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 まだ肌寒い3月、この街にある鬼桜は珍しい。暖かい春になる前の3月に花が咲くのだ。

 私は卒業証書と共に、淡い桃色に咲き誇る鬼桜を見上げた。雲ひとつない青空を背景にひらりひらりと、花びらが舞い落ちる。春風になりきれていない3月の風が吹くと、綺麗な桃色に染まった桜の花びらが、雪のように降ってくる。


「鬼の子だ!」
「鬼の子って、人殺したんだろ?」
「こっちくんな! あっちいけよ!」

 身体に合わない大きなランドセルを背負っている子供達の言葉は、私に向かって投げかけられる。

 子供は正直だ。思っている言葉をそのまま投げかけてくる。


「人殺しって誰に聞いたの?」

 私が言葉を返すと、一瞬ビクッと体が動き、男の子達は顔を見合わせて口を噤む。

「いや……」
「えっと、」

 まさか話しかけられるとは思わなかったのか、しどろもどろに困惑しているようだった。
 
 

「女性に酷いこと言うなって教えてもらわなかったのか?」

 桜の花びらが舞い散る中、ゆっくり歩いてくる。綺麗な顔の眉間に皺を寄せて、大人気もなく子供相手に威嚇する。彼の気迫に子供たちは一目散に逃げ去っていった。



「ったく。子供だからって容赦しねぇぞ」
「……綱くん、大人気ないよ?」
「だから言ってんじゃん。町の奴らにちゃんと説明しようぜ? 鬼の子に接吻キスされても死なないって。俺が実演して証明してやるからさ。」
「いいの、このままで」
「ちゃんと説明すれば、さっきみたいに言われることもなくなるのに? 俺の命を助けたって知ったら、町のヒーローになれるぞ?」
「綱くんがそばにいてくれるだけでいいの。もう他には何も望まない」
「はー。なんだよそれ。可愛くて仕方ないんだけだ」

 彼のポツリと囁いた言葉が、風で舞い散る桜の花びらにかき消されて耳に届かなかった。


「……今、なんて?」


 振り返って聞き返すと、腕を掴んで引き寄せられた。
 触れるだけの優しいキスをする。それだけでは止まらずに、深く甘いキスへと変わっていく。

「この唇は俺の。って言ったの」

 妖美を感じる瞳と重なる。彼が瞼を閉じると同時に塞がれた唇は、逃げることなどできない。恋愛初心者の私は彼のキスに応えることに精一杯だ。熱を持った唇を離すと悪戯に微笑んだ。彼の表情に私の熱は全て持っていかれる。


 つよくて、よわくて、愛しい人。
 あなたのおかげで、苦しめられ続けた呪いから解放された。

 鬼の子の呪い、その真実は。
 ――私と綱くんの心の中に秘めておく。

 道ゆく人に迷惑がられても、罵られようとも。
 もう、私は平気だ。
 綱くんが生きてそばにいてくれるだけで強くなれる。

 この町のヒーローになんて、ならなくていい。
 みんなから好かれなくても構わない。

 あなたが生きていてくれるだけで、
 生きてそばにいてくれるだけで、
 それ以上はなにも望まない。

 
「綱くん。()きていてくれて、ありがとう」

「花純。()まれてきてくれて、ありがとう」



  fin