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 それからというもの、学校が終わると綱くんに会いに行った。面会終了の17時までたくさんお話しをした。勉強のこと。学校のこと。最近は、クラスメイトの一ノ瀬さんと普通に友達のように話が出来るようになったこと。
 綱くんのおかげで、以前とは違った学校生活を送れるようになったことを伝えた。そんな私に「良かったな」と変わらない優しい笑顔を向けてくれる。

 病棟の看護師さんとも話す機会が増えた。病棟にいる人達は私が鬼の子だと知っても、文句を言うことなく、あたたかく迎えてくれた。鬼の子が迷惑がられないなんて、初めてのことだった。すごく嬉しくて、あたたかい雰囲気がとても好きだった。

 自販機コーナーで、飲み物を選んでいると視線を感じる。その視線の先には、眉間に皺を寄せて睨みをきかせている年配の男性がいた。60歳後半くらいに見える。

「あんた、鬼の子か?」

 しゃがれた声で話す男性の表情は、かなり険しい。鬼の子が病院にきて不謹慎だと感じられたかもしれない。男性から感じる威圧感に、胃がキリキリと痛み出す。


「は、はい」
「鬼の子が、こんなところに何しにきてるんだ?」
「……鬼の子なのに病院にきて、不謹慎だと思われたなら、すみません。でも、病院ここにどうしても会いたい人がいるんです。私の唇に触れなければ死にません。細心の注意を払って行動します。どうか、私がここに来ることを許してはくれませんか?」

 年配の男性は私の存在が迷惑なのだろう。それを理解したうえで、綱くんに会いに来ることを辞めたくない。彼に会いにくることを、許して欲しくて気づくと私は深々と頭を下げていた。

「ガハハハッ」

 思っていた反応とは違い豪快な笑い声が聞こえた。驚いて頭を上げると男性は大きな口を開けて笑っていた。

「え?」
「別に好きなだけ会いに来たらいいじゃろ。ここの病棟は死期が近いやつも多い、病気で死ぬのも、鬼の子に殺されるのも変わらんよ」

 ブラックジョークに私は笑うことが正しい判断なのか分からなかった。あまりにも男性が声を上げて笑うのでつられて「ははっ」と空笑いするしか出来なかった。

「ちょっと! 神山さん。声が大きいから向こうまで聞こえてきたよ。ブラックジョーク過ぎて花純ちゃん困ってるじゃない」

 助け舟の声をかけてくれたのは、通りかかった看護師さんだった。なんて答えればいいのか困っていた私はすがる思いで看護師さんを見つめる。
 私の視線に気付くと、うんうんと相槌を打ってくれた。そして話を続ける。

「あのね、神山さんも、私たち看護師も……鬼の子だからって何も変わらないよ。正直最初は躊躇もしたけどね。……これ言うと怒られるんだけど、綱くんね。神山さんや他の患者さんに花純ちゃんのこと説明して回ってたんだよ?」
「そうなんですか?」
「絶対言うなよ? って言われてたんだけど。『花純は鬼の子だけど、唇が直接触れなければ死ぬことはない。本人はいつもマスクをして気をつけてる。見舞いに来るのを許してやって欲しい』って、一部屋、一部屋回って、頭下げてたんだよ」
「全然知らなかった」
「中には裏でコソコソ言ってる患者さんもいてね、花純ちゃんの耳に入る前に説得したかったんだと思う。ふふふっ」
「……?」

 看護師さんが謎のにやりと微笑している。その表情の理由が分からなくて視線を送る。

「ごめん、思い出しちゃって。だってね、『マスク越しなら唇が当たっても死にません。俺、マスク越しにキスしても死んでませんから』って真剣な顔で言い回ってるんだもん。おばちゃん、顔が熱くなってニヤケちゃったよ」

 その事実を聞いた途端に、急激に顔の体温が上がる。恥ずかしくて頬だけでなく、耳まで真っ赤に染まっていく。看護師さんと神山さんのニヤリと微笑を浮かべた視線がより一層恥ずかしさを加速させる。恥ずかしくて、一刻も早くこの場から立ち去りたい。

「なーんだ。嬢ちゃん、いい彼氏持ったなあ」
「か、彼氏じゃないです」
「えっ? 付き合ってないの?」

 言われて考えてみると、私たちの関係ってなんだろう?
 好きだなんて言われたことない。私が一方的に好きで、勝手にお見舞いに来て会いにきてるだけだ。

「私が勝手に会いに来てるだけでなので……今は、こうやって好きな人に会えるだけで、片思いで充分なんです」
「甘酸っぱいー!」

 看護師さんと神山さんは顔を合わせて悶えている。私の片思いは甘酸っぱいらしい。
 両思いになりたいという欲がない訳ではない。彼の好きな人になれたらどれだけ嬉しいだろう。
 欲にはキリがない。少し前の私の状況と比べたら、今の生活は途轍もなく幸せだ。これ以上何か望んだらバチが当たりそう。

 自分の中の欲に蓋をして、片思いでいいと思ったんだ。綱くんが死んでしまったら、片思いすら出来なくなってしまうのだから。
 世間的には、片思いは辛いという印象だけど、私にとっては片思い出来る今が十分幸せなのだ。

 好きな人が生きていて片思い出来る。ということがどれだけ幸せなことなのか、忘れたくない。
 綱くんが私のために、他の患者さんに頭を下げていたなんて、知らなかった。
 綱くんはそんな素振りを一つも見せなかった。自分が1番辛い時にどうして人のために動けるんだろう。愛おしいという感情が込み上げてくる。

 愛おしい彼の顔が早く見たくて、彼のいる病室へ向かう足取りは自然と小走りになる。


「……綱くん!」
「おお。なんかいいことでもあった? 上機嫌じゃん」
「うん、ちょっとね」
「なんだよ。気になるな……」
「看護師さんに聞いたよ。私のために他の患者さんに頭下げてたって」
「……口軽いな。あの看護師」

 軽く舌打ちをして眉間に皺を寄せた。その表情は不機嫌そのものだ。そんな姿も愛おしくて、微笑ましく思ってしまう。
 私のことをどう思ってるのか聞いてみたい気もするけど、聞いたらこの関係が終わってしまいそうで怖かった。

 そばであなたが息をして、笑ってくれる。
 今日も生きてくれている。それだけで十分だ。
 この幸せが続くのなら、永遠に片思いでもいいと本気で思った。