妖の姿は見たことがある。夕方の稽古終わりに稽古場から離れへ戻る時に社頭を歩いている姿を見たり、神職の中にも人型をした妖がいるのを知っている。
しかしすれ違うほどの距離で見たのは初めてで、ほんの少しだけ緊張していた。
賑やかな話し声に楽しげな笑い声、龍笛が奏でる越天楽の音色が頭の中で響く。
唇を一文字に結び、視線を下げて服の裾を握りしめたその時、どんと背中に何かがぶつかり数歩前によろけた。
「おっとすまねぇ! 大丈夫か?」
差し出された爪の鋭い大きな赤い手に驚いて、伸ばしかけた手を引っ込めた。慌てて自力で立ち上がる。
そっと顔をあげればギョロりとした大きな目と目が合って、一瞬息が止まる。視線を上にずらせば、二本の大きな角が頭の上にあった。
「あれ、誰かと思えば、芽じゃねぇか!」
その妖は黄ばんだ鋭い牙を口の端からちらりとみせて、多分笑った。
堪らず顔が強ばる。
「そうか、神修が夏休みだから帰ってきてたんだな! うちの倅も来てるんだよ、遊んでやってくれ!」
肩を掴まれて震える喉で「あ、あの……」と声を出す。
「あん? なんだよ、そんな情けねぇ声出して! 変なモンでも食ったか!?」
ガハハ、と笑う妖に、薫は白くなるほど手を握り深く息を吐いた。