コンコン、病室の扉をノックして、扉を開けた。
 病室の中は2人部屋で窓側のベッドに、愛しい綱くんが眠っていた。

 私の心配をよそに、綱くんはチューブに繋がれているわけではなく、昨日と同じ点滴が吊るされているだけだった。顔色も昨日と変わらずで、心の中でホッと安堵のため息をついた。

 人の気配に気づいた様子で、眠そうな重たい目をゆっくり開けた。私の姿を見て驚きを隠せない様子だった。



「は。なんでいんの?」
「こら。せっかく来てくれたのに、その言葉遣い!」

 お母さんは綱くんの頭を軽く小突いていた。「やめろよ」という2人のやりとりを見て仲が良いことが伝わってくる。緊張と動揺で荒ぶっていた心が少し和んだ。

「昨日、もう来んなよ、ってカッコよく決め台詞残して消えたのに。次の日すぐ会ってたらカッコ悪くね?」
「勝手にだけど、花純さんに少し病気のこと話させてもらった」
「……2人して、目真っ赤にさせてんじゃねーよ」
「邪魔者のお母さんは消えるから、2人で話してきたら?」
「はいはい」

 まるで追い払うかのように、気だるげにひらひらと手のひらを振っている。しっしっ、と追い払うしぐさをしないのは、お母さんへの優しさが見えて綱くんらしいな、と微笑ましくなる。



「ってことで、場所変えて話すか」

 綱くんに着いて行き、緩和ケア病棟内にある談話室へと場所を移動することになった。
 こぢんまりとした談話室で綺麗に整備されてた。病室と少し離れた場所にあり、花などがお洒落に飾られた空間はここが病棟だということを忘れてしまいそうになる。

「何飲む?」
「えっと、お茶で」

 談話室に設置されている自販機のボタンを押す。
 財布を探すためにゴソゴソと鞄を探していると「いらないから」とぶっきらぼうに呟いた。

「ありがとう」

「あの……」
「あのさ……」

 同時に言葉を発するとお互いにピタッと止まり、視線が重なった。しばらく私の様子を伺うと、先に口を開いたのは綱くんだった。

「ごめんな、昨日、あんな言い方して。まさか、自分がドラマで言いそうな台詞を言うことになるとはなあ」

 おどけた声でいつもの笑顔をみせてくれたので、緊張で引き攣っていた顔は自然と緩む。


「母さんに、全部聞いたか?」
「う、うん」
「そっか……。聞いたならわかると思うけど、いつまで今の状態を保てるか分からない。明日には身体が動かなくなってるかもしれない。今日で喋れるのは最後かもしれない。明日にでも死にそうな奴のために、会いに来なくていいんだぞ?」

 この現実を受け入れた後も、私の考えは変わらなかった。


「綱くんのためじゃない。私が会いたいの……会いにくることを許して欲しい」


 ――伝わって欲しい、私の気持ち。
 伝わるように、まっすぐ視線を向ける。

「俺、もう花純に何もしてやれねぇよ?」
「……うん」
「机に落書きされても、消してやれない」
「うん、自分で消す」
「学校で虐められても助けてやれないし」
「うん、これから虐められたら自分で言い返す」
「俺といたって、プラスになることなんて、ないぞ?」
「そばにいられるだけで……私にとってはプラスなの」
「なんだよ、それ」

 綱くんは言葉に詰まらせながら、天井を見上げた。しばらく見上げているので涙を我慢しているのだと思った。涙は見せなかったけど身体は小さく震えていた。

「お前、そんなんだと、ダメ男に引っ掛かるぞ? 女は自分にプラスになる奴を好きにならねぇと」
「もう既に、引っ掛かって……抜け出せないみたい」
「なんだよそれ、ダメじゃん」
「私は、それで幸せだからいいの」
「……俺そばにいてやれないんだよ……泣いてるときに涙を拭いてやれないんだよ」
「泣かないもん」
「嘘つけ。泣いてんじゃん」

 昨日あれほど泣いたのに、枯れることのない涙は頬を伝う。
 言い合いのようなやり取りを繰り返し、その会話すら愛おしくて。終わってほしくなかった。どのくらいの時間、話していたのだろう。病棟の看護師さんがひょっこり顔を出して、長い時間お喋りしていたんだと知る。



「渡辺くん、話してるところ悪いんだけど検温したいんだ。部屋に戻ってもらっていいかい?」
「分かりました。……花純、もうこなくても……」
「また、来るから!」

 綱くんが言い終わる前に食い気味で言葉を被せた。

「私が会いたくなくなるまでは、勝手に会いに来るからね」
「……わかった」

 頷きながら私が好きな彼の笑顔を見せてくれた。去っていく背中を見送り、哀しさが押し寄せてくる感情に蓋をした。また会える。明日も会えるのだから。