「えー、3年生の皆さんご卒業おめでとうございます・・・」

 壇上で話している校長先生の話に片耳だけ向ける卒業生。

 一体300人にもわたる卒業生のうち、何人が校長先生の話を真面目に聞いているのだろうか。

 これが最後だからという理由で、普段は聞いていなくとも今日だけは聞いている生徒も中にはいるに違いない。

 僕もそのうちの1人だ。

「18歳の皆さんが今立っている道は一本道ですか?違いますよね。きっと多岐に分かれているはずです。今、あなたが選んだ道で大きく人生は左右されることでしょう。どんな道に進んだとしても、決して自分が選んだ道を後悔し続けないでほしい。これは、大変難しいことなので、今は頭の片隅にでも入れておいてください。いずれわかる時がきます。最後にひとつだけ伝えたいことがあります。後悔してもいい。失敗してもいい。泣いてもいいんだ。でもね、前だけは向き続けなさい。後ろには何もありません。僕らは常に前へ進むしかない生き物なのです。明日を変えることができるのは、今を生きている自分だけなのです。それを胸にこれから先も頑張ってください。皆さんの卒業を見守れて大変嬉しく思います。3年間、元気に登校してくれてありがとう」

 マイクから離れ、お辞儀をする校長先生。

 僕は無意識に手を叩いていた。きっと校長先生の言葉に感化されたのだろう。

 会場全体からまばらに湧き起こる拍手。ものの数秒で体育館全体が拍手に包まれていく。

 中には卒業式マジックなのか、校長先生の言葉によるものかは分からないが、涙を流している者もいた。

 危うく僕も釣られて涙が出そうになった。こんなにも校長先生の言葉が胸に響くとは...

「校長先生、ありがとうございました」

 式の司会担当である教頭先生の声が、場内に響き渡る。

「続きまして、答辞。卒業生代表、桜庭姫花」

「はい!」

 彼女の声が波紋のように前方から後方へと広がっていく。

 ゆっくりと堂々とした立ち振る舞いで壇上のマイクの前へと歩みを進める彼女。

 一挙手一投足までもが美しくて、彼女が話す前から泣いてしまいそう。

 スーッと彼女が息を吸う音が、マイクに拾われてしまう。

 "頑張れ"と心の中で囁く。

「暖かい日差しが降り注ぎ、桜が満開に咲き、春の再来を感じる今日、私たち36回生は卒業の日を迎えました。本日、お忙しい中、私たちのためにご臨席くださいました皆さま、誠にありがとうございます」

 澱みのない透き通った綺麗な声。普段の彼女とは一変して別人の雰囲気。

 彼女の緊張している様子が、座っているだけの僕にまで鮮明に伝わってくる。
 
 あぁ、僕たちは本当に卒業してしまうのだ。

 寂しくも懐かしい想いが込み上げてくる。

 彼女の話す思い出の数々のエピソードの節々には、喜怒哀楽の想いが詰まっているのが感じ取れてしまう。

 入学式、文化祭、体育祭、修学旅行。そして、何気ない普段の日常。

 全てがここにいる者にとって、かけがえのない時間だっただろう。

 あの時に戻りたいと思わせてくれる日常が、確かにそこにあったんだ。

 でも、僕らは旅立たなければならない。この日常から次の世界へと羽ばたいて行かなければ...

「最後になりましたが・・・」

 どうやら彼女の答辞も終わりを迎えているらしい。

 僕の周囲には、泣いている者もちらほら見受けられる。

 そこに男女の差はない。みんながこの瞬間を嘆き、想いを一つにしているんだ。

「これまで私たちのことを温かく見守ってくださった地域の皆さま、時には厳しく叱って私たちを導いてくださった先生方、本当にありがとうございました。そして、これまで育ててくださったお父さん、お母さん。いつも私たちに寄り添い、励ましてくれたことに感謝しています。なかなか素直になれず、反抗していた時期もありました。特に、高校3年生という人生の岐路に立たされた私たちは不安でいっぱいでした。それでも、私たちから目を背けず、向かい合ってくれたおかげで今の私たちがここにいます。普段は照れ臭くて言えませんが、この場をお借りして言わせてください。いつもありがとう。私たちは、それぞれの進路に向かって歩みを進めます。時に大きな壁にぶつかり、立ち止まることもあるかもしれません。でも、私たちはこの学校で得た思い出や学びを糧に生きてゆきます。本当にありがとうございました」

 終わってしまう。僕らの高校3年間がもうすぐ幕を閉じようとしている。

 「答辞といたします」の一言を告げ、壇上からゆっくりと僕らの元へと戻ってくる彼女。

 その顔は、自信と誇り。そして、希望に満ち溢れていた。

 次進むべきステージへと、向かうための準備が整っているのにふさわしい表情。

 会場全体が拍手の渦に包まれる。

 会場の誰にも負けないくらい大きな拍手で彼女を称えた。

 自己満足でしかなかったが、このくらいは1番でありたかった。

 彼女の1番にはなれなかったが、せめて彼女のための1番に...