鈴夏は首を横に振った。それから、僕を説得する。
「まだ病気は進行してない。昨日だって、ジョギングして、今日だって、夏休み前最後の体育で、いつものようにはしゃいだ。
たまに胸が苦しくはなるし、髪もちょっと抜けるけど、まだ日常生活に支障は無い程度。だから大丈夫」
「でも……」
僕のことばをさえぎり、鈴夏は言った。
「結人くん、知ってた? 歌扇野高校の制服は、ブレザーなんだよ」
「え?」
「私、着るならあの制服がいいと思ってる」
鈴夏はその場でくるりと一回転してみせた。
「私はしばらく死ぬつもりはないから。受験に受かって、歌高の制服を着る」
「……鈴夏……」
「ほらほら、私はピンピンしてるよ」
彼女なりの元気アピールなのか、僕の周りをくるくると回った。
「だから、今日この倉庫で見たことは、誰にも言わないで黙ってて。再来週まで。大会が終わってからなら、いくらでも言っていい。だから……秘密にしていてほしい」
鈴夏は言い終えると、僕の背中に手を回し、不安そうに顔をうずめた。
突然抱きついてくるなんて、彼女らしくない行動だった。
鈴夏の体は震えていて、今にも泣き出しそうで。
できたばかりの擦り傷だろうか、彼女の腕に貼られた2つの絆創膏のガーゼが赤くにじんでいた。
がむしゃらに走って怪我をしたのだろうか。
染みたヘモグロビンの色が痛々しかった。
それでも、鈴夏の腕は僕を力強く抱き締めた。
そのことがとても不思議だったのを、今でも覚えている。
ここが、彼女の運命の転換点だった。
ニュースでは、死因は、女子生徒が患っていた持病との直接の関連はなし、と正式に発表された。そのあやふやな文面を百歩譲って信じるとしても、それでも、あの日、走らなければ、彼女は。
鈴夏はそれから二週間、なんの変哲もなく過ごした。部の練習でも問題なく走った。
それを見て、僕は彼女が未だ元気なことを納得した。
だから、僕は、黙っていた。黙っていてしまったのだ。
いや、それは今思えば、納得ではなく、死に向かう彼女に対する、中途半端な救いの気持ちでしかなかった。
僕は、その感情を自分の中で取り違えた。
――死に向かう鈴夏には、せめて『思い出』をつくって欲しい。
そんな甘え、中途半端な優しさに端を発した、未熟な僕の弱さだった。
そのせいで、鈴夏は死んだ。未来が消えた。真新しい制服、ブレザーに身を包んだ歌扇野高校の一年生として今も生きていて、明日にでも治療法が見つかるのかもしれない。そんなかすかな希望さえも、全てが奪われた。
思い出なんて、くそったれだ。
「まだ病気は進行してない。昨日だって、ジョギングして、今日だって、夏休み前最後の体育で、いつものようにはしゃいだ。
たまに胸が苦しくはなるし、髪もちょっと抜けるけど、まだ日常生活に支障は無い程度。だから大丈夫」
「でも……」
僕のことばをさえぎり、鈴夏は言った。
「結人くん、知ってた? 歌扇野高校の制服は、ブレザーなんだよ」
「え?」
「私、着るならあの制服がいいと思ってる」
鈴夏はその場でくるりと一回転してみせた。
「私はしばらく死ぬつもりはないから。受験に受かって、歌高の制服を着る」
「……鈴夏……」
「ほらほら、私はピンピンしてるよ」
彼女なりの元気アピールなのか、僕の周りをくるくると回った。
「だから、今日この倉庫で見たことは、誰にも言わないで黙ってて。再来週まで。大会が終わってからなら、いくらでも言っていい。だから……秘密にしていてほしい」
鈴夏は言い終えると、僕の背中に手を回し、不安そうに顔をうずめた。
突然抱きついてくるなんて、彼女らしくない行動だった。
鈴夏の体は震えていて、今にも泣き出しそうで。
できたばかりの擦り傷だろうか、彼女の腕に貼られた2つの絆創膏のガーゼが赤くにじんでいた。
がむしゃらに走って怪我をしたのだろうか。
染みたヘモグロビンの色が痛々しかった。
それでも、鈴夏の腕は僕を力強く抱き締めた。
そのことがとても不思議だったのを、今でも覚えている。
ここが、彼女の運命の転換点だった。
ニュースでは、死因は、女子生徒が患っていた持病との直接の関連はなし、と正式に発表された。そのあやふやな文面を百歩譲って信じるとしても、それでも、あの日、走らなければ、彼女は。
鈴夏はそれから二週間、なんの変哲もなく過ごした。部の練習でも問題なく走った。
それを見て、僕は彼女が未だ元気なことを納得した。
だから、僕は、黙っていた。黙っていてしまったのだ。
いや、それは今思えば、納得ではなく、死に向かう彼女に対する、中途半端な救いの気持ちでしかなかった。
僕は、その感情を自分の中で取り違えた。
――死に向かう鈴夏には、せめて『思い出』をつくって欲しい。
そんな甘え、中途半端な優しさに端を発した、未熟な僕の弱さだった。
そのせいで、鈴夏は死んだ。未来が消えた。真新しい制服、ブレザーに身を包んだ歌扇野高校の一年生として今も生きていて、明日にでも治療法が見つかるのかもしれない。そんなかすかな希望さえも、全てが奪われた。
思い出なんて、くそったれだ。