚活をやめた直後に舞い込む縁談。もちろん断った。普通の会社員だと伝えると、「長男?」と真っ先に聞かれた。「一人っ子長男だけど」と言ったら「あ、そっか……」と一瞬黙った。実は、私の狙いはここにあった。
あえて、一人っ子の男性を選んだ理由。
代々有名な由緒あるお家柄でもないのに、たまたま200年以上前から続いた我が家の歴史に幕を下ろすときが来たのだと身をもって知ってもらいたかった。そして、自分が婿入り結婚して失敗した現実と向き合い、今回の縁を逃したら二度と子の縁談は来ないかもしれないという崖っぷちの状態を作って婿入りを阻止したかった。まして、未だに独身の叔母がいる我が家に婿入りさせるのも気が引ける。更に義母の押しの一手が決め手になった。
「よくお一人で二人の娘を大学まで行かせた。私はそんなあなたのお母さんを尊敬する。そんな手塩にかけた長女をいただくのは非常に心苦しいが、あえて言わせて。ぜひうちにお嫁に来て欲しい。こんな素晴らしいご縁に出会えたこと、私はとても感謝している。協力できることがあれば遠慮なく言って。できる限りのことはさせてもらうから。どうか末永くよろしくお願いいたします」と。ここまで言われて漸く母も断る理由がないと悟ったのか「それなら」とすんなり了承し、縁談がまとまった。そして面白いことに、我が家は女系家族だったのだが、自立を促してくれた叔母が嫁ぐ頃から「男の子」しか生まれていない。我が家を出ると男の子が生まれるというジンクスは、私の出産でほぼ確実だと認定されることになった。
人生はないものねだり。それでも、その中にはかけがえのない宝が眠っている。それに気づくか気づかないかだけで、世界が変わる。婚活は、自分の幸せだけ追い求めている以上成功はない。奔走するよりも、立ち止まった時に意外と原石は近くにあったりするものだ。ただの石ころだったとしても、愛おしいと思った瞬間宝になる。
そんな人と出会えたら、それ以上の幸せを求めるのはかえって贅沢というものだ。