禄輪はそっと襖の側まで歩み寄った。
「薫」名前を呼んだその瞬間、激しく結界が揺らいだ。波打つそれを撫で付けるように触れる。そして、
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に生り坐る祓戸の大神等、諸の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食と、恐み恐み白す」
祓詞を奏上すれば、揺らいだ結界は光の粒となって空気中に溶けていく。
襖に手をかけたその瞬間、「来ないでッ────」中から悲鳴に近いか掠れた声が聞こえた。
「来ないで、来ないで……!」
「薫落ち着け、禄輪おじさんだ。覚えてるか? よくお父さんに会いに来て、二人とも一緒に遊んでたろ。今年の正月明けに、お年玉のお礼の手紙くれたよな」
「来ないでッ」
まるでこちらの声は届かない。
ただひたすらに拒絶する言葉は、禄輪には悲鳴のように泣き声のように聞こえた。
かわまず襖を開ければ、激しく動揺する空気を感じ取った。
首を廻らせれば部屋の奥の箪笥の影に布団を頭から被ってくるまった小さな影を見つける。
そばに寄らずとも分かるほどに震えていた。