荒れていたのは、高校三年の私。
思えば、心の底からひどく嘆いてばかりいた。
誰も私のことをよく見ないくせに、誰もが私のことをひどく否定ばかりするから。
「駒田さんやめて!」
「何やってんだ、駒田!」
「誰か先生を呼んできて!」
周りの叫び声を無視して、教室にあった椅子を一つ持ち上げて二階の廊下ガラスを片っ端から割っていた。ガラスの破片は飛ぶとともに、誰かの悲鳴が上がる。
「駒田さん、両親を早くに亡くしているからこんなに暴れるんだよね。かわいそう」
周りにいた誰かの声がぼそっと聞こえたとき、私は椅子を……力なくおろした。また親のせいになった。私が高校二年の時に亡くなった両親のせいになる。
……いつもそうだ。
両親を亡くして確かに寂しいのはある。
だけど、何で?
何で世間は私を見ようとしないで、私の周りを責める?
どうして私のせいにしないの?
うまくいっても、いかなくても「両親がいなくて大変だね」とか「両親がいなくてかわいそうだね」って周りから言われるのはどうしてなの?
そんなんじゃない。もっと私を普通の人として見てほしい。だけど、言葉にうまくだすのは周りが思うよりとても難しい。
違うって言う方法がガラスを割るということだった、なのに実行に移しても何も満たされずに、私の人生も自分で割ったガラスとともに砕けていくように感じた。
失敗したらやり直せばいい。
破片を合わせてくっつければ元に戻る。
そんな簡単な話では、もうない気がした。
接着剤でつけてもヒビだらけ。
またすぐに割れてしまう。
周りの関係も……私自身も。
ごめんね、お兄ちゃん。親代わりとして仕事が忙しい中で私のせいでまた学校に謝りに来なければならない。
一度目に私が校舎のガラスを割った時、お兄ちゃんは学校に呼ばれて叱られたのに家に帰っても私を責め立てなかった。多分、いつも無口だからという理由なのではなく、言えなかったのだと思う。お兄ちゃんも世間と同じ『両親がいないから』という考えを持ち、そして今回私が校舎のガラスを割ったのは自分がふがいないせいだと自分を強く責めたから。
建物のミニチュアを作っているときとは全然違う、お兄ちゃんの輝きのなくなった瞳を見て、私はもう暴れたりしないと心に誓ったはずだった……なのに……。
もう遅い。
もう私の人生はどうしようもないということがその時に痛く理解できた。
二度目のガラスを割ってどうしようもない自分に落胆した時、騒ぎに気づいた佐原先生は私の側に颯爽と来た。他の先生が私に怒鳴り散らして、私は他の生徒に白い目で見られていたのに、佐原先生は何も言わずに、表情を大きく変えることもなく、さっと私の腕をつかんで口を開く。
「ついてきてください」
私は一度思いきり手を振り払おうとした。でもさすがそこは男性というだけあって、佐原先生には力で敵いそうになかった。
私は黙りこむ。佐原先生はそっと私の腕をひいてそのまま歩きだした。