俺の胸元に押し付けられたのは、拓海が大事にしているキャッチャーミットだった。破れたところは丁寧に補修されていて、紐は真新しいものと使い古したものが入り乱れている。

「葵にあげる」

「えっ、大事なミットだろ」

「うん……だからこそ野球を続ける葵に持ってて欲しいんだ。僕の想いが詰まってるから」

「でも俺……野球は……」

拓海が困ったように笑った。

「もう葵も分かってるはずでしょ、何が一番やりたいのかさ……ミキさんもずっと待ってると思うよ。僕と同じでさ」

「え? 母さんと同じ?」

「うん……葵は本当は大学に野球しに行きたいんでしょ?」

「…………」

行きたくないと言えば嘘になる。だけどプロになれるわけでも将来の仕事の糧になる訳でもないのに、大学に野球をしに行くなんて正しい選択なのか分からない。心は、いつだって不確かで決めたと思っても直ぐに揺れる。

「これも……ミキさんに言わないでって言われてたんだけどさ……ミキさんがパートに出てるの……涼くんと葵二人の学費の為だって言ってたよ」

「え? ……涼のだけじゃなくて?」

戸惑う俺をみながら拓海が小さく口を開く。

「うん。葵は野球が大好きだから……続けさせてあげたいって」 

「………」

知らなかった。いつも母親がパートから帰って来るのは夕飯時過ぎてからで、(うち)は父親が単身赴任で不在だ。俺は夏休みに入ってからは用意されている三食の食事を一人きりで食べていた。

そしてどこか優秀な涼への劣等感と親から子への期待値に兄弟格差があるように思えて、親に対する不満がいつも心の端っこにつき纏っていた。