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 カーテンの隙間から差し込む太陽の光で起きた。アラームよりも先に自然と目が覚めたので、心も晴れているように軽くなる。
 夏は終わったはずなのに残暑は厳しく一向に涼しくなる気配はない。鬼の子の呪いを気にして、年中口元をマスクで覆っている私にとっては暑さは天敵だ。
 朝からムシムシと暑さを感じて、軽くなった心もどんよりしてしまう。重い足取りのまま学校へ向かう。

 校舎に1歩足を踏み入れると熱気と生徒の笑い声に包まれ、エネルギーが爆発してるようだ。
 そんな中でも、私への悪口は耳まで届く。

「うわー、朝から鬼の子と会っちゃった」
「今日、厄日決定だな」


 教室に向かうため、ただ廊下を歩いているだけで、すれ違いざまに悪口を言われる。
 悪口は数えきれない程、毎日言われているけど、直接的に危害を加えられることはない。面と向かっては言わないくせに、私に聞こえるように、わざと大きな声で悪口を言うのだ。

 直接的に手を出さないのは、鬼の子の呪いを警戒してのことだろう。私にされる嫌がらせは、陰険なものばかりだ。私のクラスである3年A組の教室の前の廊下に着くと、毎朝のように机と椅子が1つずつ放り出されている。

「(はあ――)」

 もちろん私の机と椅子だ。
 毎朝、教室から運び出すのも大変だろうに、よくやるなとある意味関心さえする。

「鬼の子くるな」「人殺し」「早く辞めろ」
 中傷や悪口をらくがきされた、綺麗とは言えない机とテーブルを自分で持ち上げた。
 落書きは何度消しても、また書かれるので消すことすら面倒になり、いつの日からか消すことをやめた。

 私の席は窓側の1番後ろの端っこの席。クラスメイトとは距離が異様に離された位置にある。その定位置に自分で机と椅子を運ぶ。

 これは、毎日のことで日課になっている。
 毎日されることだと、頭が認識していても、心は突き刺されたように痛む。

 大丈夫。ただ机に落書きをされただけだ。心は傷ついてなんてない。
 傷ついた心を自分で修復するため、何度も念じる。私には味方がいない。傷ついた心も、自分で修復するしかないのだ。


 心の中で何度も復唱して、自分に言い聞かせた。
 ――私は今日も自分の感情に蓋をする。


 教室にはまだ何も書かれてない綺麗な黒板が見える。登校してきたクラスメイトは楽しそうに談笑していて笑い声が飛び交っていた。ガヤガヤと騒がしかったクラスメイトも、私が教室に足を1歩踏み入れると同時に、シンと静まり返る。

 心が押しつぶされてしまいそうになるほどの重い沈黙。
 クラスメイトの冷たい視線が、一斉に突き刺さる。嫌な気をまとった視線に、どくん、と心臓が波打つ。
 悪意に満ち溢れている視線にも、慣れっこのはずなのに、心は動揺してしまう。
 心の動揺がバレないように、無表情の仮面を貼り付ける。

 震える手を何とか抑え込み、自分の机と椅子を教室の端の一番後ろへと持っていく。
 その間も視線は私に集まり続けて、嫌な雰囲気が流れている。毎日のことだが重い沈黙の空気感は、居心地は良くない。

 居心地が悪いと思っている事を悟られたくないため、私はすました顔で何も気にしてないような顔をして、窓の外の景色を眺める。そうして、ただひたすら時間が過ぎるのを待つ。


「また澄ました顔してさ、全然ダメージないじゃん」
「そりゃ、人間じゃないんだから、ノーダメージなんじゃん?」
「毎日、鬼の子に殺されるかもって危惧しながら生活するのしんどーい」
「私らは悪くなくない? 悪いのは全部鬼の子だよ」

 離れた場所から、あなたの悪口ですと言わんばかりに私に視線を向けながら言い放つ。

 悪口を言われるのは心が痛むが、みんなの気持ちも分からなくはない。
 唇に触れたら人を殺す、殺人鬼が同じクラス。同じ空間を過ごし、勉強も共にしていかなければならないなんて。悪口を言ったり、嫌がらせもしたくなるだろう。

 だけど、私は殺す気なんてないし、誰も殺したくない。意味があるのかは立証されていないが、口元を隠すためにマスクを年中つけている。
 暑い夏の日は特に、マスクの中は蒸れて苦しいが、我慢して着けている。人知れず努力をしているけど、そんな小さな頑張りは誰も認めてはくれなかった。


 しばらく経つと、私の悪口を言うことにも飽きてきたのか、好きな人のこと、部活のことなど、学生らしい日常をガヤガヤと雑談し始める。
 これもいつものことで、永遠に私の悪口が続くわけではなく、必ず飽きがくるのだ。
 この時間を待ち望んでいた。つかの間の平和な時間の到来だ。心の中で安堵のため息をつく。

 私がクラスメイトの会話に入ることは一切ない。無視は継続されていてその場にいないものとされているが、それで構わない。悪口を言われ、心が削られるより、いない者とされてる方が何倍もマシだった。