未熟な僕も、思い出と一緒に消えてしまえばいいんだ。僕が死ねば良かったんだ。
 けど、罪を抱えながらも、彼女の人生のぶんも、生きなければならない。
 きっと、僕にはそうすることしかできない。
 だから僕はせめて未来を目指す。
 いつも前向きで輝いていた鈴夏のように、未来の希望を見る。
 だから、鈴夏のことさえも忘れなければならない。夏の終わりに、僕の心に芽生えた感情だった。
 この感情は何かが間違っている。ふとそう思う時がある。けど、それが何なのかわからず、気づけばまた納得している。
 そして、高校生になった現在でも、『思い出』からの決別をずっと探求している。
 あれ以来、本を貪るように読み、必死に答えを求め続けた。
――現実の思い出なんかより大切なことが、この中には書いてあるはずなんだ。本当の『思い出』なら、この中にある。
 そんな執念で、小説から哲学書まで、思い付くままに、貪り読み漁った。時にはビジネス書の類いも読んだ。
 けど、高校生になったばかりの僕には、どんな本も、ある程度のところから、まったく響かなくなる。読んだ内容が、少し経つと薄っぺらく思えてくる。
 本で読んだ内容は、実体験と結びついてはじめて自分のものになると。そう聞いたことがある。だからかもしれない。
 けど、だめだ。結び付かない。僕には、現実の経験がほとんどない。夢だって未だに見つからない。未熟な自分が悔しい。
 答えが分かる時、そのころにはもう、大人になっているかもしれない。
 けど、それまで、待たねばならないのか? そんなの、もどかしすぎる。
 大人達は、今はそんなことよりも、って言うのだ。いい進路に進めれば、答えは見つかるって。直接言われたわけじゃないけど、ふとした時に、そんなことをほのめかしてくるのだ。
 大学に行ったり社会に出たりして、それからいくらでも考えればいいって言うんだ。けど、何かが違うんだ。
 よくわからないけど、それじゃあ遅い気がするんだ。
 大切な何かが、手のひらからこぼれ落ちてしまいそうなんだ。
 でも、言葉にできないんだ。できたとしても、伝わる保証なんて、なにひとつないんだ。
 僕は執念のように本を読み続けたいっぽう、漫画コーナーは、見るのすら怖くなった。
 星野鈴夏が死んでから、シラコーを読むのが怖かった。