ユーイチの言葉にふふっと微笑んだお母さんは、窓越しにわたしと視線を絡ませた。

 移ろう緑の中、柔らかな表情のお母さんが透けて見える。そこから目を離せずに、しばらく視界に映していると。

「どんな環境に置かれても、人生を楽しめちゃう人は楽しめちゃうものなのね」

 と、お母さんは言った。

 その言葉は鼓膜で居座って、徐々に徐々に、わたしの肌へと染みていった。
 それはまるで、ほんの一滴垂らした細やかなスポイトの水が、案外広範囲に渡ってティッシュを濡らす時のように、わたしの心へ浸透した気がした。


 ユーイチがわたしの通院に付き添うのは、珍しいことではない。彼が初めて伴ってくれたのは、もうずいぶんと昔の、十年以上も前のこと。

 電車を乗り継ぎバスに乗り、往復四時間は要する辺鄙な場所にある病院までの道のりは、いつもいつも退屈していたわたし。

 常に乗り物に揺られているから、漫画本などを読めば酔ってしまうし。
 かと言って、お母さんとするしりとりやなぞなぞも、そう長くしていれば飽きてしまうし。

 時々、平日休みをとってくれたお父さんが運転する車に乗って、家族三人で病院に向かう時は、眠ってしまえばいいけれど、それも上手に夢の中へと落ちていけなかったら、すぐに手持ち無沙汰になってしまい、暇な時間を過ごすだけ。

 いやだ、つまらない、行きたくない。

 そんなことばかりを連呼するわたしへの対応をお母さんが相談したのは、ユーイチのお母さんだった。