そりゃそうでしょ。

 と、お母さんの返事を勝手に決めつけてしまえば、再び込み上げてくる静かな憤り。

 和子はもうすぐこの世からいなくなっちゃうんだから。最後の最後くらい、優しく接してあげないと。

 幻聴が聞こえてきて、反吐が出そうになる。だけどこの幻が言っていることは、あながちお母さんの心の声で間違ってはいないと思った。

 だって傘、ほとんどの人がいらないんだもの。
 10パーセントの確率で雨が降るというのにもかかわらず、キャスターは、視聴者に傘の携帯を促さなかったんだもの。

 90パーセントにものぼる大勢の人々が、雨には濡れないという大きな自信。

 過半数の人々が、今日の天気を晴れだと感じるだろうという、決定に近い暫定。

 つまりは確率って、そういうことだ。

 あてずっぽうで口にする憶測とは違って、確実な根拠とデータを元に計算して出している、確かなパーセンテージなのだ。

 吐きたくても、お腹の中は空でなにも入ってはいない。
 喉元まで上がってきた胃酸が、わたしの不快に拍車をかける。

 ねえ、お母さん。わたしがアメリカの手術を受けて助かる確率は、どうして90パーセントじゃなかったんだろう。どうして誰もがないに等しいと感じる、10パーセントの確率しかないんだろう。

 もし、90パーセントだったら。

 そしたらきっとわたしだって、もうアメリカに飛んでいるのに。
 手術だって無事に受け終わっていて、今頃リハビリなんかに取り組んでいて。お父さんとお母さんと三人で、明るい一年後の話だってできていたのにね。

 ねえ、お母さん。どうして?

 どうしてわたしの人生は、たった10パーセントの確率でしか未来に繋がらないの?