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 この町は栄え都市とは程遠い小さな町だ。おそらく、いや絶対にこの町の人は鬼の子の存在を把握している。町を歩くと後ろ指をさされるので、活気づいたお店が立ち並ぶアーケードなんて絶対に訪れない。それなのに、綱くんに手を引かれるがまま来てしまった。案の定、後ろ指をさされ、コソコソと私の悪口が降ってくる。

「あれ、鬼の子じゃない?」
「鬼の子がなんでこんなところに?」
「塩、塩投げよう!」

 やっぱり来なければよかった。予想はしていたが、はるかに上回る数の暴言、中傷のオンパレードだ。
 学校で感じる悪意に満ちた視線も辛いが、大勢の知らない人からの冷ややかな視線は余計に刺さる。

「この辺りに人気のカフェあるんだろ?」
「そ、そうなの? 知らない……」
「クラスの奴が言ってたよ。皆行ったことあるって」
「私が行くと、お店の迷惑になるから……行ったことない」

 こうして町を出歩くことがほとんどない私は外食をしたことがない。私が行ったところで、お店の迷惑にしかならないからだ。それを知っている家族も私を外食に連れて行こうとはしなかった。

「じゃ、はつたいけーん」

 軽快な口調で聞こえてきた綱くんの声とは反対に、私の身体は拒否反応を起こして立ち止まる。お洒落な外観のカフェ。私が入るなんて相応しくないと思った。そんな私をよそに強引に手を引き、木彫りの重い扉を開けた。

「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
「二名です」

 木を基調としたお洒落な店内はコーヒーの匂いが漂う。笑顔で出迎えてくれた店員さんは、私が鬼の子と分かっていないのか、私たちを席に案内する。

 奥の木彫りが印象的なテーブル席に案内されると、他の席のお客さんがひそひそと話始める。

「あれ、鬼の子じゃない?」
「そんなわけなくない?」
「鬼の子が誰かと一緒にカフェにくるなんて」

 嫌でも耳に届く声は、完全に私に向けられたものだった。居たたまれなくなり、顔が俯く。
 案内してくれた店員さんが戻ってくると、私の顔をじっと見て、少し言いにくそうにしながら口を開く。

「失礼ですが……あなた、鬼の子……ですか?」

 店内にいたお客さんの視線が一斉に集まる。ヒソヒソと噂する声もより一層多くなる。

「す、すみません」

 そう言って出ようと椅子から、勢いよく立ち上がった。店内を出ようと足早に歩くと背中に綱くんの言葉を受けて足が止まる。

「なんでダメなんすか?」
「当店は……鬼の子のご来店は……ご遠慮いただく規定がありまして……」
「はあー、じゃあ、テイクアウトで! 俺が買うんで。それならいいでしょ」

 綱くんは心底不満そうな表情を浮かべた。

「花純、外で待っていて? いいか? 勝手に帰ったりするなよ?」
「う、うん」

 私は一人で先に帰ろうと思っていた。その思惑を見透かされていたようで、帰らないように釘を刺される。
 言われた通り、外でひっそりと待つことにした。
 
 初めて入ったカフェの店内は、コーヒーの匂いが漂い、お洒落な雰囲気だった。

「みんな、こういうお洒落なカフェで恋の話とかするのかな……」

 ぽつりと呟いた独り言は、風に流され消えていく。人から隠れるようにカフェの駐車場の隅の方で身を潜めていた。
 

「あーいた。よかった。帰らなくて。……店がダメなら公園で食べるか」
 
 少し待つと紙袋を持って綱くんが出てきた。綱くんに引き留められなければ完全に帰っていた。私のせいでカフェにも入れないなんて心苦しい。

「綱くん、ごめんね。私のせいで、行きたかったカフェに行けなくて……」
「行けたじゃん。ここにある」

 持っていた店名のロゴが書かれた紙袋を指さして笑った。
 私を責めるわけでも、店員さんを責めるわけでもない。
 店内から追い出されて、普通は文句の1つや2つあるはずなのに、誰も悪者にしない。彼の大きな懐に心が魅かれていくのは自然現象だった。

 公園の遊具には元気に遊ぶ子供たちの姿が見える。賑やかな笑い声がBGMのように耳に届く。活気あふれるところからは離れたベンチに腰を下ろした。カフェでテイクアウトした、ドーナツとカフェラテを差し出される。

「ありがとう。あ、お金。いくらだった?」
「いらない。これはお礼ということで」
「お礼? 今日は机の落書きを消してくれたお礼にきたんだよ。私がお礼をする立場で……」
「あー、そういうていだったか……まあ、いいじゃん。食おう!」
「でも……」
「本当に気にすんな! 次言ったら、マスク取るからな」
 
 絶妙な脅しに何も言えなくなる。口を閉ざした私を見て、満足したように頷いた。そして目を細めて笑う綱くんの笑顔は、男性に免疫がない私には刺激が強い。心の動揺を隠すように視線を逸らして、目の前のドーナツにがぶりついた。

「おい……しい」
「……マスクいらないんじゃね?」

 ドーナツを食べるためマスクを顎まで下げていた。彼の右手が耳に触れたと同時にマスクがひらりと、膝の上に降りてきた。一瞬のうちにマスクを外されたらしい。

「ほら、マスクない方がいいよ」
「だ、だ、だめだよ。マスクは呪いから守る盾のようなものだから」

 膝の上に降りてきたマスクをすぐに拾って、再び装着する。
 そんな私を見て、わざとらしく口を尖らせて不貞腐れているようなそぶりをみせる。

 綱くんは、また私に触れた。なぜ躊躇なく触れられるのだろう。
 
 ずっと聞きたいことがあった。
 なぜ、綱くんは鬼の子の私に普通に接してくるのか。鬼の子の呪いが怖くないのか。

 
「あのさ、綱くんは怖くないの? 私といたら、その……死ぬ可能性があるんだよ?」
「……俺で試してみる?」
「はい?」

 意を決して聞いてみたものの、内心はバクバクと心臓が飛び出そうだった。返答を待つ私の耳に届いたのは、予想を遥かに超える返答だった。何を言っているのか理解が出来ない。
 
「花純とキスしたら、死ぬか、死なないか。……俺で試してみる?」
「で、できる訳ないでしょ。もし、呪いが発動して、死んでしまったら……」
「それでもいいよって言ったら?」
「なに言って……」


 
「――俺にキスしてよ」

 一瞬時が止まったような錯覚に陥る。綱くんの表情は真剣で、ふざけて言ったわけではないことが理解できた。彼がなぜそんなことを言うのか分からなかった。考えても分かるはずがない。

「……」 
「俺、今死んでもいいからさ、実験台にしていいよ?」
「簡単に死んでもいいなんて、冗談でも言わないでよ……」
「冗談で言ってない。……俺死にたがりだから」

 そう言った綱くんの瞳は今まで見たことないくらい冷たくて、少し怖かった。触れたいのに、触れてはいけないような。
 
「……」
「だから、考えておいて? 俺本気だから」

 そう言ってすぐ視線を逸らして俯いたので、綱くんの表情が見えない。

「俺からも質問していいか?」
「う、うん」
「昨日なにがあった?」

 やはり彼にはお見通しだった。

「えっと」
「言いたくないなら言わなくてもいいけど。人に言って楽になることもあるよ?」
「……聞いていて嫌な気持ちになるかもしれないけど、聞いてくれる?」

 私は勇気を振り絞って話そうと思った。
 鬼王家のこと。昨日叔母さんに言われたこと。ゆっくりと言葉に詰まりながらも説明をした。綱くんは相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。すべて聞き終えると、深いため息を吐いた。

「なんだよ。それ……。なんで花純の未来まで決める権利あんの? 毒親って言うんじゃねーか?」
「毒親……」
「毒叔母か? そもそも、花純の家は古くからのしきたりが強すぎて、毒親というより全てのしがらみが絡んでくるんだな」
「そう、だね。普通の家とは少し違うかも……」
「しがらみを脱ぎ捨てて、逃げられたらいいのにな」
「綱くんも……しがらみがあるの?」
「あー。絡みついて離れない」
「それって……」
「でもさ、大人になってもいいなりになることないと思う。鬼王家のしきたりも、叔母さんの考えも、花純が違うな。と思ったら、それが正解だから」

 聞こうとした質問を遮られた。会話をけん制されて気がして、それ以上は聞けなかった。
 彼の言葉は心にスーッと染み込んでいくようだ。荒れた心は少し軽くなった気がする。

「あ、ありがとう」
「今の俺には何もできないなー。こういうとき大人じゃないって実感して、歯がゆいな」
「あ、あの、なんかね、話を聞いてもらって……。それで今、心が軽くなった」
「そっか? それは少しは役に立てたってことかな」
 
 私は誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。いつも私の意見は否定、拒否され続けてきた。共感されると心が軽くなるということを初めて実感した。

 
「ってか、花純は優しいんだな。俺だったら気に食わない奴全員にキスして、殺しちゃうかも」
「そ、それは……大量殺人鬼になっちゃう」
「完全犯罪もできるんじゃね?」
「な、なんでそんなこと言うの?」
「ははっ冗談だよ。そんなマジな顔すんなよ」
「冗談か……。よかった」

 口を開けて笑う姿を見て安心した。真剣に提案されても、殺人の提案には乗れそうにないから。

「花純は優しいな」
「え?」
「だーかーら、花純は優しいねって言ってんの」

 綱くんの表情1つに惹かれていく。彼には人を引き付ける何かがあった。
 その後は、綱くんの家族の話を聞いたり、きっと何気ない会話をしていたと思う。
 覚えていることといえば、この時間が終わってほしくない。そう感じていた。