夕暮れの染みる街。その人混みの中を、掃除機のホースに吸い込まれた紙片のように不器用にくぐり抜けながら、僕の脚は自然といつもの場所へと運ばれていた。

 マトイ書店の自動ドアを抜けると、新しい紙の匂いがふわりとただよってきた。

 歌扇野(かおの)市内では一番の大型書店だけあって、夕方の時間帯は人がそれなりに多く、レジでは数人が順番待ちをしていた。
 レジ前の一番目立つ場所には、小説の新刊がワゴンの上に並べられている。
 このマトイ書店へは、学校が終わった後、ほぼ毎日訪れる。
 だけど、それは必ずしも、読みたい本があってのことでは無かった。
 ただ、僕が世間一般の高校生と比べて足りないと感じているものを補いたくて。だけど、自分に出来ることは限られていて。
 だから、考えた結果、いつのまにか本屋を訪れるのがその手段になっていた。

――僕に無いのは、『思い出』だ。

 クラスメイト、いや、同じ学校の皆が、誰もが持っている、思い出というもの。
 学校で仲間と一緒になって騒ぐだけで手に入るソイツを、僕には手にする権利がなかった。
 だから、その代わりに、どんな思い出も全て、物語を読むことでセルフサービスで取り込もうと。
 そして、現実の思い出よりも小説の中での疑似体験のほうがよっぽど価値があるのだと、少なくともそう信じて本を読んでいた。
 どんな小説でも良い、ただ、その文章を追うことで、粉砂糖のコーティングのように、活字の一個一個が、僕の心の欠けた部分に流れ込んで穴をふさいできたように思える。
 だけど、最近はそんな自分の目的よりも、もっと些細なことのために、この書店に通っている気がした。
 一ヶ月前ならば、自分の意識はすでに、店の中でも最も新しい文庫本の平積みへと向いているはずだった。
 ブレザーの背中ごしに、ふと感じる視線。
 一秒だけ、という甘い気持ちで、振り返って、釣り銭の音がするレジのほうをうかがう。
 昨日と一昨日は、なんとか気にせずに店を出ることができたのに。いや、それでもカウンター越しに応対する彼女の声を聞いて、否応なしにその所在を理解してしまうのだが。