*
「……『四分三十三秒』という曲を知っているか?」
五十嵐さんは膝をついたまま語りだす。
小屋の周りにスタッフ達が集まってきた。
「この曲に、普通の音はない。全て休符で、四分三十三秒の無音が続くだけなんだ。演奏する会場には観客のざわめきやひそひそ話が起き、そして何も演奏がされずにピアノの蓋が閉じる。
そのピアノの蓋が開いてから閉じるまでの、四分三十三秒の環境音が、この曲の本当の旋律だとも言われている」
ホオズキさんが食いつく。
「面白いね。美術じゃないけど、五十嵐は、ソシュールの影響もあるのかな」
なんだかホオズキさんは難しいことを言い始めた。
「記号言語学みたいだ。でも、五十嵐の絵飾りからは、こういう現代アートに特有の、厭世的で無げやりな印象は受けない。むしろ地元の夏祭りというチョイスには、サルトルのアンガージュマンっぽさもある」
「な、何を言ってるのかさっぱりです……!」和歌子がたじろぐ。
「五十嵐さんの作風も、それらに近い方向性、と?」
僕が聞くと、五十嵐さんの代わりにホオズキさんが頷いた。
現代アート、か。
「……おれなりに、自分の絵で歌扇野の夏祭りを盛り上げてみたかったんだ。これでも昔は、ホオズキみたいに画家目指してたからな。そんないたずら少年のような、ささやかで純粋な楽しみから、俺の絵飾りは始まった」
「さっすが美大出身」と花園さん。
「美大出身、か。……俺にはもう、その言葉が皮肉にしか聞こえなくなっちまった」
五十嵐さんはため息をついて、
「昔、ここの公園でちょっとした事件があっただろう」
城跡のほうを見やった。僕は頷く。
「――石垣への、落書き事件。犯人は少年」
「そうだ。祭りを盛り上げると言っても、普通にやったのでは、石垣にラクガキするようなのと一緒になってしまう。
そこで考えたのが、あの絵飾りの方法だった。おれのもくろみは当たり、絵飾りは一躍話題になった。おれのアイデアで、祭りを盛り上げられたんだ」
五十嵐さんはため息をつく。
「……だが、今年は想定外のことが起きた。絵のサイズが一回りも二回りも大きくて、結果として、隠しておいた梁から滑り落ちてしまった。……あとはごらんのありさまだよ。
あーあ、わざわざカモフラージュのために反対派に回って、見つかった絵を乱雑に扱う自作自演までしてたのに……。ははは」
「どうして、今年は絵の大きさを変えたんですか?」
聞くと、五十嵐さんはホオズキさんを見る。
「……俺の絵は、たしかに話題になったよ。だが、俺の絵としてではなく、ホオズキの作品として、周囲では噂になった。
まさか、予想できなかった。
ホオズキが有名な画家だからと言って、絵飾りの犯人はホオズキだなんて。そんなの、いくらなんでも安直すぎるだろって。
だったら、ホオズキにはできねぇようなもんを描いてやろう。そんな勝手な対抗意識が、絵のサイズに現れたのかもな。
今年の絵飾りは、日常的だけど迫力がある絵を目指してた。全てを表現するには、どうしてもサイズを大きくしたかったんだ」
五十嵐さんは自嘲し、ガックリとうなだれた。
そんな彼に、ホオズキさんが唐突に言った。
「……スタッフのひとりがね、とある人物から、縁があって手紙を受け取ったんだ」
「? ……いきなり何を言う?」
「……『四分三十三秒』という曲を知っているか?」
五十嵐さんは膝をついたまま語りだす。
小屋の周りにスタッフ達が集まってきた。
「この曲に、普通の音はない。全て休符で、四分三十三秒の無音が続くだけなんだ。演奏する会場には観客のざわめきやひそひそ話が起き、そして何も演奏がされずにピアノの蓋が閉じる。
そのピアノの蓋が開いてから閉じるまでの、四分三十三秒の環境音が、この曲の本当の旋律だとも言われている」
ホオズキさんが食いつく。
「面白いね。美術じゃないけど、五十嵐は、ソシュールの影響もあるのかな」
なんだかホオズキさんは難しいことを言い始めた。
「記号言語学みたいだ。でも、五十嵐の絵飾りからは、こういう現代アートに特有の、厭世的で無げやりな印象は受けない。むしろ地元の夏祭りというチョイスには、サルトルのアンガージュマンっぽさもある」
「な、何を言ってるのかさっぱりです……!」和歌子がたじろぐ。
「五十嵐さんの作風も、それらに近い方向性、と?」
僕が聞くと、五十嵐さんの代わりにホオズキさんが頷いた。
現代アート、か。
「……おれなりに、自分の絵で歌扇野の夏祭りを盛り上げてみたかったんだ。これでも昔は、ホオズキみたいに画家目指してたからな。そんないたずら少年のような、ささやかで純粋な楽しみから、俺の絵飾りは始まった」
「さっすが美大出身」と花園さん。
「美大出身、か。……俺にはもう、その言葉が皮肉にしか聞こえなくなっちまった」
五十嵐さんはため息をついて、
「昔、ここの公園でちょっとした事件があっただろう」
城跡のほうを見やった。僕は頷く。
「――石垣への、落書き事件。犯人は少年」
「そうだ。祭りを盛り上げると言っても、普通にやったのでは、石垣にラクガキするようなのと一緒になってしまう。
そこで考えたのが、あの絵飾りの方法だった。おれのもくろみは当たり、絵飾りは一躍話題になった。おれのアイデアで、祭りを盛り上げられたんだ」
五十嵐さんはため息をつく。
「……だが、今年は想定外のことが起きた。絵のサイズが一回りも二回りも大きくて、結果として、隠しておいた梁から滑り落ちてしまった。……あとはごらんのありさまだよ。
あーあ、わざわざカモフラージュのために反対派に回って、見つかった絵を乱雑に扱う自作自演までしてたのに……。ははは」
「どうして、今年は絵の大きさを変えたんですか?」
聞くと、五十嵐さんはホオズキさんを見る。
「……俺の絵は、たしかに話題になったよ。だが、俺の絵としてではなく、ホオズキの作品として、周囲では噂になった。
まさか、予想できなかった。
ホオズキが有名な画家だからと言って、絵飾りの犯人はホオズキだなんて。そんなの、いくらなんでも安直すぎるだろって。
だったら、ホオズキにはできねぇようなもんを描いてやろう。そんな勝手な対抗意識が、絵のサイズに現れたのかもな。
今年の絵飾りは、日常的だけど迫力がある絵を目指してた。全てを表現するには、どうしてもサイズを大きくしたかったんだ」
五十嵐さんは自嘲し、ガックリとうなだれた。
そんな彼に、ホオズキさんが唐突に言った。
「……スタッフのひとりがね、とある人物から、縁があって手紙を受け取ったんだ」
「? ……いきなり何を言う?」


