「これは幻覚じゃないの?」
幻覚にしては妙にリアルだ。
それに灰色の世界といっても、本当に滅んだ世界ではない。
建物には色彩がなく、外を出歩いている人々の数が極端に少ないだけだ。
「え?」
数秒後、世界は再び色を取り戻す。
急だった。
さっきまでの灰色の世界が、急に彩る。
今まで通りのよく知った世界に戻る。
建物には色が戻り、空も地面も、どこもかしくも灰色ではなくなってしまった。
「あ〜あ……見ちゃったか。ずっと隠していたんだけどな」
私の背後から声がした。
誰かなんて愚問だ。
振り返れば蒼汰が立っていた。
「さっきのはなに?」
「アリサ。メモリーからいまの記憶を消去して無かったことにはできないかい?」
「無理ね。驚いているのと同時に、少々納得しているの。前に貴方のパソコンを覗き見てしまった時の風景。さっきまでの街並みはそれにそっくりだった」
そう、さっきまでの灰色の街は、彼のパソコンの画面とそっくり。
そっくりというよりも街そのもの。
灰色の街は彼のお絵描きなんかでは決してなかったのだ。
「忘れる気はないということで良いのかな?」
「そうね。どうする? 無理矢理襲って忘れさせる?」
冗談めかして心にもないことを口にする。
大丈夫、彼は絶対にそんなことはしない。
「まさか。もう正直に全て話すよ」
そう言って蒼汰は椅子に腰かけ、私に向かいの席に座るように促した。
「まずはこれから白状しようか。いつか真実を告げるときのために用意していたしね」
蒼汰はパソコンを開いて私に画面を向ける。
そこに開かれていたファイル名には”現実”と書かれていた。
「開いてみて」
私は彼の言うとおりにカーソルを動かしてファイルを開く。
数秒の読み取り時間の後、画面に映し出されたのは画像だった。
たかが画像のくせに、開くのに数秒かかるなんてと思ったが、画像を見れば納得だった。
これは容量が凄い。
「これは前に蒼汰が隠していた画面?」
「そうだ。そしてこの画面に映し出されている世界こそが真実。いま見えている世界はまやかしだ」
いまの世界はまやかし?
何を言っているのだろう?
「言っている意味が分からない。さっきの灰色の街こそ、私の色彩認知機能のエラーとかじゃないの?」
「いや、さっき見た世界が真実だ。世界は灰色だ。人は生きているし、文明レベルも保っているが、残念ながら人が減り過ぎた」
人が減り過ぎたという言葉には憶えがある。
何度も思ったではないか。
街の規模に対して人が少なすぎると。夏祭りの時も、海に行った時も、蒼汰に車に乗せられて移動するときも、いつもいつも人が少ないと思ってはいた。
「人が少ないのは感じていたけど、どうして人が少ないと色がなくなるの?」
「実際に近くで見ると、全てが灰色ってわけじゃない。だけど全体を俯瞰で見ると灰色に見えるってことさ。単純に看板が少なかったり、ビルや建物をカラフルにしようって人間がいないのさ。そんなことをして目立ったところで、反応する人間が減り過ぎた」
人が減るとアピールする必要がなくなるということだろうか?
だから全体的に色がない。
色がない=灰色の街が完成する。
「どうして人がそんなに減って……」
「自殺だよ」
蒼汰は即座に答える。
そうだ自殺だ。
だから国は自殺防止プログラムに食いついたんだ。
蒼汰の考案した自殺防止プログラムは、ハッキリ言って力技以外のなにものでもなかった。
三六五日、二十四時間、自殺しようと思った者が電話をかけるとAIが必死に自殺を止めようとするプログラム。
もちろん電話をしないで自殺してしまう者もいるが、人間誰しも話を聞いてくれる存在には弱いもので、自殺志願者の約八割が電話をしてきている。
国も似たようなサービスを行っていたが、蒼汰考案のプログラムには遠く及ばなかった。
電話を受ける側が次第に精神を病んでいってしまうのが問題となり、さらに同時に出れる回線数が圧倒的に足りなかった。つまりなり手が足りなかったのだ。
そこで蒼汰が提案した、精神が病まないAIを使うという方法。
一般にはAIが電話に出ていることは知られていないが、それが結果として良かったのだ。
人に話を聞いてもらえたという体験は、一定以上の自殺防止効果を発揮した。
「そっか……やっぱり自殺者は多いんだね」
私は悲しくなる。
ここまでの数か月間、私は人間の世界を初めて闊歩した。
笑顔で溢れていたはずが、実際にはそれを上回るほどの自殺者が出ている歪な世界。
そしてその鮮やかな世界は幻だった。
「ねえ、どうして私に嘘を見せたの?」
一番気になる部分。
私に嘘の世界を見せてなんになる?
「笑わない?」
蒼汰は顔を手で押さえる。
「なに? 照れてるの?」
「照れてない」
「嘘だよ、絶対照れてるって!」
私が強引に彼の手を掴んで顔から引き剥がそうとするが、彼は信じられないほどの力で抵抗してきた。
そんなに顔を見られたくないのだろうか?
「もういいだろ! 理由を聞きたかったら笑わないって誓え!」
蒼汰は珍しく命令口調。
よっぽど恥ずかしい理由に違いない。
「笑わない。誓うよ」
私は生まれて初めて嘘をつく。
こんな面白そうなこと、笑わないわけにはいかない。
普段とのあまりのギャップに、私の心が躍る。
絶対に笑ってやる!
「……その、一緒に過ごしたかったから?」
「え?」
言っている意味が分からない。
意外すぎる一言、これでは笑えない。
「アリサが生きていた頃の鮮やかな街を、一緒に歩きたかったからだ!」
蒼汰はやけくそになって白状した。
ああ、なんだ。そんな理由。
「ほら、笑いたきゃ笑えよ! 女々しい男だと存分に笑ってくれ!」
蒼汰は覚悟を決めた顔でそう言った。
それはもう男らしく、堂々と胸を張って。
「……そうなんだ」
「なんだ? 笑わないのか?」
「笑ってほしいの?」
「いや、別にそうじゃないけど……」
私は笑うことなんてできない。
そんな資格はない。
人間でさえない私が、失ってしまった恋人との時間を惜しむ彼を笑うことなんてできるはずがない。
「笑わないよ。蒼汰がどれだけアリサを愛していたか知ってるから」
私は彼の目を見てまっすぐ答えた。
私は笑わない。
それだけ私との時間を楽しもうとしてくれた君を、私は笑わない。
だって私は……。
「人の隠し事を聞いて嬉しい気持ちになったのは初めて」
彼のことをまた一つ知れた気がしたのだから。
幻覚にしては妙にリアルだ。
それに灰色の世界といっても、本当に滅んだ世界ではない。
建物には色彩がなく、外を出歩いている人々の数が極端に少ないだけだ。
「え?」
数秒後、世界は再び色を取り戻す。
急だった。
さっきまでの灰色の世界が、急に彩る。
今まで通りのよく知った世界に戻る。
建物には色が戻り、空も地面も、どこもかしくも灰色ではなくなってしまった。
「あ〜あ……見ちゃったか。ずっと隠していたんだけどな」
私の背後から声がした。
誰かなんて愚問だ。
振り返れば蒼汰が立っていた。
「さっきのはなに?」
「アリサ。メモリーからいまの記憶を消去して無かったことにはできないかい?」
「無理ね。驚いているのと同時に、少々納得しているの。前に貴方のパソコンを覗き見てしまった時の風景。さっきまでの街並みはそれにそっくりだった」
そう、さっきまでの灰色の街は、彼のパソコンの画面とそっくり。
そっくりというよりも街そのもの。
灰色の街は彼のお絵描きなんかでは決してなかったのだ。
「忘れる気はないということで良いのかな?」
「そうね。どうする? 無理矢理襲って忘れさせる?」
冗談めかして心にもないことを口にする。
大丈夫、彼は絶対にそんなことはしない。
「まさか。もう正直に全て話すよ」
そう言って蒼汰は椅子に腰かけ、私に向かいの席に座るように促した。
「まずはこれから白状しようか。いつか真実を告げるときのために用意していたしね」
蒼汰はパソコンを開いて私に画面を向ける。
そこに開かれていたファイル名には”現実”と書かれていた。
「開いてみて」
私は彼の言うとおりにカーソルを動かしてファイルを開く。
数秒の読み取り時間の後、画面に映し出されたのは画像だった。
たかが画像のくせに、開くのに数秒かかるなんてと思ったが、画像を見れば納得だった。
これは容量が凄い。
「これは前に蒼汰が隠していた画面?」
「そうだ。そしてこの画面に映し出されている世界こそが真実。いま見えている世界はまやかしだ」
いまの世界はまやかし?
何を言っているのだろう?
「言っている意味が分からない。さっきの灰色の街こそ、私の色彩認知機能のエラーとかじゃないの?」
「いや、さっき見た世界が真実だ。世界は灰色だ。人は生きているし、文明レベルも保っているが、残念ながら人が減り過ぎた」
人が減り過ぎたという言葉には憶えがある。
何度も思ったではないか。
街の規模に対して人が少なすぎると。夏祭りの時も、海に行った時も、蒼汰に車に乗せられて移動するときも、いつもいつも人が少ないと思ってはいた。
「人が少ないのは感じていたけど、どうして人が少ないと色がなくなるの?」
「実際に近くで見ると、全てが灰色ってわけじゃない。だけど全体を俯瞰で見ると灰色に見えるってことさ。単純に看板が少なかったり、ビルや建物をカラフルにしようって人間がいないのさ。そんなことをして目立ったところで、反応する人間が減り過ぎた」
人が減るとアピールする必要がなくなるということだろうか?
だから全体的に色がない。
色がない=灰色の街が完成する。
「どうして人がそんなに減って……」
「自殺だよ」
蒼汰は即座に答える。
そうだ自殺だ。
だから国は自殺防止プログラムに食いついたんだ。
蒼汰の考案した自殺防止プログラムは、ハッキリ言って力技以外のなにものでもなかった。
三六五日、二十四時間、自殺しようと思った者が電話をかけるとAIが必死に自殺を止めようとするプログラム。
もちろん電話をしないで自殺してしまう者もいるが、人間誰しも話を聞いてくれる存在には弱いもので、自殺志願者の約八割が電話をしてきている。
国も似たようなサービスを行っていたが、蒼汰考案のプログラムには遠く及ばなかった。
電話を受ける側が次第に精神を病んでいってしまうのが問題となり、さらに同時に出れる回線数が圧倒的に足りなかった。つまりなり手が足りなかったのだ。
そこで蒼汰が提案した、精神が病まないAIを使うという方法。
一般にはAIが電話に出ていることは知られていないが、それが結果として良かったのだ。
人に話を聞いてもらえたという体験は、一定以上の自殺防止効果を発揮した。
「そっか……やっぱり自殺者は多いんだね」
私は悲しくなる。
ここまでの数か月間、私は人間の世界を初めて闊歩した。
笑顔で溢れていたはずが、実際にはそれを上回るほどの自殺者が出ている歪な世界。
そしてその鮮やかな世界は幻だった。
「ねえ、どうして私に嘘を見せたの?」
一番気になる部分。
私に嘘の世界を見せてなんになる?
「笑わない?」
蒼汰は顔を手で押さえる。
「なに? 照れてるの?」
「照れてない」
「嘘だよ、絶対照れてるって!」
私が強引に彼の手を掴んで顔から引き剥がそうとするが、彼は信じられないほどの力で抵抗してきた。
そんなに顔を見られたくないのだろうか?
「もういいだろ! 理由を聞きたかったら笑わないって誓え!」
蒼汰は珍しく命令口調。
よっぽど恥ずかしい理由に違いない。
「笑わない。誓うよ」
私は生まれて初めて嘘をつく。
こんな面白そうなこと、笑わないわけにはいかない。
普段とのあまりのギャップに、私の心が躍る。
絶対に笑ってやる!
「……その、一緒に過ごしたかったから?」
「え?」
言っている意味が分からない。
意外すぎる一言、これでは笑えない。
「アリサが生きていた頃の鮮やかな街を、一緒に歩きたかったからだ!」
蒼汰はやけくそになって白状した。
ああ、なんだ。そんな理由。
「ほら、笑いたきゃ笑えよ! 女々しい男だと存分に笑ってくれ!」
蒼汰は覚悟を決めた顔でそう言った。
それはもう男らしく、堂々と胸を張って。
「……そうなんだ」
「なんだ? 笑わないのか?」
「笑ってほしいの?」
「いや、別にそうじゃないけど……」
私は笑うことなんてできない。
そんな資格はない。
人間でさえない私が、失ってしまった恋人との時間を惜しむ彼を笑うことなんてできるはずがない。
「笑わないよ。蒼汰がどれだけアリサを愛していたか知ってるから」
私は彼の目を見てまっすぐ答えた。
私は笑わない。
それだけ私との時間を楽しもうとしてくれた君を、私は笑わない。
だって私は……。
「人の隠し事を聞いて嬉しい気持ちになったのは初めて」
彼のことをまた一つ知れた気がしたのだから。