帝が住まう内裏から真っ直ぐ南に伸びている大路。その先に都を囲う塀から出るための大門がある。

 力ある妖の公家が住まう地域は自然と治安も良くなるが、力なき人間の住まう門付近には都の外を根城にする荒くれ者も時折現れた。
 同じ都として囲われているというのに随分と違うなと、美鶴は大門を見上げながら思う。

 数人がかりでなければ開けられないような大きな門は、屋根部分を見れば装飾がふんだんに施されているのが分かる。
 意匠の良し悪しなど分からなくとも、緻密な彫刻はかなりの技術が必要なことくらいは察せられた。

 それほどに力を入れて作り上げた門だというのに、主に利用しているのは平民である人間だけだ。
 公家の妖達は父が仕える中級貴族の様な一部の者を除き、滅多に外へ出ることはない。
 出ることがあるとすれば戦にでも赴くときだけ。
 その戦も久しくない今日(こんにち)、やはり公家の者が利用することはないのだろう。

 目的の門の近くについた美鶴は、運命のときまですることもないので結局言いつけられた反物を探していた。
 このような治安の悪い場所で綺麗な反物など落ちていたら、すぐに盗られてしまうに決まっている。
 見つかるわけがないと思いながらも、地面に目を向けて付近をうろうろと歩いていた。

 このような治安の悪い場所を地面を見ながらひたすらうろついている娘。
 傍から見ていても怪しかったのだろう、訝し気な視線をひしひしと感じていた。

「嬢ちゃん、さっきから見ていればこんなところをうろうろと。何をしているんだ?」

 ついには声をかけられ、美鶴は慌てて顔を上げる。
 不審者と思われてしまっただろうか。
 などと思ったが、見上げた男の顔を見て違うのだと理解する。

「ほお……みすぼらしいなりをしてるが、なかなかのべっぴんじゃねぇか」

 にやにやと下卑た笑みを浮かべる無精ひげの男。
 明らかに親切心や正義感から声をかけてきたわけではないことが分かる。

「今日はついてるぜ。値が張りそうな反物にいい女も見つけるなんてな」

 そう言って上げた男の左手には、紫地の古路毛都々美(ころもつつみ)

「反物?」
(反物って、もしかして……)

 春音への土産かもしれないと瞬時に思ったからだろうか、美鶴は“反物”という言葉につい反応を示してしまった。

「おや? 嬢ちゃんはこれを探してたのかい?」

 笑みを崩さぬまま男は布を開いて見せる。

(藤柄の反物。父さんの言っていた土産の品だわ)

 聞いていた特徴と一致する。
 だが、男の様子からして簡単に返してもらえるとは思えなかった。
 それに、例え返してもらえたのだとしても自分はこれを持って家に帰ることはないのだ。目の前の反物が春音の手に届くことはないだろう。

(違うと言ってこの人から離れよう)

 家に引きこもることが多く世間知らずな部分もある美鶴だったが、人の悪意には敏感だ。
 男の浮かべる笑みが何らかの悪意から来るものだという事だけは何となく理解する。

(これ以上この人と関わってはいけない)

「あの、違うようですので――」
「おお、これはあんたのか!」

 違うと主張する声を遮った男は、否定の声を無視して反物は美鶴のものだと決めつける。

「ちゃんと返してやるから、ちょいと俺に付き合ってくれないかい?」
「え? やっ!」

 強引な話の持って行き方に不安を覚え、すぐにでも逃げようとするが少し遅かった。
 男から離れる前に彼の手が美鶴の腕を掴む。

「ほら、こっちに来るんだ」
「い、嫌です。離してくださいっ!」

 強い力に恐怖を覚え叫ぶが、男が離してくれるわけもなく美鶴はそのまま引きずられるように連れて行かれてしまう。

 周囲から感じるのは哀れみの視線。
 だが、助けようとする者はおらず目が合った人はさっと視線を逸らしていく。
 関わりたくない。態度がそう物語っていた。

 少し悲しくも思うが、治安が悪い場所を女一人でうろついていた自分にも非はあるのだろう。
 例え自らの意思ではなくとも、周囲にはそのようなことは分からないのだから。

 だから、助けてもらおうなどとは思っていない。
 どちらにせよあと僅かの命なのだと、それを思うと少し冷静になれた。
 この男が自分をどうするつもりなのかは分からないが、大したことは出来やしない。

(だって、きっともうすぐ……)

「かっ火事だー!」

 どこからともなく叫び声が聞こえた。

「なっ⁉ 火事だって⁉」

 瞬時に男が叫び、周囲も慌ただしく動き出す。
 火元は近いようだったが、こちらは風上なのか焦げた臭いなどはしなかった。

「ちっ! 早く来い!」
「あっ!」

 火事という緊急事態にも関わらず、手を離そうとしない男。
 仕方なく引かれるままに足を進めながら、美鶴はどこか納得していた。

(火事なのに何故火に巻き込まれるまで家に帰らなかったのかと思っていたけれど、こういう状況だったからなのね)

 予知で見た自分は明らかに門の近くの建物付近にいた。
 木造平屋が立ち並ぶ都は火の回りが早い。そこに住んでいる者以外は早々に避難するのが常だった。
 だというのに小屋が倒壊するほどの火に巻き込まれるまでこの辺りにいたのは、この男に捕まっていたからなのだろう。

(あ、だとしたら……)

 それならば、この男も危ないのではないだろうか?
 予知では自分以外は見えなかったが、この男に連れて行かれた先での出来事に違いない。
 善人とは思えないが、死んで当然と思えるほどこの男のことは知らないため、巻き込むのは忍びないとも思う。

「あの、離した方が――っ⁉」

 どう説明すればいいのか分からなかったが、とりあえず巻き込まれないうちに手を離した方がいいだろうと声をかけようとして気付く。

(風向きが、変わった?)

 突風でも吹いたのだろうか。
 突然焦げた臭いと熱風が美鶴と男を襲う。

「っ! なんだ⁉」

 今まで以上に慌てた男は周囲を見回しぎょっとする。
 美鶴も倣って男の視線の方へ目をやると、赤くうねる炎が見えた。

(嘘……火の回りが早すぎる)

 風向きが変わったとはいえ先ほどまでこちらは風上だった。
 しかも火元からは離れるように進んできたはず。
 だというのにもう炎が見えるほど燃え移っているとは……どこか人為的なものを感じたが、今はそのようなことを考えているときではなかった。

「ひっ! もうこんなところに⁉」

 悲鳴を上げた男は一瞬迷うそぶりを見せたが、すぐに決断したようだ。

「仕方ねぇ、反物だけでも今日の食い扶持は稼げる。じゃあな嬢ちゃん!」

 自らに言い聞かせるように呟いた男は、言い捨てると美鶴の腕を離しどん、と肩を押した。
 押された美鶴はよろめき尻もちをつく。
 お荷物になると判断したのだろうが、押すことはないだろうと僅かに怒りが湧いた。
 だが怒りの声を届ける前に男は走り去って行く。

 逃げ足の速さに驚きつつも立ち上がると、熱気をすぐ近くに感じた。
 見ると、まだ離れた場所にあった炎が美鶴の周りを取り囲んでいる。
 尻もちをついて立ち上がるという僅かな間で、火の手から逃げる術が無くなってしまっていた。

(やはり早すぎる)

 燃え移ったばかりの炎を見ると、まるでそこに直接風が送られているかのように燃え盛るのが早い。
 人為的なものを感じると思ったが、これは人の仕業とは思えなかった。

(人ではないとすると妖?)

 妖という事は公家の者なのだろうか。
 平民を守ってくれるはずの公家がこのようなことをするとは思いたくない。
 確かに横柄で平民を切り捨てるような者もいると聞くが、火をつけるとなると大勢が死ぬ。
 そこまでのことをする公家がいるとは思いたくなかった。

(ああ、でももう私には関係のないことだわ……)

 炎が美鶴を囲い、死が更に近付いたことで逆に冷静になる。
 自分はここで死ぬのだ。もう終わりだというのに、先のことを考えても仕方のないこと。
 ぼう、と立ち尽くしたままうねり狂う赤い炎を見つめる。

 見ている分には綺麗だとも思う。
 だが、この炎は自分の身を焼くものだ。
 熱いだろう、痛いだろう。
 そうは思うのに、どこか他人事の様にも感じる。

 ぱきぱきっと、近くの小屋の柱が鳴り視線を上げた。

(ああ……そう、この柱だわ)

 予知で視たものと重なる。
 この柱が倒れて、自分は死ぬのだ。
 そう、淡々と死を受け入れようとする。
 なのに、ばきん! と一際大きな音が鳴って柱が落ちてきた瞬間、脳裏にある記憶が蘇った。

 走馬灯なのだろうか。
 今ではもう忘れてしまったと思っていた記憶。
 春音が生まれるより前、異能を持っているとまだ分からなかった頃の記憶。
 母に、「愛しているよ」と抱きしめられたことを思い出してしまった。
 何故今それを思い出してしまったのか。
 今はもう愛されてなどいないのに。
 思い出して、生き延びたとしても愛されない日々が続くだけなのに。
 なのに、思い出してしまったから……だから、思ってしまった。

(生きたい!)

 でも、赤い炎を纏った柱は無情にも美鶴に向かってくる。
 避ける暇もなく、腕を上げて身を守るそぶりしか出来ない。
 生きたいと今更思っても、死は目の前に迫っていた。

(そうよ、予知を変えることは出来ないのだったわ)

 今まで、どんな事柄でも変わることはなかった。
 当たって欲しくない予知を回避しようとしても、それは必ず起こってしまう。
 生きたいと胸に宿った灯は燃え盛りそうなほどに熱いのに、現実だけが上手くいかない。
 そして、まさに美鶴の身に柱が落ちる寸前それは起こった。

 ごぉうっと音を立て、青い炎が目の前を横切る。
 その炎は美鶴に落ちてくるはずだった柱を押しのけ吹き飛ばした。