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 よく晴れた日の日差しは暖かく、午後の授業は眠気を誘う。あくびをしたり、だるそうに机に突っ伏している生徒も何人かいる。そんな風にクラスの士気が低い中、もうすぐ行われる球技大会の種目決めをするらしい。
 

 「今日の授業は球技大会の種目決めするぞー。後は学級委員、宜しく」

 生徒同士で全部決めてくれ。と言わんばかりに、学級委員に丸投げだ。
 教室の端のパイプ椅子に腰をかけて、腕組みをして「ふう」と小さなため息をつき、自分の仕事は終わった顔ぶりをしている。生徒達の自主性を伸ばすために口は出さない。と、以前に言っていたが、ここまで来ると、面倒だから学級委員に丸投げしているようにしか見えない。

 担任の代わりに、学級委員長と副委員長が黒板の前に立ち、チョークを片手にクラスに問いかける。


「球技大会の種目について……」

 
 高校生活の中で一大イベントの1つは球技大会だ。
 クラス対抗なので、生徒達の対抗心に火がつく。やはりスポーツは盛り上がる。クラス一丸となって戦うので、絆も深まりやすい。

 バスケ、サッカー、野球、卓球、それぞれ得意なものがある人は得意な競技を選び、バランスを考えながら編成していく。

 毎年恒例の球技大会だが、私は鬼の子。参加したことは今まで1度もない。
 スポーツをしている最中に、誤って唇が触れてしまえば、殺してしまうかもしれない。私が参加することは暗黙の了解で禁止されている。

 それが当たり前だと思っていたので、平気な顔で窓の外を眺める。
 心の中は何も考えていない。窓側の席は、持て余した時間を外を眺めていられるので本当に助かっている。

 ぼーっと窓の外を眺めていると、コツンと机を小突かれる音がした。前を向くと、綱くんは窓側の壁に背中を預け、私の方に顔が向けられている。


「花純は? 球技大会、何に出るの?」
「……私は見学だよ?」

 強がって気にもしていないようなふりをして、できる限りの軽やかな声で答える。

「なんで? 身体弱いのか?」
「……鬼の子だから」
「また、それかよー」

 わざとらしく、ため息を吐いて、眉間にしわを寄せる。

「綱くんは何に出るの?」
「俺は……面倒だから……出ないかな」

 一瞬、顔の表情が曇ったように見えた。瞬きをして次の瞬間には、いつもの表情に戻っていたので、気にも留めなかった。

 この時、きちんと話を聞いていれば、なにか変わっていのだろうか。
 綱くんの強さと、その裏に隠れている弱さに、もっと早く気づけていたなら……。




「……得意な種目とかあんの?」
「うーん。全部得意じゃないけど……強いて言うならバスケかな?」

 子供の頃、スポ少のバスケをやっていた光希に無理やり練習に付き合わされた。練習といっても、ボール拾いやパスの練習相手として付き合わされた雑用なものだ。光希が帰ったあとに、一人残りシュートの練習をして時間をつぶしていた。なので、他の球技よりは少しだけ触れたことがあるというくらいだ。


「ふーん」

 何か考えてるような顔をして、何をするかと思えば、勢いよく手を挙げた。

「はーい。花純はバスケに出ます!」

 はっきりとした口調で言い放つ言葉はクラス中に広がる。和気あいあいと種目決めをしていたクラスの雰囲気がガラッと変わる。

「え、何言って……なにいってんの?」

 高らかに掲げられた腕を掴んで必死に降ろすが、もう既にクラス中の視線が向けられている。


「え、」
「鬼の子がバスケ出るの?」
「私、バスケなんだけど! 死にたくないよ!」
「バスケに出るとか、普通にいやなんだけど」

 あちこちから否定する声が聞こえてくる。みんなが困惑しているのが嫌でも伝わってくる。それ以上に私だって困惑していた。突如、バスケに出ます!なんて勝手に宣言されたのだから。

 「……」
 「……」

 あちこちから刺さる視線が痛い。異様な空気に耐えられなくなり、勢いよく立ち上がる。ガタッ、と椅子が後ろに引かれる音が教室に鳴り響く。いきなり立ち上がった私に驚いたのか、シンと静まり返った。

 
「わ、私、出ないから! 安心して……」

 教室内を見渡すと、クラスメイトの表情は強張ったままだ。
 私が参加するなんて、嫌がられると分かっていた。分かっていたはずなのに、ここまであからさまに拒否されると、胸がナイフで突き刺されたように痛かった。
 私のせいで、クラスの空気がどんより悪くなってしまった。

「出ればいいじゃん? なんでダメなわけ?……コソコソ話すんじゃなくて、ダメな理由があるなら、この際ちゃんと口で伝えろよ」

 殺伐としたクラスの雰囲気に動じることなく、淡々とした口調でクラスメイトに投げかけた。

「だって……死にたくない」
「ねえ? 正直さ……怖いよね」
「バスケって、体がぶつかったりするし」

 1人が口を開くと、次々と不満を話し出した。
 みんなが私に参加して欲しくないと思っている事は知ってた。知っていても実際に言葉で聞くと、ザクリ。と心に刺さるものがある。聞けば聞くほど、心がしんどくなってくる。
 
 

「……分かってるから。私、球技大会には出ないし、迷惑かけないよ」

 クラスの雰囲気がこれ以上悪くなるのが心苦しくて、発言するが、声がどんどん小さく弱々しくなる。そんな自分が痛々しくて哀しい。


「お前ら、球技大会勝ちたくねぇの?」

 挑発するかのように声を上げたのは、綱くんだった。薄ら笑いを浮かべ、その目は完全に挑発していた。

「そりゃあ、勝ちたいけど……」
「なあ、勝ちたいけど……」

「俺、必勝法思いついたんだけど、聞く?」

 綱くんの一言にクラスの空気が変わった。みんな興味が出たのか、適当に聞いているだけだったクラスメイトも、顔を上げて綱くんの声に耳を傾けた。

「花純を怖がってるのって、このクラスだけじゃなくて、他のクラスの連中もなんだよな?」
「……まあね。学校全体……だよね」
「だったら、試合中に花純をバスケットゴールの下に待機させるのはどうだ?」
「え?」
「えっ?」

 綱くんの提案にクラス全体が驚いて、話を聞き入っていた。声にはしないが、その提案内容に私が1番驚き戸惑っている。
 
「花純をバスケットゴールの下に待機させても、鬼の子だから、敵チームは怖がってディフェンスがつくことはない」
「……」
「つまり、花純はボールを持っても、ディフェンスなしで、シュートが打ち放題ってことだ」
「おお――!」

 盛大な歓声が沸きあがる。言葉1つで殺伐としていた空気が完全に変わった。彼の言葉は人を惹きつけて、魅了する。さっきまでのお通夜状態のクラスが、今は活気に溢れていた。
 


「でも……同じボール持つの怖い」
「もし、鬼の子の呪いが掛かっちゃったら。って考えたら……怖いよね」

 歓声が沸き上がる片隅で不安の声は消えなかった。言いにくそうにするも、心の不安を声に出していた。その子の表情には、恐怖の色が見える。私の存在で、不安にさせて申し訳ない気持ちが込み上げる。
 やっぱり、私は――。

「だったら、俺が証明してやるよ」

 聞こえてきた不安な声に、綱くんは迷うことなく言葉を発した。
 私の手を握り、みんなに見えるように高らかに腕をあげてみせた。

「ほら、花純の手に触っても死なない。直接触れて死なないんだから、同じボールを持ったとしても死なねぇよ?」
「……」
「そんなに不安なら、今バスケットボール持ってきて実践するか?」
「い、いいよ。わ、わかったよ」

 実際に目の前で触れているところを見せたことによって説得力が上がったのか、不安を口にしたクラスメイトは、それ以上追及してこない。
 綱くんの威圧感は有無を言わせぬ感じで、言い返すことが出来ないようにも感じる。
 いつまでも手を離してくれそうにないので、ちらりと隣に視線を向けると、八重歯を覗かせて笑う綱くんと目が合った。
「手離してよ」と伝えるように、わざとらしく顔をしかめてみせると、そんな私の顔を見て、フッと笑った。男性経験が全くない私は、この男には勝てそうにない。彼の取り扱い方が分からないままだ。

 
「……あ、あの、他のクラスから苦情来ないかな?」

 心の中の不安を声に出した。私への誹謗中傷が、今度はクラス全体に向けられるのではないかと危惧したからだ。弱々しい口調で聞く。


「あー。だよね」
「そりゃあ、苦情くるよな」

 私の言葉に、うんうんと頷きながら、さっきまでの活気溢れた空気は、一変してどんよりと暗い空気に変わった。自分で言ったくせに、心のどこかでガッカリしている自分がいることに気づいた。
 そんな自分に「私、球技大会に参加したかったんだ」と実感させられる。
 今まで参加しない事が当たり前だったのに、綱くんの呼びかけで参加出来るかもしれない、と淡い期待を抱いてしまったのだ。そして、自分の本当の気持ちを知ってしまった。
 知ってしまったところで、どうすることも出来ない。


「鬼の子が球技大会に参加禁止なんてルール、ないだろ? まあ、他のクラスから苦情が来るのを覚悟出来るかっていう問題じゃね? 球技大会で、勝つためにお前らがどこまでの覚悟があるのか……」

 綱くんは、深い息を吐きながら、まるで挑発するように問いかける。


「……覚悟か」
「俺は勝つための覚悟ならある!」
「なんか、苦情をビビってるのもダサくね?」

 挑発とも取れる問いかけに、最初に反応を見せたのは、クラスの中でも体育会系に分類される活発な男子達だった。男子の反応を見たクラスメイトも、それまで悩んでいた表情が変わっていく。
 綱くんの問いかけに、諦めムードだったクラスの空気が、また変わった。クラスの雰囲気を変えることなど容易いようで、口角を上げてニヤリと笑っているのを私は見逃さなかった。

「どうする?」
「でも、確かにその作戦なら勝てそうだよね」
「うちのクラスってバスケ部少なくて、バスケ弱いし」
「これなら、絶対勝てそうじゃね?」

 教室のあちこちから飛び交う前向きな声に、私の心もドキドキしていた。このドキドキはなんだろう。期待してしまってるのかもしれない。クラスメイトはみんな目を合わせて、「うんうん」と相槌をうっている。



「じゃあ、鬼の子も……じゃないや。鬼王さんも参加ってことで」
「えっ? いいの?」
 
 今まで話したことのない男子は私に視線を向けずに言葉だけ残す。
 私は嬉しくて自然と笑顔になる。マスクをしていても、たぶん喜びが隠しきれていない。

「ああ。その作戦なら勝てそうだし?」
「シュート決めてくれよ?」

 クラスメイトから、悪口ではない声を掛けられる。
 いつも悪口や暴言しか言われてこなかったので、嬉しくて目の奥が熱くなる。涙が出てこないように、服の袖をギュッと掴んで力を入れた。

「苦情は覚悟だな」
「苦情が来たら、綱くんが威圧してやめさせてよ?」

 笑い声も飛び交い、クラスの空気は穏やかなものだった。
 避けられて、いじめられ続けた私の人生で、クラスメイトに話しかけられる日が来るなんて……。思ってもみなかった。嫌なことしかなく辛い記憶でしかなかった高校生活。今この瞬間を噛み締めていた。
 ――初めての楽しい記憶が残った。