がたんごとん、と電車に揺られながら背もたれに背中を預けて、横に流れていく風景を見つめた。
今日はなんとなくはやく起きてしまい、六時二十五分発の電車に乗ったのだ。
眩しい日差しで照らされる車内にはこの車両には私以外誰もいなくて、世界が私だけになったような気分になった。
とても静かな時間が流れる。
さああ、と葉が木々を撫でるような音が聞こえてくる。
ふいに昔のことを思い出した。
あれは……
ぷー、がしゃん。
ドアが開いて、私は今停まっている駅を確認して、電車を降りた。
駅も静かで人は数えられるくらいしかいなかった。
けれど、駅を出ると一気に騒がしくなる。
近くで有名人が撮影かなにかをしているらしい。
私は人の合間を縫うように学校へ向かう。
学校に近づいてくるとやっと人は引いてきて、ふう、と私は安堵の息を吐いた。
あのまま人の波に押し潰されるんじゃないかと思うくらいにたくさんの人がいて息が詰まるようだった。
放課後にあの森秋(もりあき)公園に行こうと決め、私は校門を入って、教室に向かう。
学校の中には人が全くといっていいほどにいなくて、教室に入っても私しかいなかった。
すうっと朝の学校の空気を存分に吸って席に着くとひとりの生徒が入ってきた。
一昨日の転校生、浅海くんだ。
「お、おはよ」
にこっと微笑んで挨拶をすると、眠そうに目をこすって私の隣にある席に座り、おはよ、と挨拶を返してくれた。
「思い出したんじゃない? あのときのこと」
ぽつりと呟くように言った浅海くんの言葉に私は、息を呑んだ。
「なんのこと?」
確かに私は思い出したけれど、浅海くんとは関係のないことなはずだ。
ガラッ。
何人かの生徒が教室に入ってくる。
そろそろ普通に人が来る時間だ。
「あーあ」
浅海くんはぼそっと言ってもうさっきのことは忘れたかのように前を向いた。



学校が終わる時間までは特になにもなくて、あっという間だった。
私は荷物をまとめて一緒に帰ろうと言ってくれる恵理に、用事があって、と言ってすぐにあの公園に向かった。
公園に入ろうとしたときだった。
ふと、透き通るように綺麗な深い青色が目を引いた。
足元を見れば、見覚えのある鳥の羽根が落ちていた。
「鳥さん――」
ひょいと拾い上げると、その羽根はどこかに向かって動き出した。
私の足は反射的に羽根を追いかける。
細い路地に出て、そのまま真っ直ぐ行ったところで羽根は、ぱっと止まって、思わず広げた私の両手の上に落ちた。
目の前にあるクスノキの枝に綺麗なこの羽根の持ち主である鳥さんが、いた。
はっと私は目を見張る。
そこには、いつの日か一緒に遊んだ、大好きな空の主の青い鳥さんだったのだ。
「なんで、鳥さんが、いるの?」
ほろり、と涙が零れて、羽根の上に落ちる。
鳥さんは少し口角を上げて「久しぶりだね、美波。会いたかったよ」と鳥さんの瞳からもきらきらと光る涙が流れた。
うん、と私は頷いて、鳥さんのふわふわの頭を優しく撫でた。
気持ちよさそうに目を瞑り首を伸ばす鳥さんの表情は幸せそのものだった。
「ねえ、鳥さんはなんでここにいるの? あのときは遠くに行くって言ってたのに。もしかして、私に会いたくなっちゃった?」
私と鳥さんは原っぱにごろんと寝っ転がって、空を見つめながら話す。
「美波の言う通り」
鳥さんと私は見つめ合う。
まさかこんなにすらっと言われるとは思わなかった。
ふふ、と鳥さんが笑みを浮かべた。
「私ね、ずっと苦しかったの。女の子の財布が落ちてたから、拾ったらその子のお金を盗ったって言われちゃって。お母さんにもお父さんにも、その日から無視されるようになって、ずっとひとりだった。だから、これからも昔みたいに、遊んでくれる?」
鳥さんの顔から笑みが消えた。
苦しそうに顔を歪めて「それは、できない」と言った。
目の前がぐらりと揺れた。
「なん、で?」
「僕には『想いの硝子』というものがないんだ。空の主になった僕には必ずこの『想いの硝子』がないといけない。だからそれを探す旅に出ないといけない」
寂しそうに言う鳥さんをぎゅうっと抱きしめた。
「嫌だ。私も行く」
我儘だ、ということはわかっているけれど、鳥さんと一緒にいたかったのだ。
「それはだめだ。美波が行くには壮絶すぎる旅になると思うんだ。美波を危険な目に合わせるわけにはいかない。でも、大丈夫だ。その羽根を持っていれば、いつでも、僕のことを呼んでくれたら、すぐに飛んでくる」
一旦、抱きしめていた手を離すと鳥さんは安心させるように優しく微笑んだ。



あの後、すぐに鳥さんは旅に行ってしまった。
私はあれから部屋でたくさん泣いたけれど、立ち直って普通に学校へ向かった。
学校について席に座ると、まだ浅海くんしか来ていなくて、誰もいなかった。
「おはよう」
浅海くんににこっと微笑まれて、おはよう、と私も返した。
次の瞬間、目の前に黒い羽根が舞った。
ばさっと長いスーツのふわりとしている部分を広げる音が聞こえて、気付けば浅海くんが真っ黒の紳士なスーツに身を纏っていた。
ふっと怪しく笑って右手を胸にあて、お辞儀をするような体勢になって言う。
「美波様。お迎えに上がりましてございます」
なにが起きたのかわからなかった。
無言で黙っていると、浅海くんは私の思っていることを見透かしたかのように言った。
「わたくし、エリナ・ソラソン様に仕える、チョガ・リヘナと申します。浅海悠里、という偽名でこちらの学園に入り、美波様から『想いの硝子』を頂戴しろ、とエリナ様からのご命令をお受けいたしまして、空の彼方よりやってまいりました。どうぞ、わたくしのことは、チョガ、とお呼びください」
私はわけがわからなくて、混乱した頭を必死に整理して、「ちょ、チョガさん。『想いの硝子』って……」と訊ねる。
チョガさんは「『想いの硝子』とは、空の主になったものには必要不可欠な心臓の一部のことでございます。それをあなたはどうしてか、お持ちなのです。それをわたくしに渡してくださいませんか」と頭を深く下げてくる。
私はどうすればいいのか迷い、鳥さんを呼ぶことにする。
ポケットに大事に大事にしまっていた鳥さんの羽根をぎゅっと握りしめて、小さい声で「鳥さんっ、お願い、来て――」と話しかけるように言った。
ぱあっと目の前で光が弾けた。
「美波、どうした?」
光の中から現れたのは、鳥さんだった。
「チョガさんが、『想いの硝子』を渡してって」
言うと、鳥さんは「チョガ?」と目を見開いて、はっと後ろを振り返った。
「おや、これはこれは、兄さん。久しぶりですね」
にこにことした笑顔を崩さずに言ったチョガさんの一言に、え、と私の頭はかちんと固まった。
「チョガ、まだ『想いの硝子』を狙ってたのか。で、『想いの硝子』は美波が持ってるのか?」
ふたりは兄弟なのだろうか。
けれども、あまり仲が良くなさそうだ。
「ははっ。そうだよ。じゃあ、美波様、渡しくださいますか。『想いの硝子』を」
急にチョガさんは私の方を向いて言った。
「わ、渡さない! 私は、鳥さんに、渡したい」
私は自分の想いを伝える。
チョガさんは「ほう。ならば、奪わせてもらう」と構えた。
鳥さんが「両手を合わせて、胸にあてて、『想いの硝子』を渡したい相手を思い浮かべるんだ」と早口で言って、私の前に立った。
ふたりが言い合っているのを耳に入れながら、鳥さんに言われた通りにする。
私の胸から光輝いたものがひゅうと抜け出して、鳥さんの胸にすうっと入っていった。
ぱっと鳥さんが輝いて、「想いの硝子」が鳥さんに馴染んだら、輝きが消える。
チョガさんは絶望したような顔でチッと舌打ちをして、ばさっと紳士服の袖を広げて、黒い鳥になって空へと飛んでいった。
「僕は、レイラ・リヘナ。レイラとでも呼んで。まだ、『想いの硝子』は僕に馴染んでいない。だから、馴染むまで、一緒にいてくれないか?」
少し恥ずかしそうに言って、鳥の姿のときと同じく美しい顔立ちの人間の姿になった。
人間になることもできるんだ、と思いながら「レイラさん! うん、ずっと一緒にいよう」と笑顔で言った。



おはよう、と耳元で声が聞こえた。
すぐそこには鳥の姿をしたレイラさんがベッドのふちのところにとまっていた。
「レイラさん、おはよう。ここは、どこ?」
見覚えのない葉っぱで作られたような小さな空間を見回して訊く。
あの後、私は「想いの硝子」をレイラさんに渡したことにより、気絶してしまったらしい。
「僕の家だ。これからここで暮らそう。あの家には帰りたくないだろう」
控えめな笑顔でそう言ったレイラさんをぱちぱちと瞬きをしながら見つめて「うん。ありがとう」と満面の笑みでレイラさんの頭をなでなでと撫でた。
嬉しそうに笑ってレイラさんはいつものように首を伸ばした。
私は起き上がって、葉っぱでできた丈夫な葉っぱの椅子に座って、レイラさんに、食べていい、と言われた美味しそうなシチューを頬張った。
中には、にんじんやお肉など美味しそうな具材ばかりが入っていて、下には、お米が入っていた。
誰かに作ってもらったご飯を食べるのは本当に久しぶりで、とても美味しく感じられた。
「美味しいか?」
と不安そうに訊いてくるレイラさんに頷いて、めっちゃ美味しい、と返すとやけに嬉しそうに、そうか、と返ってきた。
「これ、レイラさんが作ったんだよね?」
葉っぱの小さな台所を指差してレイラさんに訊くと、「ああ。具材は買ってきた」と頷いた。
こんな美味しいシチューが作れるなんて凄いね、というとレイラさんは「そんなことはない。ひとりだったから今まで簡単なシチューをたくさん作ってきただけだ」となんてことないような顔で言う。
「謙遜しないでよー!」
頬を膨らませて言うと、レイラさんは目を丸めたあと、表情をふわりと和ませて、ふふっとふたりで笑い合った。
「美波、今日はどうする? 買い物に行くか? 欲しいものがあればなんでも買ってやるし。あと服も買った方がいいかもな。それとも、公園に遊びに行く?」
突然お世話好きのレイラさんが顔を覗かせた。
「ううん。私はレイラさんと森までピクニックに行きたい! パンとかサンドイッチ持って。どう?」
今日は外でゆったりしたい気分だった。
レイラさんは少し拍子抜けしたような表情をして「美波が行きたいなら。でも、そんなのでいいのか?」と不安そうに訊いてきた。
「いいの!」
そう言うと、レイラさんは人間の姿になって張り切ったように言って準備をはじめた。
「じゃあハムとたまごとレタスとハムのサンドイッチふたつとあんぱんとフランスパンを持って行こう。このバスケットに入れてくか」
意外におしゃべりなのだろうか。
なんか、こういう人と出会ったことがあったような、ないような?
ま、いっか。
「私も手伝うよ」
「いや、いいよ。美波はシャワーでも浴びてきて」
真剣にサンドイッチの食パンの間にハムとレタスを詰めながら、言った。
わかった、と私は返してシャワーであろう場所に入った。
しゃっと厚めの葉っぱで出来たカーテンを閉めて、シャワーを浴びる。
髪も洗おうかと思ったけれど、ここにドライヤーがあるかわからないので、やめといた。
しかも、腰くらいまであるロングヘアーなので、洗っても自然に乾くことはない。
服の背中のところが濡れてしまう。
私は髪をたまたま持っていた髪ゴムでポニーテールに結んだ。
全身を洗い終わったら、出て、そこに置いてあったタオルで拭いて、さっき着ていた制服をもう一度着て、レイラさんのところまでいった。
「ポニーテール、似合う。その髪の方が似合うよ」
とても恥ずかしいことを平然と言ってのけたレイラさんから視線を逸らして、でも、髪をほどくことはせずにそのままでレイラさんの手元を眺めていた。
「出来た。じゃあ、行くか」
にこっと笑ってバスケットを持ったレイラさんに並んで「うんっ」と返して、ローファーだけれど靴を履いた。
「あ、そうそう。ここってドライヤー、あるの?」
シャワーを浴びたときから気になっていたことを訊いてみる。
レイラさんは「ないな。僕の髪は自然に乾くから。あと、風呂に入らないこともしばしば」と思い出しながら言った。
「そうか。美波は髪が長いからな。じゃあ、明日にでも買いに行くか」
頷きながらそう言うレイラさんはずっとにっこにこ笑顔で嬉しそうだ。
「うん、ありがとう。お金は……」
ポケットを探ってみるけれど、財布もお金もない。
入っているのは、スマートフォンだけだ。
さーっと血の気が引いていくのがわかった。
これじゃ、なにも買えない。
「いいんだよ。僕が出すから」
ぺっぺとお金を払う仕草をしながら親切にそう言ってくれたレイラさんにぺこりと頭を下げて「……その、すみません。お願いします。ありがとうございます。本当にありがとう」とお礼を言った。
「そんなに改まらなくてもいいんだよ」
苦笑して言うレイラさんは本当に良さそうだ。
私はもう一度、ありがとう、とお礼を言って、レイラさんについて行く。
「そういえば、森って適当に言っちゃったけど、どこの森に行くの?」
自分で言っておきながら、相手に道案内をしてもらうのも悪いな、と思いつつも自分から言い出していない風にそう訊いてしまう私を内心、睨んだ。
レイラさんは歩調を緩めてくれていたのをさらに緩めて、私と並んで言った。
「綺麗できらきらな美波にぴったりの森」
迷いなくにっとかっこよく笑ってそう言ったレイラさんになぜだか懐かしさを感じた。
気付けばあたりは様々な木々ばかりになっていた。
「美波、着いたよ」
私の前を隠すようにして歩いていたレイラさんが横によけた。
目の前は、きらきらに太陽が木々の隙間から差し込んでいて、その下には、美しい小さな湖があった。
見惚れてしまうほどに綺麗な空間に息を呑んだ。
今までこんなにっ綺麗な景色には出会ったことがなかった。
湖の水の色は、真っ青と緑を混ぜたような色でまさに幻想的という言葉がぴったりな世界だった。
ここだけどこか異国の地にあるような、そんな思いを抱かせてしまうほどに強い力を秘めた場所のようだ。
「きれい……」
やっとの思いで口にした言葉は、たったの一言だった。
それでも、レイラさんは笑顔になって「でしょ。美しい波って書いて美波だから、そんな名前にぴったりだし、美波自体にもすごく合ってる」と言ってくれた。
レイラさんのとても温もりに溢れた優しすぎる言葉にこくりと頷いて、湖に近づいた。
太陽の光で、私の影が湖にぼんやりと浮かんだ。
「じゃあ、食べようか」
レイラさんの言葉で、はっと我に返る。
「う、うん」
頷いて、レジャーシートを引いて、バスケットに入っている美味しそうなサンドイッチとパンを広げた。
「いただきます!」
ふたりで手を合わせて、ハムとたまごの美味しそうなサンドイッチにがぶっとかぶりついた。
「おいしっ!」
今までこんなに美味しいサンドイッチは食べたことがない。
ていうか、サンドイッチなんて生まれて初めて食べた。
大袈裟だなあ、とおどけたように笑うレイラさんに私にとっては本当に今までにないほどに幸せな時間なのに、と思う。
私にはこんな時間、今までなかった。
学校に行って、寝る。
毎日その繰り返し。
なのに、こんなに贅沢な時間を送ってもいいのだろうか、と思うほどに素敵できらきらで輝いた日々。
ぽろ、と嬉し涙が頬を伝った。
最近は泣いてばかりだな。
「ど、どうした? まずかったか?」
突然泣き出した私に戸惑いながらそう心配してくれたレイラさんに「ありがとう。本当に嬉しくて」とぽろぽろと涙を流しながら言うとほっと安心したように笑顔になった。
「よかった」
と私の頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした。
ふふ、と笑うと湖の水面がぬるい風で少し揺れた。



そろそろ帰るか、と立ち上がったレイラさんに続いて私もバスケットにゴミとかをしまい立ち上がり、湖をあとにする。
「楽しかったね」
心から微笑んで言うと、レイラさんは「ああ。今まで生きてきた中でいちばん楽しかった」と鳥さんの姿になって言った。
家が見えてきて、少し歩けば家に着いた。
見た目さえも葉っぱで出来た家に入って靴を脱ぐと、心は楽だけれど一日中外にいた疲れがたまっていた。
ふうー、とレイラさんとソファに座る。
ふっかふかの葉っぱで出来た、ソファに寝っ転がりたくなってしまう。
ぱち、とレイラさんが動いて長いまつげが上下にゆっくりと動いた。
「もう寝るか?」
うん、と頷いてレイラさんが言った。
今日の朝に、私が寝ていたベッドに寝ていいことになった。
制服だけどどうしたらいいか訊いたら、ぶかぶかだけれど、服を貸してくれた。
寒いので毛布に包まって目を瞑ると、すぐに眠りについた。
耳にレイラさんがソファに横になる音が聞こえた。



「レイラさん、おはよう! 今日は、私が朝ごはん作ったよ」
昨日、寝るのが早かったからか、朝早くに目覚めてしまって、先に朝ごはんを作ろうと思ってレイラさんも好きそうな餃子を作ったのだ。
ポケットに入れていたスマートフォンで近くにあるスーパーを調べて、昨日あらかじめレイラさんに渡されていたお金で具材を買って、作った。
レイラさんのためにご飯を作っているときは、楽しかった。
まだ寝ぼけ眼のレイラさんは洗面所で顔を洗ってきてから、いつものようにしゃっきりとした表情で「美波、おはよう。餃子のいい匂いがするな。もしかして美波が作ってくれたのか?」くんっと鼻を効かせてそう言った。
私は気付いてくれたことに嬉しくなって「うんっ! 餃子レイラさん好きそうだから」と言うとレイラさんは顔を輝かせて「餃子は好物だ。よくわかったな」と大人っぽい余裕そうな笑顔で微笑んでくれた。
私は、ふんふんと鼻歌を歌いながら餃子の乗せられたお皿をテーブルに置くと、レイラさんは待ちきれないというように、お箸で餃子をひとつ口に入れた。
「美味しい! 今まで食べてきた餃子の中でいちばん美味しいぞ!」
ばくばくとハイエナのような速さであっという間にお皿に入っている半分くらい食べてしまった。
私は自分用に餃子の乗せられたもう一皿を持って来て食べた。
口の中いっぱいに餃子を詰め込んで、「そうだ。今日は買い物に行くんだよな」と思い出したように言った。
「うん。いい? パジャマと普段着と室内着と靴下と万が一のために折り畳み傘とぬいぐるみ、ぐらいかな」
買っておかなきゃいけないものを羅列してみたけれど、はっと思い出した。
レイラさんに買ってもらうんだから、ぬいぐるみと靴下と室内着はやめないと。
「ご、ごめん。レイラさんに買ってもらうの忘れちゃってて、ぬいぐるみとくつし――」
やめるものを言おうとしたら、レイラさんに言葉を遮られた。
「いいよ。そんなに気遣わなくて。僕のことは自分の親のように思ってくれればいいから。だからほしいもの全部買ってあげるよ!」
優しいけれど、有無を言わさぬ雰囲気でそう言うレイラさんに「ごめん。じゃあ、ぬいぐるみも買ってください」と少し上目遣いでお願いした。
「うんうん、全然いいよ。ていうか、ぬいぐるみがないと寂しいの?」
はは、と笑いながら言ったレイラさんに「ま、まあ」と視線を逸らして私の分の餃子を食べながら曖昧に返した。
「ぷっ、あはは、ぶふっ。あ、ごめん。で、ぬいぐるみも欲しいのは全部買ってあげるから言って」
失礼なほどに噴き出してから、笑いを我慢している真剣な表情で言った。
「ちょっと、笑わないでよ」
頬を膨らませて怒って見せてから、ふたりで笑った。
じゃ、行こっか、と餃子を食べ終わらせてから言って、靴を履いて家を出た。
ぴろん、とスマートフォンに連絡が入った。
見ると恵理からだった。
『美波、最近ずっと学校来ないけど、なにかあったの?』
ときていたので、『なにもないよ。そのうち行くかも』と返してからスマートフォンの電源を切った。
「じゃあ、行こう」
そう言ってふたりで歩き出した。
電車に乗って、三駅目のところで降りたところのすぐそこに大きなショッピングセンターがあった。
映画館までついているでっかい建物だ。
ショッピングセンターなんて小学一年生のころにお母さんとお父さんと一緒に初めて行って以来だ。
だから、ほとんど覚えてなくて、来たのもこのショッピングセンターではなくもう少し小さいショッピングセンターだった。
「まずは何から買いに行く?」
私の方を向いて言ったレイラさんに私は「ぬいぐるみ」と顔を前に向けながら早口で言った。
「ぬいぐるみね、おっけーおっけー。ゲームセンター行って、とる?」
先にすたすたと歩き出したレイラさんを引き留めて訊く。
「待って、ゲームセンターってなに?」
振り向いたレイラさんのまつげが不思議そうにぱちぱちとはやく動いた。
「そうか。ユーフォ―キャッチャーは? 知ってる?」
「ユーフォ―キャッチャーは知ってるよ。学校で恵理が言ってたから」
「そのユーフォ―キャッチャーでぬいぐるみがとれるんだが、それでとるか?」
小さい子供に言うようにゆっくりと言うレイラさんに少しかちんときたけれど、うん、と頷くだけにしておいた。
恵理が誰かを訊かないでくれるのが、レイラさんの隠れた優しさだと思った。
私たちはゲームセンターに向かって歩き出す。
中に入ると、ぎっしりと色々なお店が立ち並んでいて、目が回りそうだった。
どこを行っても、お店ばかりだ。
まずは、大きく入り口に「ゲームセンター」と書かれた看板が掲げられているところに入った。
ざわざわと騒がしい。
なにがゲームをする音や、太鼓で遊ぶものなどいちばん前にはユーフォ―キャッチャーがたくさんあった。
透明の箱の中にぬいぐるみもたくさん入っている。
とれるやつを動かしてとるらしい。
私は一回お手本でレイラさんにやってもらった。
私の半分くらいの大きさはあるめっちゃ大きいクマくんの可愛いぬいぐるみだ。
うぃーん、とアームを動かしてぬいぐるみの上に来たら、下にいく矢印のボタンを押して、アームががしっとクマくんを掴んだ。
そのまま出口まで行き、落ちる、と思ったときにぎりぎりのところでクマくんは、落ちなかった。
「ああーあ」
と声を上げると、嬉しそうにレイラさんが振り向いて「やってごらん。次やれば、取れそう!」と言った。
私は三百円をもらって入れた。
レイラさんのようにアームを動かしてぴたっとクマくんの上で止めて、下におろす。
がしりとまたアームがクマくんを掴み、次こそは落ちた。
出てくるところからクマくんを出すと鳥さんの姿のレイラさんと同じくらいもふもふのぬいぐるみだった。
お腹とか頭とかいろんなところを撫でていると、クマくんはすっぽりと入りそうな大きな袋を持ってゲームセンターの店員の人が来てくれた。
「よかったらどうぞー。凄かったですね」
にっこりと笑顔で言いながら、袋を差し出してくれる店員さんに、ありがとうございます、とお礼を言って次はエビフライを持った猫ちゃんが四匹くらい並んだ枕を取ることにした。
この枕は五回でやっと取れた。
次は、猫ちゃんのぬいぐるみを三回、サメさんのぬいぐるみを七回、レイラさんのような鳥さんのぬいぐるみを三回で取って、洋服の売っているところに向かった。
手には五匹もぬいぐるみの入った袋がある。
でっかくて、持って帰るのが大変そうだけれど、なんとか持って帰ることはできそうだ。
こんなに買い物が楽しいなんてと驚きながらあっちだこっちだといろんなところに行って、気付けば外は真っ暗でお腹もぐるると音をたて始め、レイラさんと私の手は袋でいっぱいだった。
私は首にもう少しで秋だからと買ったマフラーを荷物を減らすために暑いけれど巻き、レイラさんにはコートを着てもらい、大きな袋をふたりで持って、切符を改札に入れるのでも一苦労だった。
そんなわけで、家に着いた頃にはふたりともへとへとで汗だくだった。
先に私がシャワーを浴びて、レイラさんのシャワーが終わるのを待ちながらぬいぐるみを袋から出して並べた。
服は、お風呂に入る前に洗濯機に入れてある。
どのぬいぐるみも枕以外は大きめのサイズで、ベッドを埋め尽くしてしまうほどだった。
私はベッドに今日買ったばかりのパジャマでぬいぐるみたちと横になり、クマくんに抱き着いた。
そのまま、うつらうつらとしていると、レイラさんがシャワーから出てきてご飯を作ってくれた。
私は眠すぎるけれど、お腹はすいていたのでなんとかクマくんを引きずってベッドから降りてテーブルの椅子に座り、その隣にクマくんを座らせた。
椅子は四つあったから、レイラさんも座れた。
美味しそうな炒飯(チャーハン)を見つめながら、ふたりは手を合わせ、「いただきまーす!」と口々に炒飯を食べた。
そのあとは、すぐにベッドで寝てしまった。