【1月書籍化&コミカライズ配信中!】今宵、この口づけで貴方様を――

目の当たりにした貴一の禍々(まがまが)しい負の呪術に恐れおののく呪術師たち。


「お父様、とってもかっこよかったわ!」


戻ってきた貴一に駆け寄る乙葉。

八重もそのあとに続いてやってくる。


「貴一さんったら、呪披の儀だからといって張り切りすぎよ。私たちの順番はまだまだ先なのだから」

「ああ、そうだな。ちょっとした準備運動だ。それに、我らは帝より授かりし『神導位』。帝に危害を加えようとする者は、何人たりとも許しはしない」


貴一はそう言って、ようやくまともに呼吸ができるようになってきた草刈家当主に視線を送る。

その視線に気づいた草刈家当主は、よろよろと立ち上がり貴一を指さす。


「…それよりも、黒百合!今のは『負の呪術』だろ!?それを使えば、いくら神導位のお前だってただでは済まないはずだっ…!!」
そう。

この男の言うとおり、人を傷つける『負の呪術』は朝廷から使用禁止と通達されている。


もし、負の呪術を使用していることが知られた場合、その呪術師、並びにその呪術家系は罰を下され、まるで罪人と同じように世間から吊るし上げられるのだ。


そのかわり、正の呪術で人や社会に貢献する功績が認められれば、帝から金一封が贈られる。

神導位の支援金に比べれば少ないが、それでも贅沢な暮らしができるほどの額だ。


『正の呪術で、この国に住む人々の生活をより豊かに』


代々朝廷からはそう提示されているが、実はそれはただの建前。


本当のところは、負の呪術に特化した呪術師が誕生するのを未然に防ぐためだ。


なぜなら、呪術師が本気になって負の呪術で戦を仕掛ければ、帝の軍なんてあっという間に壊滅させられる。
呪術を悪用した呪術師に朝廷を乗っ取られないようにするため、『負の呪術禁止令』が下されているのだ。


「たしかに…負の呪術なんて、こんな場で使って大丈夫なのか?」

「まあ、ここで黒百合家がいなくなってくれれば…こちらとしてもありがたいのだが」


ヒソヒソと話す呪術師たち。

貴一はそんな呪術師たちには目もくれず、フッと小さく笑う。


「心配ご無用。それよりも、ご自分の身の心配をしたらどうだ?草刈家当主よ」

「…なんだと?オレが?…オレは負の呪術なんて使ってないぞ」

「そうだな。兵たちを弾き飛ばした呪術は、思いのままに物を動かすことができる正の呪術。しかし、お主はその使い方を間違った」


尚もピンときていない草刈家当主に、貴一はさっきの出来事の説明をする。


草刈家当主が先程発動した呪術は、熟練度によってはどんな重たいものでも自由自在に動かすことができる便利な正の呪術。
しかし、草刈家当主はそれを兵たちをなぎ倒すことに利用してしまった。


威嚇のつもりで発動しただけで、実際に兵たちはたいしたケガは負っていない。


そうであったとしても、人を傷つける恐れがあったことに変わりはない。


「正の呪術も、使い方によっては負の呪術となりうる。それくらい、呪術師なら知ってて当然のことだと思うが?」

「…待てっ!!それならお前はどうなんだ!負の呪術で、オレを殺そうとしただろう!?」

「そうだ」


貴一は表情を一切変えず、毅然とした態度で言い放つ。


「…おいおい。そんなはっきりと『そうだ』…なんて言いやがって」

「なにかおかしいところでもあるか?神聖なる呪披の儀を荒らすお主を鎮めるために、神導位として当然のことをしたまでだ。それに、わしが使ったのは負の呪術であって負の呪術にあらず」
「…は?なにを言ってやがる」

「わしは、帝のお命をお守りするために呪術を使った。つまりそれは、帝のお役に立つことができる正の呪術ということだ」

「なっ…!そんなの、ただの屁理屈じゃねぇか!」

「屁理屈かどうかは、帝がご判断されること」


実際、そのあと帝から下されたのは、今後100年呪披の儀の出席を禁ずるという草刈家への処罰のみだった。


貴一の言うとおり、草刈家当主に向けた負の呪術は、帝を守るための正の呪術であったと見なされ、黒百合家は一切処分を与えられなかった。


その後、草刈家当主は皇居から追放され、貴一たちは何食わぬ顔で呪披の儀の場に残った。


「まさか、負の呪術を使ってお咎めなしとは…」

「たしかに、あのまま草刈家当主を野放しにしておいたら、帝に危害が加わっていたかもしれないが…」
「とは言ったって、…これってただの帝様の贔屓(ひいき)じゃないか?神導位だからって」

「…そうだな。なんせ、300年も黒百合家に守られてきてるんだからな」


周りの呪術師たちが小声で話すように、それが正の呪術であるか負の呪術であるかという曖昧な場合は、すべては帝のさじ加減で決まると言っても過言ではない。


今回の貴一の負の呪術の件は、それが神導位の務めとして正しい行いであったと、帝は大いに評価した。


帝と黒百合家は、300年間という長い時をへて紡いできた信頼関係で結ばれている。

帝も、神導位の黒百合家が呪術を乱用するとも考えておらず、やむを得ない場合の負の呪術であれば、だいたいのことは目をつぶるのだ。


それはまさしく、だれかが言っていたように“贔屓”。

しかし、それがまた神導位の特権であったりもする。
そもそも、神導位に最高の呪術師が選ばれる最大の理由は、万が一他の呪術師に帝が命を狙われた場合、その呪術師に対抗し、打ち負かす力が必要であるため。

だからこそ、呪術師の中で最も力ある呪術師が神導位に選ばれるのだ。


こうして初日、2日目と呪披の儀で側近たちの審判が行われ、黒百合家は難なくそれを通過した。


そして、いよいよ呪披の儀最終日である3日目。


『予知眼ノ術』を持つ隠し玉の乙葉を出す必要もないほど、黒百合家が他の呪術師を圧倒。

側近の審判ではまだ披露していない貴一と八重の呪術も他に残っていた。


今回も夫婦2人だけの呪術で帝を魅了し、黒百合家が神導位を継続すること間違いなし。


――そう思われていたが。


「貴一よ。此度(こたび)も珍しい呪術の数々、まことにすばらしかったぞ」
「ありがたきお言葉、感謝致します」


帝に深々と頭を下げる貴一。

その後ろでは、同じように八重と乙葉も頭を下げる。


「黒百合家の呪術にはいつも驚かされて、わらわも子どものころからこの呪披の儀の日を楽しみにしておった」


満足そうな帝の姿を見て、確信したように八重と乙葉は顔を見合わせて微笑む。


今、帝の前にいるのは黒百合家の3人のみ。

最終日に残ったあとの呪術師たちは、帝のお眼鏡にかなわず全員返されていた。


何度も呪披の儀を経験した貴一にとって、この流れで帝から神導位継続を言い渡される想像はついていた。


「さて、新たな神導位についてじゃが…。ここでひとつ、そなたと手合わせしてもらいたい相手がおるのじゃ」


だからこそ、予想もしていなかった帝の言葉に貴一たちは意表を突かれるのだった。
「手合わせしたい相手…でございますか?」

「そうじゃ。さっそくその者をここへ呼んでまいれ」


帝がそう言うと、側近がすみやかに部屋から出ていく。

予想外の展開に、動揺を隠せない貴一。


少しして側近が連れてきたのは、1人の長身の若い男だった。


美しい銀色の短髪。

ほのかに揺れる耳飾り。


そして最も特徴的なのは、鼻から顔の上半分を隠すようにしてつけられた白い狐の面。


見るからに、怪しげな男だということはわかる。


「帝様、この方は…」

「実は、わらわもよく知らんのじゃ」

「な…なんと…!そのような者を…この皇居内へ!?」

「ホッホッホ〜。よいではないか。よく知りはせんが、腕が立つ呪術師であることはたしかなのじゃ」


帝が言うには、ひと月ほど前、皇居近くで火事があった。