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それが人と違うと気づいたのは、もう幼稚園をとっくに卒業して小学校に上がってからの話だった。
みんなが同じだと思っていた見えているものは、オレだけ違っていた。
言葉は文字になって、色を付けていつだって俺の目の前に並んでいるのも。その色や言葉の形が感情によって大きく異なってくる事も。
これが『共感覚』と呼ばれるものだと理解できたのはそこから更に高学年になってからの話で、それまでは気づく事すらなく嘘つきだと言われる事も少なくなかったのは記憶に新しい。
オレにとっては、その程度の話だ。
それなのに目の前のこいつは、冷たく白い文字とは裏腹に感情的に悲しそうな表情を顔に貼り付けている。
「そんな辛気臭い反応するなって、もう慣れた事だから」
「しかし、ハルトは嘘をついたわけじゃ」
「いいって……まだ会ってすぐのゆきやが、オレより傷ついてどうすんだよ」
ゆきや、山城幸也。
それがこいつの、冬が服を着た存在の名前らしい。
腹の底でなにを考えているのかわからないこいつは、名乗りも早々にオレの横に座りながら話を聞いてくれていた。
「にしても、お前オレの話聞いて信じてくれんのか?」
「もちろんだ、ここで嘘を言ったところでハルトにはメリットがないからな」
「メリットって、お前なぁ」
この少しの間でわかった話だが、どうやらこのゆきやと言う存在はかなり真面目な奴らしい。オレにはないその感覚が、見ていて少しだが面白いと思えた。
「それにハルト、俺としてはハルトが……ほんの少しだけ羨ましいと思えるんだ」
「羨ましい……?」
突拍子もない言葉に、つい目を丸くした。
羨ましいなんて、今の話でどうしてそう思ったのだろうか。
「だって俺は、ハルトとは真逆だから」
ポツリと、少しだけ寂しそうにゆきやは言葉を零した。
「……俺、感情が読みにくいってよく言われるんだけど」
「あっ、それは……わかりにくくは、ないだろ」
なんで今、隠しちゃったんだろうか。
自分でも、わからなかった。
ただ喉の奥につっかえた言葉は顔を出そうとせず、ただその場に居座っている。そんなオレを見て、なにかを察したのか。ゆきやは小さく首を横に振りながら、なにやら言葉を選んでいるようにまた笑っている。
「いやハルト、隠さなくていい……もしかしてだが、お前の目にオレの言葉は無感情に見えたんじゃないか?」
「っ……気づいていたのか」
「あぁ、俺の事は俺が一番わかっている……とても、嫌なくらいに」
一呼吸だけ、なにかを考えるように開ける。
それはとても短いものだったはずなのに、ずいぶんと長く感じた。時間が止まってしまったと錯覚するほどに、長い時間だった。
「ハルトの世界に色がたくさんあるように、俺の世界に色がないんだ」
「……色が、ない」
正直、オレからすると考えられなかった。
当たり前のように散りばめられたその存在が、どこにもないなんて。そんな事は、想像するのが難しい。
けれどもゆきやの目を見ると嘘はついていない様子で、その悲しさの中にある真剣な表情に喉を鳴らした。
「色がないとは言っても、そこまで困った事はない。生まれた時からの事であって、そもそも気にした事があまりないから……ただその事が原因で、俺は感情もわからないんだ。真っ白な世界で、その色を見る喜びがわからない。感情を込める行為も、もう俺にはわからないから」
だから、こいつの言葉は白かったのか。
ようやく繋がった話に、オレはなるほど、と思わず言葉を落としてしまう。確かに、こいつは今まで見てきた言葉のなによりも白かった。何色にも染まっていない言葉と文字は、最初なにを見ているのかわからないくらいだったから。こんな事は、真っ白な文字を見るのは初めてだった。
けど、それはオレだけじゃなかったらしい。
「本当に、初めてだったんだ」
ゆきやは少しだけ意味深に、言葉を続ける。
「ハルトの描いた絵には、色があった。初めて見た、美しい色だった……だから思ったんだ、ハルトなら俺に色を教えてくれるんじゃないかと」
悲痛にも聞こえる言葉に、なにかを言い返せるほどオレは器用じゃない。じっと、すがるようなゆきやをオレは見つめる事しかできない。
「どうだろうかハルト……俺に、色を見せてはくれないだろうか?」
丁寧にお伺いを立てられて、そこまで言われて断られると思っているのか。
こいつは面白いなと思いつつ言葉にはしないで、オレは少しだけわざとらしく肩を落とした。
「……いいだろうかもなにも、毎日放課後ここにお前もこればいいだろ」
少し、つっけんどんな態度になったかもしれない。
言葉を失敗したかもと一瞬後悔したがゆきやにはそこまで気にするものでもなかったらしく、あの乏しい表情筋を動かして嬉しそうにオレを見ていた。
「それは、いいのか……?」
「だめって言ってもくるだろ、どうせ」
だから、きたければ勝手にこればいいのに。
そんな程度で言った言葉だったけど、こいつはどう思ったのだろう。最初は驚いたような表情をしていたが、すぐに目を細めて嬉しそうにしていた。確かに感情は読みにくいって思うけど、オレにとってはじゅうぶん言いたい事は伝わってくる。
「ありがとうハルト、それではお言葉に甘えて明日から顔を出させてもらう」
「だから、固くならなくていいって」
「しかし、それくらいに俺は楽しみなんだ……色が見えるのが、とても楽しい」
「そんなにか……?」
「あぁ……とても、とても楽しみだ」
噛み締めるように、ゆきやはまた言葉を落としている。
ゆきやの笑った顔は、どんな色よりも綺麗だと思ったのに。
けれどもそれを言うのは野暮な気がして、オレはそんなゆきやに笑う事しかできなかった。