美香子さんは、しゃきしゃきはきはきした人だった。
物言いこそお上品なのものの、性格はテキパキとなんでも仕事をこなし、言うことは物怖じすることなく言い、なんかこう、しゃきっとしている。
その美香子さんに私はあまり追いつけなかった。
歩くのだってはやいし、マナーのことだって厳しいし、歩き方や喋り方さえも色々と言ってくるのだ。
私が伸び伸びとできるのは、お風呂くらいしかない。
そのおかげで、いつも夜には疲労感に襲われて、気絶するように眠りについている。
守ってもらうのもいいものではないな。
そう思いながらため息を吐くと、美香子さんに「ミリ様、ため息はみっともないですわ!」とびしっと言われる。
はいはい、と返事をするとまたもや注意されてしまう。
「はい、は一回でわかりますわ」
返事の回数くらいどうでもいいだろう、と睨むように美香子さんを見つめる。
そのことについては、なにも言われなかった。
私はアネモネをそっと眺めた。
「綺麗な、アネモネですわね」
ふいに小さな声が隣から聞こえた。
誰かを確認しなくても誰かはわかるので、私はアネモネを眺めながら頷いた。
美香子さんが小さい声で言ったのは、きっと気遣ってくれたのだろう。
あの魔術を掛けたときから、アネモネは生き生きと輝いている。
「アネモネ、とても輝いて見えますわね。きっと丁寧にお世話をしているのでしょう」
続いて美香子さんが静かに、優しい声音で言った。
しばらく心地良い沈黙が流れる。
そんな空気を打ち破ったのは、チャイムの音だった。
チャイムの音といっても普通の音ではなく、ぴちゃーん、という不思議な音だ。
もちろん、私の家のチャイムだ。
それしかないだろう。
ソラヌシ城とソラソン城には、チャイムなんてない。
豪華で立派な門とその横に監視カメラが付いているだけだ。
私が出ると、ママが立っていた。
その瞬間にぴぴんと、ママをここに招待した、という話を思い出した。
「ミリ。アネモネを見に来たのだけれど、いいかしら?」
お上品に、ふふ、と微笑んで言われて、私は頷く。
美香子さんが後ろからやってきて、「あなたは、ミリ様のお母さまのエリナ様。初めまして、佐々原美香子といいます。守り神部の名にかけて、ミリ様をお守りいたしますわ。そこで、エリナ様は何用でこちらへ?」と丁寧に腰を曲げて、「暗闇地獄社 守り神部 佐々原 美香子」と書かれた名刺をママに渡しながら、訊いた。
「美香子さん、ママは、アネモネを見に来たの」
私がママの代わりに、そう説明すると、美香子さんは納得したように頷いて「そういうことでしたら、私が紅茶を入れますわ。ルイボスティーでいいかしら?」とにこりと微笑んだ。
ママはあまりの丁寧さに少し戸惑ったような雰囲気で、頷いた。
私は美香子さんに、そんな(あらた)まった感じじゃなくてもいいんですよ、とこそっと言う。
美香子さんは呆れたような表情で、ルイボスティーをカップに注ぎながら、言った。
「エリナ様にどう言えばいいというのかしら。ミリ様のお母さまなのよ。ご不満のないように接しないといけないわ」
ふうー、とわざとらしく息を吐いて、美香子さんはルイボスティーを三人分、木製のおぼんにのせてアネモネの置いてある、寝室に持って行く。
私も持って行くのを手伝おうとしたら、断られた。
「ママ、どう? 綺麗でしょ」
隣に座って言った。
ママは笑顔で頷いて、「とても綺麗だわ。ミリはお花が好きなのね」と私の頭をぽんぽんと撫でた。
なんでわかったの、と訊くと、ママは優しく微笑んで、もちろんこの輝いたアネモネを見ればわかるわ、と言ってくれた。
「やっぱり、ミリはすごく優しい子ね」
私は否定することもなにもできずに頷いて、すごく嬉しい気持ちになる。
生まれて初めて、優しいって言われた……。
もうここに来てから、楽しいことしかない。
本当に嬉しいことと楽しいことしか起きてない。
私がすごく幸せな日常を送っている、ということに改めて気付いた。
「ルイボスティー、どうぞ」
美香子さんがおぼんを持って現れて、ひとりひとりの前にカップを置いてくれた。
心なしか、私のルイボスティーだけ少し少ない気がするけれど、きっと見間違いだろう。
「あ、美香子さん。ありがとう」
お礼を言ってから、私はルイボスティーを一口、口に含む。
ごくり、とルイボスティーは喉を通って静かに私の胃に流れていった。
ママもルイボスティーを美味しそうに飲んでいた。
美香子さんも、自分でいれたのに、意外だという表情で美味しそうにルイボスティーを飲んでいる。
「じゃあ、アネモネも見れたし、そろそろ帰ろうかしら」
ルイボスティーのカップが空になったところで、ママは立ち上がって言った。
私は引き留める理由もないので、頷く。
「また来てね!」
笑顔で私がそう言うと、ママも笑顔で頷き返してくれた。



「そういえば、もう明日だなあ……」
思わず独り言を呟くと、美香子さんに、どうしたんですか、と訊かれた。
「いや、独り言なので気にしないでください」
「そう言われると、余計気になりますわ。それとも、なにか話せない理由でもありますの?」
いや別にそんなことはないですけど……、と言葉を濁しながら言うと、きりっと顔を顰めて言われた。
「はっきり言ってくださらないとわかりませんわ。言いたくないのなら、言いたくない、とはっきり言ってくださらないと困りますのよ」
「はい。いやあの、お父さんの誕生日がもう明日だなって思って……」
そう言うと、美香子さんはさらに顔を顰めた。
「そんなことだったんですの? そんなにうじうじすることじゃないわ」
ずばっと言われて、私は泣きそうになる。
そんなにはっきりと言わなくてもいいのに。
口が裂けても、声に出しては絶対に言えないけれど、そう思う。
「あら、言い過ぎてしまったわ。傷つけるつもりはなかったんですの、ごめんなさい」
表情をぴくりとも変えずに、私の様子に気付いたのか、美香子さんはそう言った。
私はこれもこれで、ダメージを受けながらも頷いた。
美香子さんって、初めて会ったときは神秘的な雰囲気の不思議な人だったのに、今はもう色々なことに厳しい人としか思えない。
「いや別に、傷ついてなんかないです」
そう言うと、美香子さんは「嘘つくんじゃありません。本当は傷ついているのでしょう? そんなことくらい、見ればすぐにわかりますわ」と言いながら、ハーブティーを優雅に飲んでいる。
きっと今までに優雅な日常を過ごしてきたのだろう。
すごく仕草や動きが手慣れている。
それにしても、美香子さん、紅茶好きなんだな、と思いながら私は持っているティーパックを机の上に並べてみる。
その中には、ティーパックだけでなく、水出しの紅茶もあった。
ハーブティーは、美香子さんがここにきたときにお土産でくれたものだ。
私はなにを飲もうか、と思考を巡らせる。
やっぱり、私はダージリンティーがいちばん好きで、冷蔵庫からダージリンティーの入った瓶を出してきて、カップに注いだ。
冷たいけれど、それがまたちょうどいいのだ。
ふーふー、としながら飲む紅茶もいいけれど、冷えている紅茶を飲むのも、私は好きなのだった。
音をたてないように、飲みながら、私は様になっている美香子さんの紅茶を飲む姿を見つめた。
「なんですか? そんなにじろじろと見てくると、気持ち悪がられますわよ」
棘のある言葉でまたもや、美香子さんは言って、ハーブティーを飲んだ。
「すみません。思わず、優雅だなって」
そう言い訳をすると、美香子さんは少し得意げに、ふん、と鼻を鳴らした。
私は美香子さんからまたなにか言われると嫌なので、視線を逸らして、ダージリンティーの水面を見つめた。
一口、飲むたびにゆったりと水面は揺れる。
カップを動かせば、音沙汰ない湖に新たな波紋が広がっていくように、揺れた。
「ちょっと私、お父さんのところに言ってくるね」
沈黙が堪えきれずに、私は逃げるようにそう提案した。
美香子さんは何やら難しそうな本を読みながら、無言で頷いて、本をぱたんと閉じた。
私は椅子から立ち上がって、ダージリンティーを一気に飲み干した。
美香子さんも私のように立ち上がって、玄関に向かう。
外に出ると、爽やかな風が目に染みた。
ソラヌシ城に入って、お父さんを呼ぶとすぐにお父さんは現れた。
「ミリ、どうしたんだ?」
少し強張ったような表情でそう問われて、私は「ただ暇だったから」と返す。
お父さんは、話がある、と言って応接間だと思しき部屋に招かれた。
私はなんの話だろうと思いながら、勧められた二人掛けのソファに美香子さんと並んで座り、お父さんの言葉を待つ。
お父さんは深刻そうに、とても重そうな口ぶりでゆっくりと言った。
「僕は、イスタンブールまで、海外出張に行かなければいけなくなった。ミリはどうする?」
しばらく、なにも返せなかった。
やっと零れ落ちた言葉は、弱々しく、か細い言葉だった。
「いつも幸せなときに、お父さんと離れなくちゃいけなくなっちゃうの? なんでイスタンブールまで、海外出張に行かなくちゃいけないの? どうする、なんて訊かれても、困るよ。自分でもこれから、どうすればいいのか、わかんないのに。海外だから、何年も出張でいるんでしょ。ひとりは嫌だ。ママも美香子さんもいるけど、お父さんもいなきゃ、嫌だ。我儘だって、わかってる。でも、もうこの我儘は止められない。私も一緒にいっちゃ、いけないの? 四人ではいけないの?」
お父さんは突然、話し出した私を驚いたように見つめながら、困ったように言った。
「でも、それはできないんだ。五年だけ、待っててくれないか」
本当に本当に申し訳なさそうに言ってくる、お父さんから私は顔を逸らす。
「わかった。待ってればいいんでしょ、待ってれば。クスノキで待ってるから」
拗ねたままそう言うと、お父さんは「ごめん。必ず、帰ってくるから」と言って部屋を出て行ってしまった。
私は、ああやって強がっていたけれど、本当は苦しくて悲しかった。
五年も一緒にいれないのだ。
苦痛でしかない。
でも、涙を抑えられなかった。
次から次へと、止まることを知らない私の涙は頬を伝って、握りしめた拳の上に落ちる。
美香子さんは静かに、そっと背中をさすってくれる。
そのおかげで、少しだけ心が暖まるけれど、悲しみは消えてくれない。
消えてくれるどころか、増えていく。
「でも……、どんなに辛くて苦しいことがあっても、お父さんに笑顔でいてほしいっ……!」
思わずそう言葉を洩らすと、隣から今までに聞いたことのないほど優しい美香子さんの声が聞こえた。
「それなら、伝えに行かないとですわ。ゆっくりと自分のペースで伝えに行きなさい」
その美香子さんの言葉が、私の悲しみの膜を打ち破った。
私は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、ソファを立ち上がった。
応接間を出て、お父さんの姿を探す。
そこで、ある人物の背中を目が捉えた。
「お父さん! 私、もう泣かないよ! ずっとずっとお父さんを待ってるっ!」
広いソラヌシ城の中、お父さんの姿を見つけて、私は声を張り上げて言った。
もちろん、涙で濡れた顔のままで。
お父さんは驚いたように振り返って、優しく微笑んだ。
「ミリ、絶対に帰ってくるから」
そう言って、お父さんは私のことを抱きしめてくれた。
うん、と頷いて私もお父さんを抱きしめ返す。
暖かい手だった。
ぎゅっとお父さんの手のひらを私の頬にあててみる。
じぃん、と心の奥底から暖まっていくような気がした。
「待ってるから、焦らないで、ゆっくり帰ってきていいよ。私のことは心配しなくていい。美香子さんもママもいるから、大丈夫。体調に気を付けてね。無理したら、だめだよ。ずっといつまでも待ってるから」
そう寄り添うように私は言って、お父さんの頭を背伸びしてなんとか撫でてあげた。
お父さんはにこりと笑顔で、「ああ、待ってて。一瞬で帰ってきてみせる」と私の頭も撫でてくれた。
その暖かい温もりが、とてもとても愛おしかった。



アネモネが風で揺れるのを眺めながら、お父さんの暖かい手を思い出していた。
「絶対に泣かない、なんて意地を張らなくてもいいんですのよ。泣きたくなったときは、泣きたいだけ泣いて、また頑張ればいいんですのよ」
美香子さんは私を勇気づけるようにそう言ってくれるけれど、そういうわけにはいかなかった。
だって、お父さんと約束したんだから。
私は、美香子さんの言葉になにも答えなかった。
寂しくなんか、ない。
「泣いても、いいの……? 約束したのに」
「そう、泣いてもいいんですの。約束だからなんだって言うんですか。どうせ五年もあれば、いつか泣きますわ。そんな約束、口先だけですわ。だから、泣けばいいんですの」
私は美香子さんに強い瞳を向けられて、泣きたくなってくる。
でも、涙はもう引っ込んでいた。
なぜだかわからないけれど、美香子さんが優しい言葉を掛けてくれたから、ということだけは理解できた。
「もう涙、引っ込んじゃった」
そう言うと、美香子さんは、がくっとのけぞって言った。
「でも、泣かなくてすんでよかったですわね」
嫌味なんじゃないか、と思ったけれどなにも言わないでおいた。
お父さんって、こんなにも私の中で強い存在だったんだな。
ふとそう思って懐かしい思いになった。
まずあのクスノキの前で再会してから、いろんなことがあって、今がある。
どれもこれもが、私がお父さんと出会うための試練だったんじゃないか、最近はそういうことをよく考える。
ぽかぽかと日の光で心が暖まっていくのを感じながら、昔のことを思い出す。
色鮮やかな記憶で脳は満たされていく。
嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいことも、全部全部が懐かしい。
どの記憶も全部、愛おしい。
愛おしくて、懐かしくて、優しくて、暖かくて、心はそんな感情で埋め尽くされた。
久しぶりに会ったとき、本当にびっくりした。
まさか鳥さんとまた再会できるなんて、って信じられない思いだった。
それが、今では一緒にいるのが当たり前、のようなふうになっていた。
でも、お父さんはイスタンブールに行っちゃったし、もう五年も一緒にいれないんだ。
一緒にいれて、当たり前なんて間違ってる。
きっと今までの時間は、夢のような幻のような赤いアネモネのような、とても尊くて愛おしい時間だったんだ。
暖かい暖かい、時間だった。
ずっと待ってるから、絶対に帰ってきてね。
別れ際、私はお父さんにそう言った。
「お父さんの誕生日、祝えなかったな……」
ふいに思い出して、そう呟くと美香子さんが「まだそんなことを言っていたんですか。私たちだけで祝えばいいですわ。きっと、お父さまにも届きますわよ」と優しい言葉を掛けてくれた。
「美香子さんって、ツンデレなの?」
訊くと、美香子さんは嫌そうに顔を顰めた。
「違いますわ。私、ただ単に、思ったことを言っているだけでツンデレなんてものじゃありませんの」
ぷい、と顔を逸らして美香子さんは立ち上がった。
「さあ、ケーキを作りますわよ。まずは材料の買い出しに行かないとですわね」
部屋を出て、玄関に向かう美香子さんを追いかけながら、なんか美香子さんとの日常も楽しいな、と思った。
「ふふっ」
思わず笑みを零すと、美香子さんは振り返って「なんですの? なにか面白いことでも?」と怪訝そうに訊かれる。
別に、と私は返して、笑みを隠せずにそのまま靴を履いた。



スーパーで私たちは、ケーキの材料が置いてあるコーナーにいた。
トッピングのものと蝋燭(ろうそく)を買い物かごに入れたのだけれど、どうしてもチョコペンの色が決められない。
普通の茶色もいいし、白もいい。
「全部、買っちゃえばいいんですわ」
美香子さんの声が聞こえて振り返る。
なんかたまに、美香子さんって驚くこと言うよね。
意外に思いながら、私は頷いてピンクと白と普通の色のチョコペンを買い物かごに入れた。
レジに行くと、美香子さんがお金を出してくれた。
ありがとうございます、と私がお礼を言うと、こんなことを言われた。
「私はミリ様の守り神なのですから、当たり前ですわ。これくらいでいちいちお礼なんて言っていたら、きりがないですわ。まあでも、その心は素晴らしいですわね」
珍しく美香子さんは、にこりと微笑んでくれた。
私は戸惑い気味に頷いた。
家に帰ると、スポンジケーキを作る。
今日はチョコレートケーキだ。
お父さんがチョコレートケーキがいい、とこの間言っていたからだ。
美香子さんは混ぜる作業が得意なようだ。
私はお湯を沸かして、チョコペンを温めて使えるようにする。
待ってる間に、私はスポンジケーキをオーブンに入れた。
美香子さんの手際が良いおかげで、想定よりもはやくスポンジケーキができそうだ。
スポンジケーキが焼けるのを待ちながら、私はチョコレートクリームを作る。
美香子さんは、紅茶を準備してくれている。
チョコレートクリームができたところで、スポンジケーキがちょうど焼けた。
私はオーブンからスポンジケーキを出してきて、チョコレートクリームをスポンジケーキの周りに塗った。
そこにチョコの板を置いて、白いチョコペンを使って、「お父さん お誕生日おめでとう!」と書いた。
年齢はわからないので、書かないでおいた。
「あら、美味しそうですわね」
なんだか上から目線で言ってきた美香子さんに私は笑顔で、ありがとうございます、と返した。
嫌味のつもりだったのだけれど、美香子さんは普通に無表情でいるだけだった。
「できた!」
十分ほどでケーキのトッピングが終わり、私はテーブルに置いた。
青色の蝋燭を五本くらい立ててライターで火をつけた。
ゆらゆらと火が揺れていた。
蝋がケーキに落ちる前に、私と美香子さんで、お父さんに届きますようにと願いながら、ふーっと火を消した。
ぱちぱちぱち、と軽く美香子さんが拍手をしてくれて、嬉しい気持ちになった。
「お父さんに、届いたかな」
そう言うと、美香子さんは頷いてくれた。
私はそう信じることにする。
きっとお父さんに届いていて、喜んでくれている。
そうだ、きっとそうだ。
私は少し苦しくなった私をそう考えて、奮い立たせた。
きっとお父さんに届いてる。
「被害妄想ばかりしないほうがいいですわよ。自分の信じていることだけを頼りにすればいいのですわ」
なんかずっと美香子さんに勇気づけられてばかりだな。
そう思った。
私はケーキを切って、美香子さんのお皿と私のお皿にのせた。
フォークで食べると美味しいチョコレートクリームとスポンジケーキの味が混ざって、美味しかった。
ケーキが食べ終わって、残ったのはタッパーに入れておいた。
少し寒くなって、私は日向ぼっこをするために、外に出た。
ちょこんと置いてある、木製のベンチに座って、ぼーっと空を眺めた。
暖かい太陽の光を私の全身が浴びる。
ぽかぽかと暑いくらいに全身が暖まった。
家に戻ると、美香子さんが声を掛けてきた。
「日向ぼっこはどうでしたか?」
にやにやと笑いながら、言ってくるので私は無視をした。
美香子さんは不満そうに、口を尖らせたけれど、なにも言ってこなかった。
お風呂に行って、シャワーを浴びる。
汗だくになった身体に、ぬるいお湯が気持ちよかった。
シャワーから出て、服を着ると、ちょうどいい温度になった。
「美香子さん、ママのところに行ってくるね」
さっき、帰って来たばかりなのにまた外に出るなんて、と思いながら外に出る。
ソラソン城に入って、ママの部屋に行く。
「ママ、いる?」
ノックをして、訊く。
「ミリ? いるわよ」
すると、即座にそう声が返ってきた。
私は部屋に入って、ママに言う。
「お父さんが、イスタンブールに海外出張に行ったの、知ってる?」
そう訊くと、知らない、という声が返ってきて驚いた。
「え、知らないの? お父さんから聞いてないの?」
「ええ、聞いてないわ。あの人、海外出張に行ったの?」
「そうだよ。だからね、さっきお父さんの誕生日でケーキ作ったんだ!」
そう笑顔で言うと、ママも笑顔になって、よかったわね、と言ってくれた。
「それでね、ママにも残ったケーキを持ってきたの。よかったら、食べてね」
タッパーごと渡すと、ママは嬉しそうに顔を輝かせた。
「まあ、ありがとう!」
いま食べてもいいかしら、と訊いてくるので、私は、いいよ、と頷く。
ママは一緒に渡したフォークでチョコレートケーキを食べた。
「美味しいわ! ワイン、飲んじゃおうかしら」
と笑って言った。
「えっ、飲むの? お昼だよ!」
慌ててそう言うと、ママは苦笑して首を振った。
「冗談よ、ごめんなさいね。でも、本当に美味しいわ。ミリと佐々原さんが作ってくれたの?」
私と美香子さんが同時に頷くと、ママは微笑んで「すごいわねえ。美味しいわ。これなら、毎日食べても飽きないわ」と言ってくれた。
お世辞でも、嬉しくて、私は満面の笑みで微笑んだ。



次の日の朝、私は目が覚めると共に、飛び起きた。
今日はお父さんと電話をする約束をしているのだ。
お父さんは最近、スマートフォンを買ったようで、今日の夜にテレビ電話をしよう、と約束していた。
電話をするのは夜なのに、そわそわしてしまう。
昨日の夜も、落ち着かなくて眠れずに、寝るのが遅い時間になってしまった。
それにも関わらず、今は午前四時だ。
ふう、落ち着け、落ち着け。
そう自分に言い聞かせるけれど、落ち着けない。
美香子さんだって、まだ寝ているのだ。
だから、私ももう一度、寝ようとするけれど、やっぱりどうにも落ち着けなかった。
私は仕方なく、リビングに行って、コップに入った水道水を一気に飲み干した。
少し時間が経ってから、はっとして、部屋に戻った。
青いカーディガンとジーンズに着替え、パジャマを洗濯機に放り込んだ。
ちゅんちゅん、と雀が鳴く声が聞こえて、なぜだか旅館にいるような、心地良い気分になった。
「おはようごいます」
完璧に着替えた姿で、美香子さんが姿を現した。
「美香子さん、おはようごいます」
私はそう言って、思いついていたことを言った。
「今日の夜、ママと美香子さんとお父さんで記念撮影をしませんか?」
「ミリ様、お父さまは海外出張中ですわよ。記念撮影なんてできませんわ」
と予想通り否定される。
私は首を振って、言った。
「違うんです。今日の夜に、お父さんとテレビ電話をする予定が合って、そこでお父さんの顔をいれて、撮るんです」
そう言うと、美香子さんは感心したように頷いて、「ミリ様にしては、やりますね」と偉そうに言った。
「じゃあ、決定ですね!」
私は張り切ってそう言った。



「もしもし、お父さん?」
『ミリ。画面が真っ暗なんだが……』
私は自分を映すのが、なぜだか恥ずかしくて画面を伏せていた。
「ご、ごめんごめん。あのさ、今日、記念撮影しない? お父さんもいれてさ」
画面を元に戻してそう提案すると、お父さんは笑顔で「いいな。佐々原さんとエリナも一緒にか?」と訊いてきた。
「もっちろん! ほら、今ここにいるよ!」
美香子さんとママが並んで立っているところに画面を向けた。
私たちは、カメラの前に並ぶ。
私が真ん中でお父さんのテレビ電話の画面を持って、右にママが、左に美香子さんが立っている。
撮る人がいないので、カメラが趣味だというシェフさんに頼んでいる。
「では、撮りますよー。はい、チーズ!」
その掛け声と共に、私はにこりと微笑んだ。
パシャ。
写真が撮れて、私たちは四人で一緒に笑い合ったのだった。