だれかに興味を持ったのは、このときが初めてだったから。


初対面であやかしだと言い当てられ、しかもお互い本当の力を隠して生きていた。

似たような境遇に、玻玖は自然と瞳子に自分を重ねていた。


その後瞳子の呪術が認められ、黒百合家は特別に『準神導位(じゅんしんどうい)』という名の位を与えられることに。


徳川家としては、玻玖の次に優秀な瞳子の存在を他へ渡したくなかったというのが本音だ。


それを機に、新たな力ある呪術師を見つけるため、呪術師たちが持ち前の呪術を披露する『呪披の儀』が行われるようになった。


このころの呪披の儀は、年に一度行われていた。

しかし、玻玖や瞳子に勝る者が現れることはなかった。


神導位である玻玖と準神導位である瞳子は顔を合わせることが多く、似た者同士なこともあり、2人の距離が縮まるのにそう時間はかからなかった。