「ただいま」
家にたどり着くと同時に、『ボク』は声を漏らす。
どうせ誰もいやしないんだけど。
思ったとおり、部屋の中はしんと静まりかえっていた。
他には人はいない。たぶんお母さんは今日も夜遅くまで帰ってこないだろう。
ボクは一人部屋の中で宙を見上げる。
あの後、たけるくんは忘れてしまった。もういちどボクの事をすべて忘れてしまった。
今度こそ、今度こそボクのことを忘れないようにって。そう思っていたのに。
たけるくんは再びボクのことを忘れてしまった。
たけるくんは忘れてしまう。ボクのことを忘れてしまう。
わかっていた。わかってはいたけど。思うだけで涙がこぼれてくる。
「どうして……忘れちゃうのかなぁ……」
部屋の中にボクのつぶやきが漏れる。
たけるくんはボクのことを忘れてしまう。もう何回繰り返しているのかわからない。
キタミ亭で一緒に食べたパフェ。初めて食べた時の事は忘れられない。だからボクは何度でも繰り返す。キミがボクのことを思い出してくれるまで。
そしてもういちどボクのことを好きになってくれるまで。
でもそうしたら。またキミはボクのことを忘れてしまうのかな。
ボクは胸の前で手を押さえる。
たけるくんは何度もボクのことを忘れてしまう。たぶんこれからも何度でも。
たけるくんは一番好きなもののことを忘れてしまうという病気だった。好忘症とか言うらしい。何なのその病気。訳がわからない。そう思うものの、たけるくんが病気なのは隠しようのない事実だった。
ボクのことを助けてくれたこと。ボクがたけるくんに告白をしたこと。たけるくんもボクのことを好きになってくれたこと。ボクと彼氏彼女になったこと。たくさんの思い出を作ったこと。すべてすべて忘れてしまった。
最初にたけるくんがボクのことを忘れた時は、冗談を言われているのだと思った。それからからかわれているのかと思って怒りもした。だけどすぐにそれは忘れたふりではないことを理解できたとき、ボクは絶望を覚えて、目の前が真っ暗になった。どうすればいいのかわからなかった。
たけるくんがボクのことを知らない。目の前にいるたけるくんはボクがどれだけたけるくんに救われていたかしらない。そのことが恐ろしくて、苦しかった。
もしその時にたけるくんのお母さんに、病気のことを聞かされていなければ、ボクはそのまま闇の中に取り込まれていたかもしれない。そう思えばたけるくんの発症に気がついたのが、たけるくんの家に訪れた時だったのは幸いだった。
たけるくんのお母さんは何度もボクに謝ってくれていた。でもお母さんには何の非もないのだから、ボクには何も言えなかった。ただただうなづくことしか出来なかった。
たけるくんの病気は『一番好きなもののことを忘れてしまう』。そして忘れてしまったことすら、たけるくんには理解が出来ないのだと言う。
最初の発症はサッカーをしている時の事だったらしい。
たけるくんはサッカーが大好きだった。だけど試合の最中に倒れて、それからサッカーのことを忘れてしまったらしい。サッカーのルールすらも曖昧で、サッカーに対する情熱や知識はすべて失われてしまっていたとのこと。
もし忘れてしまった事実を教えたとしても、そのこと自体が引き金となって、再び好きなもののことをまた忘れてしまう。
だから本人にはストレス性の適応障害という説明をしているとのことだった。
好きなもののことを忘れてしまう。本人がもしそんなことを知ってしまえば、何かを好きになることを恐れてしまうようになるかもしれない。あるいはそうならなかったとしても、そのせいで好きなもののことを知れば教えたことも含めて再び何もかも忘れてしまう。
だからたけるくん本人には説明せずに、周りの人にだけ説明をしているとたけるくんのお母さんから話を訊いた。ボクには事前に教えることができなかったことを、何度も何度もお詫びされてしまった。
でもそれで良かったと思う。
たけるくんが一番好きなもののことを忘れてしまうのなら、たけるくんの一番になろうだなんて思えなかったかもしれない。たけるくんとつきあおうなんて思えなかったかもしれない。
そんなのは嫌だ。たけるくんの一番でいたかった。一緒にずっといたかった。だから一番好きなもののことを忘れてしまうというのなら、たけるくんがボクのことを一番好きだと思ってくれたってことだから。だからボクにとって嬉しいことだからって。
半分は強がりだった。でもそれでもボクはたけるくんの気持ちを嬉しく思った。
だからボクは心に誓った。
何度忘れられても。覚えていなくてもいい。
何度でもボクのことを好きになってもらうって。
今日たけるくんがボクのことを忘れたのは、これで何回目になるだろうか。もうすっかりたけるくんが何を言う、どう接してくるかなんて予想がつくようになってしまった。
こうして繰り返すことに慣れっこになってしまった。
だけどそれでも忘れられることは。辛くて。悲しくて。何度もボクの心は引き裂かれそうになっていく。心の落とされた影は、ボクの気持ちを少しずつ蝕んでいく。
家にたどり着くと同時に、『ボク』は声を漏らす。
どうせ誰もいやしないんだけど。
思ったとおり、部屋の中はしんと静まりかえっていた。
他には人はいない。たぶんお母さんは今日も夜遅くまで帰ってこないだろう。
ボクは一人部屋の中で宙を見上げる。
あの後、たけるくんは忘れてしまった。もういちどボクの事をすべて忘れてしまった。
今度こそ、今度こそボクのことを忘れないようにって。そう思っていたのに。
たけるくんは再びボクのことを忘れてしまった。
たけるくんは忘れてしまう。ボクのことを忘れてしまう。
わかっていた。わかってはいたけど。思うだけで涙がこぼれてくる。
「どうして……忘れちゃうのかなぁ……」
部屋の中にボクのつぶやきが漏れる。
たけるくんはボクのことを忘れてしまう。もう何回繰り返しているのかわからない。
キタミ亭で一緒に食べたパフェ。初めて食べた時の事は忘れられない。だからボクは何度でも繰り返す。キミがボクのことを思い出してくれるまで。
そしてもういちどボクのことを好きになってくれるまで。
でもそうしたら。またキミはボクのことを忘れてしまうのかな。
ボクは胸の前で手を押さえる。
たけるくんは何度もボクのことを忘れてしまう。たぶんこれからも何度でも。
たけるくんは一番好きなもののことを忘れてしまうという病気だった。好忘症とか言うらしい。何なのその病気。訳がわからない。そう思うものの、たけるくんが病気なのは隠しようのない事実だった。
ボクのことを助けてくれたこと。ボクがたけるくんに告白をしたこと。たけるくんもボクのことを好きになってくれたこと。ボクと彼氏彼女になったこと。たくさんの思い出を作ったこと。すべてすべて忘れてしまった。
最初にたけるくんがボクのことを忘れた時は、冗談を言われているのだと思った。それからからかわれているのかと思って怒りもした。だけどすぐにそれは忘れたふりではないことを理解できたとき、ボクは絶望を覚えて、目の前が真っ暗になった。どうすればいいのかわからなかった。
たけるくんがボクのことを知らない。目の前にいるたけるくんはボクがどれだけたけるくんに救われていたかしらない。そのことが恐ろしくて、苦しかった。
もしその時にたけるくんのお母さんに、病気のことを聞かされていなければ、ボクはそのまま闇の中に取り込まれていたかもしれない。そう思えばたけるくんの発症に気がついたのが、たけるくんの家に訪れた時だったのは幸いだった。
たけるくんのお母さんは何度もボクに謝ってくれていた。でもお母さんには何の非もないのだから、ボクには何も言えなかった。ただただうなづくことしか出来なかった。
たけるくんの病気は『一番好きなもののことを忘れてしまう』。そして忘れてしまったことすら、たけるくんには理解が出来ないのだと言う。
最初の発症はサッカーをしている時の事だったらしい。
たけるくんはサッカーが大好きだった。だけど試合の最中に倒れて、それからサッカーのことを忘れてしまったらしい。サッカーのルールすらも曖昧で、サッカーに対する情熱や知識はすべて失われてしまっていたとのこと。
もし忘れてしまった事実を教えたとしても、そのこと自体が引き金となって、再び好きなもののことをまた忘れてしまう。
だから本人にはストレス性の適応障害という説明をしているとのことだった。
好きなもののことを忘れてしまう。本人がもしそんなことを知ってしまえば、何かを好きになることを恐れてしまうようになるかもしれない。あるいはそうならなかったとしても、そのせいで好きなもののことを知れば教えたことも含めて再び何もかも忘れてしまう。
だからたけるくん本人には説明せずに、周りの人にだけ説明をしているとたけるくんのお母さんから話を訊いた。ボクには事前に教えることができなかったことを、何度も何度もお詫びされてしまった。
でもそれで良かったと思う。
たけるくんが一番好きなもののことを忘れてしまうのなら、たけるくんの一番になろうだなんて思えなかったかもしれない。たけるくんとつきあおうなんて思えなかったかもしれない。
そんなのは嫌だ。たけるくんの一番でいたかった。一緒にずっといたかった。だから一番好きなもののことを忘れてしまうというのなら、たけるくんがボクのことを一番好きだと思ってくれたってことだから。だからボクにとって嬉しいことだからって。
半分は強がりだった。でもそれでもボクはたけるくんの気持ちを嬉しく思った。
だからボクは心に誓った。
何度忘れられても。覚えていなくてもいい。
何度でもボクのことを好きになってもらうって。
今日たけるくんがボクのことを忘れたのは、これで何回目になるだろうか。もうすっかりたけるくんが何を言う、どう接してくるかなんて予想がつくようになってしまった。
こうして繰り返すことに慣れっこになってしまった。
だけどそれでも忘れられることは。辛くて。悲しくて。何度もボクの心は引き裂かれそうになっていく。心の落とされた影は、ボクの気持ちを少しずつ蝕んでいく。