「サイン会は残念だったな」
 孝慈の発言で遮られる。
 非常階段から戻った先、五階フロアの書店にあったのは、後片付けをする店員達の姿だった。
 僕たちはそのようすをボンヤリと眺める。
 サイン会は、すでに終わっていたらしい。
「加澤くん、なに?」
 松野が首をかしげる。人のざわざわした音にかき消されて、僕の声は聞こえなかった。
 一瞬できた空白の時を見計らってもう一度、さりげなく松野にきく。
「松野ってさ」
 深呼吸。
「――シラコー、好きなの?」
「…………」
 その質問に彼女が示したのは、大きな反応だった。
「わたしは……」
 松野の反応に、ほんの出来心で聞いたことを、後悔した。
 松野は咳き込んだ。
「――大丈夫!?」
 松野は答える。
「……ごめん。気分が悪くて。外に出て、風に当たりたい」
 松野は鎖骨の間に親指をあてがいながら、とても苦しそうにしている。僕は突然の事態に固まる。
「……屋上に」
 松野は言うと、そのまま階段のほうに向かった。ゼエゼエと肩で息をして、喉の奥から絞り出したような声を出した。
「決めたから……わたし、話すって決めたから」
 そして。
「――座敷わらし」
 松野はうつむいて、ぶっきらぼうに言い放った。それが、学校で彼女に付けられた心無い冷笑であることに気づき。僕は何も言えなかった。松野は苦しそうな声のまま続ける。
「……引っ込み思案で臆病。一番伝えるべき加澤くんともろくに話せない。
 幸せを与える和歌子ちゃんとは違って、嘲笑の意味で言われるこの座敷わらしのアダ名は、それこそわたしにぴったりで……、一人の子の、最後の望みを叶えることができなかったわたしには」
 松野は、顔を上げた。そして潤んだ目で、
「……鈴夏のこと……加澤くんに」
 声をうわずらせながら告げたのだ。
 彼女の不穏なようすに、孝慈がいつになく黙っている。和歌子も動揺を隠せないようだ。
「瑞夏さん……?」
 空調の生ぬるい風が、僕たちの頬をかすめていった。