「ああくそっ!」

 あの時のことを思い返すと、後悔と羞恥で死んでしまいたくなるので、俺の人生の一ページから完全に抹消してしまうことにしている。
 それなのに今日、四年ぶりに東雲と目を合わせてしまい、その瞬間思い出の全てが生々しく蘇ったということは、実はまったく抹消など出来ていないのだろう。
 ドキドキと鳴る心臓の音が、自分自身の耳にうるさい。

「うるせっ!」

 それまで胸に抱きしめていたクッションを、ソファーから起き上がりざまに、今まで寝転んでいた座面に力いっぱい叩きつける。
 するとリビングの隣の和室で母親に浴衣を着つけてもらっている二つ年上の姉貴が、自分に文句を言われたのだと思い、大声で言い返してきた。

「あんたこそうるさいわよ、青舟(せいしゅう)! いつもはいるんだかいないんだかわからないくらい静かなのに……今日はほんとに変。夏祭り行くんですって? 明日雨でも降るんじゃないの?」

「俺だってそう思ってるよ!」

 ソファーにボスボスとクッションを叩きつけながら、負けじと言い返すと、それまで僕には関係ないといったふうにゲームのコントローラーを握りしめていた弟の来人(らいと)が、ニヤニヤしながら俺をふり返った。

「にいちゃん彼女でもできたの?」
「はあああ? だったらさっさと私にも紹介しなさいよ!」

 俺より先に姉貴が返事をするので、それには最大限に睨みを効かせながら、生意気な小学生の弟に向かって低い声を出す。

「んなわけないだろ」
「だろうねー」

 あっさりと言ってまたゲームに集中を戻すところが、実に可愛くない。
 何か言い返したいが、ここで言葉を重ねると、来人よりも姉貴のほうがうるさいだろうとわかっており、俺は口を噤む。
 それなのに、そんな俺の努力をあざ笑うかのように、隣室から聞こえてくる姉の声は止まらない。

「どうせ男同士で行くんだろうけど、だったらなおさら、『特等席』には来ないでよ! 私がたあ君と行くんだからね!」

 祭りの最後の花火を見るための『とっておきの場所』を話題に出されると、それにまつわる思い出がまた蘇ってしまうじゃないかと、俺は内心舌打ちする。

「わかってるよ」

真樹(まき)、あんたその後に向こうのご両親に挨拶しに行くんなら、やっぱり浴衣より洋服のほうが……」
「大丈夫よ。着崩れないようにするって」
「そう?」

 母親との会話から推察するに、姉は交際五年目の彼氏と今年も一緒に花火を見て、その後向こうの家へまで行くようだ。

(五年か……)

 もし東雲とあんなことにならず、そのまま仲の良い友達でいたなら、自分たちの付き合いもちょうどその年月だったのだとつい考えてしまい、ブルブルと首を振ってその考えを頭から振り落とす。
 俺の頭の中なんて誰に知られることもないはずなのに、妙にドキドキした。

(何考えてんだ、俺は)

 姉の着付けを終えたらしい母親がちょうどリビングに入ってきて、狂ったように首を振っている俺に不審げな声をかける。

「青舟?」
「あ……」

 いかにも怪しい行動を見られてしまったことに焦り、慌てて動きを止めた俺に、高校三年にもなったどちらかと言えば口数の少ない息子に、近頃なんと声をかけていいのか困惑しているふうの母が、恐る恐るなんとも方向違いな質問をする。

「あ、あんたも浴衣……着る? お父さんのならあるけど……?」
「…………」

 浴衣なんぞ着て行った日には、女子がたくさん参加することになったから気合いが入っているねなどと仲尾に囃し立てられ、日頃から大勢の女どもに囲まれ慣れている東雲に、失笑されるか冷たい目を向けられるかだと、俺は肩を落とす。

「いや……いらね」
「……だよね」

 なぜかほっとしたように嘆息した母親は、姉の着替えの後片付けをしに和室へ戻って行った。

「男友達と行くんなら、浴衣着てもねー」

 やけに理解のあることを語っている来人は、俺に背を向けてゲームをしており、その顔は見えないが、きっと生意気な顔をしているに違いない。
 小学生のわりに落ち着いた雰囲気で、背はクラスで一番低いのにもう何人もの女子に告白されたと、いつも自慢げに語っている。

「兄ちゃんももう高三なんだからさ、いいかげん彼女の一人や二人ぐらい作りなよ」
「……うるせ」

 手にしていたクッションを弟の後頭部へ投げつけて、俺はリビングを出た。