「お母さんにも相談しようか」

 腕からするりと抜け出して、正面に向き合った。綱くんのことを、あんなに大切に思っているお母さんに、内緒にはしたくなかった。


「もう、言ってある」
「え」
「病気には殺されない。好きな女にキスされて死ねるなんて、贅沢だろ?って」
「そん、なこと、お母さんが許すはずない」
「許すも、許さないも、俺の人生だから。俺の最後は自分で決める」

 意を決したような面持ちで、私を見つめる。そんな顔をされたらもう反論出来ない。私も決断しなきゃいけない。まだ決められない私の腕を引っ張ると、彼の腕の中にすっぽりと収まった。


「……花純。頼む、俺の最後の願い叶えてくれ」

 耳元でとびきり甘い声で囁いた。ずるい。そんなこと言われたら……。
 ――私の負けだ。

「うっ、ずるい、よ、そんな風に言われたら・……断れないの分かってる……でしょ?」

 溢れてくる涙でうまく喋れない。泣きじゃくりながらも、精一杯言葉を伝えようと唇をゆっくり動かした。


「もし、生きられたら……ずっと一緒に生きていこう。死ぬことになっても、それは俺が望んだことだから……気に病むことなく、俺のことは忘れてくれ」

 止まることのない涙が伝う頬を彼の細い指が撫でて拭う。指先でさえも愛おしくて、また視界が滲んでいく。

「生きてっ、ほし、い。ずっと一緒にいたい」
「……俺も同じ気持ちだ」
「やっぱり、っだめだ。離れたくない。明日にしない?」

 明日も一緒にいたい。離れたくなくて決心が鈍る。
 もう一度抱きしめてほしい。
 もう一度、もう一度。欲にはキリがない。

「明日は今日みたいに話せる状態かも分からない。……正直、今日体が調子いいのは奇跡だと思ってる。ちゃんと意識があるうちにキスして欲しい」

 その瞳はまっすぐで真剣なことが伝わってきた。
 私は返事をすることが出来ない。往生際が悪い。


「花純……」

 私の耳に触れた手で、口元を覆っていたマスクを外す。
 涙と鼻水も混ざり、ぐちゃぐちゃになっている。だけど、止まることを知らない涙はずっと溢れて止まらない。

 
「花純、ありがとう。俺の願いを聞いてくれて」
「……綱くん、っありがとう、私と……出会ってくれて」
「また、会えたなら……」
「……っ、うん」
「一緒に生きて行こう」
「っ、うんっ、」
「その時は、嫌がるほどキスするから、覚悟しとけよ」
「うん、」


 しばらくの間見つめ合うと、どちらからともなく近づいて、自然とまた抱きしめ合った。

 鬼の子に生まれて、私なんて生まれてこなければよかったのに。そう何百回と思った。
 「この世に生まれてきてよかった」なんて、一度も思ったことはない。

 私なんて、生まれてこなければよかったのに。
 そう思い続ける人生だった。

 1度でいいから生まれてきてよかった、と思いたい。……どうか、思わせてください。

 綱くんを鬼の子の呪いで生かすことが出来たなら、初めて鬼の子で生まれて良かったと思えるかな。

 綱くんが生きてくれるなら、何も望まない。どうか、神様がいるなら、お願いします。

 抱きしめた時のこの感覚も、この温もりも、これで最後かもしれない。そう思えば思うほど、離れられなかった。そんな私を後押しするように、私の瞳を真っ直ぐ見て囁いた。


「……花純、頼む」

 頬を伝う一筋の涙と共に告げられた、その言葉の意味はすぐに分かった。


 震える足で一歩を踏み出した。
 彼を病魔から救う、勇気の一歩を。

 振り絞った勇気の果てにあるのは、「生」か「死」か知る術はない。

 それでも、震える唇を彼の唇へと近づけた――。

 これが正しいのかは分からない。
 ただ一つ分かっているのは、目の前にあるのは「愛」だ。それだけは紛れようもない真実だ。



「愛してる」