高校に入学してから知り合って友達になった仲尾や田浦にわざわざ話したことはないが、俺と東雲は同じ中学出身だ。
 それも、中学二年の夏まではかなり仲がよかった。
 
 初めて同じクラスになったのは中学二年のクラス替えで、小学校がそのまま隣の中学校に移っただけのような状態で学年全員知り合いばかりの俺と違い、学区外から通っていた東雲は、入学して一年が経ってもまだ仲が良い友人は出来ていないようだった。
 クラスでもいつも一人だった。

 だがそれを気にしているふうはなく、一人で静かに本を読んでいる時間をかえって楽しんでいるようにも見えた。
 元来そういうふうに時間を使いたい俺は、いつも好意的にそんなあいつの姿を遠くから見ていた。

 きっかけは何だったのだろう。
 おそらく、授業で何かペアを組まなければならないとかで、思い切って声をかけた俺にあいつが快く応じてくれ、それから一緒にいる時間が多くなったとかいう理由だろう。
 とにかく俺は、春が終わる頃、東雲と友達になった。

 少し離れたところから見ていた印象のまま、東雲は一人の時間を楽しむことのできるやつで、特に会話をすることなく隣にいても、居心地のいい友人だった。
 放課後遅くまで残っているあいつにつきあい、何を話すでもなく教室に居座り、戸締りに来た教師に追い出されるまで学校に残る日々が続いた。

 帰り道も、最寄りの駅まで歩く東雲につきあって自転車を押して歩く間、学校のこととか今やっているゲームのこととかおススメの本のこととか、思い出したようにぽつぽつと言葉を交わすだけで、特に会話らしい会話もなかったが、その時間が俺は好きだった。

 夕暮れ時の商店街の賑わいも、次第に暗くなっていく空の色も、線路沿いの道の夏草の匂いも、遮断機の点滅の光も、俺は全部東雲の横顔越しの思い出として、今でも鮮明に覚えている。

 あの頃俺はまだ成長期前で、すらっとしたスタイルのあいつより背が低かった。
 生まれつき色素が薄いらしいサラサラの髪とか、ガラス玉みたいに綺麗な目とか長い睫毛とか、中性じみた容姿の東雲はとても綺麗な少年で、遠慮もなくその姿を眺めては、「そんなに見るなよ」とよく笑われていた。

「ごめん」

 慌てて目を逸らしても、無意識のうちにまた、隣を歩く俺より少し背の高い横顔を見上げてしまう。
 おそらくあの頃数年分をまとめて見てしまったから、あの後意識的に目を逸らすようになってからも俺の脳裏にはあいつの顔がしっかりと焼きついていて、いつでもどこでもすぐに思い浮かべることができたのだと思う。たぶん。

 春の終わりから夏までの時間を呆れるほど二人で一緒に過ごしたが、終わりの時は唐突に訪れた。
 あの日も、そう――ちょうど夏祭りの日で、終業式後の帰り道でその話題になり、俺は東雲の告白に目を丸くした。

「嘘だろ? 夏祭り行ったことないの?」

 俺の問いかけに、東雲は淡い色の髪をサラサラと揺らして、ふふっと柔らかく笑う。

「嘘じゃないよ、ほんとだよ」

 その笑顔に、なんだか甘酸っぱい思いがこみ上げてきそうになる自覚が、その頃の俺にはかすかにあって、それをなんとか打ち消そうと、わざと大きな声で茶化すような言葉をくり返す。

「もっとガキの頃も? 誰とも?」
「うん。ない……」

 東雲は相変わらず笑顔だが、それが少し寂しげになった気がして、俺は内心「しまった」と後悔した。

 東雲には父親がおらず、母親は夜の仕事で、ほぼほったらかしにされている生活なのだという噂を聞いたことがあった。
 だからギリギリまで学校に居残っているのだと。
 あまり幸せではない境遇を、再認識させてしまったように思い、責任を感じて俺は焦る。
 なんとかその場の空気を変えたくて、咄嗟に思いついたことをそのまま口にした。

「だったら今日、俺と行かねえ?」
「え……」

 東雲が驚いたように目を見開いて、俺の顔を見た。
 姉貴が大切にしている陶器の西洋人形のようによく整った綺麗な顔が、真っ直ぐに自分を見つめるという居心地の悪さに耐え切れず、俺は身振り手振りまでまじえて、更に熱弁をふるう。

「屋台でいっぱい食いもん買ってさ……射的もやろうぜ。俺、商売にならんからもう来るなって的屋のおっちゃんに追い払われるくらい上手いんだ」
「へえ……」

 夏祭りでの武勇伝を多少誇張して話し続ける俺を、クスクス笑っている東雲の顔には、もう寂しさの色はない。
 それが嬉しくて、俺は柄にもなくペラペラとしゃべり続ける。

「祭りの最後の花火を見るのには、とっておきの場所があるから……俺が連れてってやるよ」
「うん」

 これまで姉弟でその場所を共有していた姉が、今年は彼氏と行くから邪魔するんじゃないぞと念を押していたような気もするが、東雲が嬉しそうに笑っているから気にしない。
 絶対に連れて行くと今決めた。

(だって、そしたら……絶対、もっと嬉しそうな顔するじゃん!)

 その笑顔を独り占めしようと、俺は冗談を本気に変える手筈を整える。

「親に許可貰えるか?」

 夜の外出には保護者の承諾が必要、それでも早めに帰宅しなければならないという中学の規則を、馬鹿々々しいと思いながらも遵守しようと努める俺に、東雲は少し考えるそぶりをしたのち頷く。

「うん、たぶん大丈夫……」
「なんなら俺が……」

 一緒に家まで行って親に頼んでやろうかと言いかけて、さすがにそれは図々しすぎるかと思い当たり、言葉を切ったのに、東雲が少し身を屈めて俺の表情をのぞきこむような角度で顔を近づける。

「うちに来る?」
「――――!」

 ドキリと、あきらかに不自然な跳ね方をした心臓を必死に無視して、俺は強がって笑った。

「お、おう」
「ありがとう」

 東雲の笑った顔は、やっぱり俺をそわそわさせる。
 俺はそれまで押して歩いていた自転車のサドルをポンポンと叩いた。

「チャリで行くか?」
「え? でも二駅あるよ?」
「いいから」

 多少強引に後ろの荷台に東雲を座らせて、自転車を漕ぎだしてから思った。

(なんだ……最初からこうすればよかった)

 これまで学校から駅までの短い道を、あと少しでお別れかなんて残念な気持ちを抱えながら、なるべくゆっくりとした速度で歩いていたが、こうして自転車で家まで送ればよかったのだ。

「家、反対の方角なのに……ごめん、宇津木」

 東雲が背後から申し訳なさそうに声をかけてくるので、俺は大きな声で返す。

「なんでだよ。チャリで飛ばせばすぐだよ……本気出せば、いつもお前が電車待ってるくらいの時間で、往復だってできるって」
「え? そうなの?」

 それは、自分でもどうかと思うほどのかなりの誇張表現だったが、背中合わせで荷台に座っている東雲が、クスクス笑っている声が聞こえるので良しとする。

「すごいね、宇津木」
「おう」

 背中に感じる東雲の背中が、笑い声に合わせて俺にくっついたり離れたりする。

(よかった、笑ってる……)

 そう思うと本当にペダルを漕ぐ足に力が漲るほど、俺の脳みそは簡単だった。
 東雲を後ろに乗せて走っていると考えると、これがダサいママチャリじゃなくて、本当に電車よりも速いごつくてかっこいい大型バイクだと思いこめるくらい、能天気な思考をしていた。