僕が高校に入るまで見ていた夢には、いくつかの“ルール”のようなものがあった。

 夢の中の日付は思い出せない。
 自分の意思で行動することもできない。
 そして、僕はその夢以外を見たことがなかった。
 登場人物の顔や名前も、目が覚めるとすぐに忘れてしまう。
 ……ただひとつ、「マコト」と呼ばれていたことだけは、はっきり覚えている。

 夢の中の“僕”は、マコトという名前の少年だった。
 彼は僕より少し年上に思えたし、僕自身も成長するにつれて、彼の背中を追いかけるような気持ちでいた。

 マコトは学生で、本が好きで、そして一人の少女に恋をした。
 ……そういえば、僕が本に興味を持つようになったのも、彼らが本を読む姿にどこか憧れていたからかもしれない。

 夢の中で描かれていたのは、まるで映画のような、どこにでもあるような、ささやかな恋の物語。
 ただ、物語を動かすのはいつだって“事件”で――
 それは僕の夢の中でも同じだった。

 中学二年生の頃に見た夢で、マコトは無実の罪で捕まり、投獄された。
 まるでドラマのように、それはただの人違いだった。
 やがて疑いが晴れて解放された頃には、季節が変わっていた。

 彼女がよくいた公園には、もう彼女の姿はなく、彼女の家も、痕跡ごと消えていた。

 手がかりを頼りにたどり着いたのは、真っ白な壁に囲まれた西洋風の建物。
 夢の中でマコトはその中に入り、冷たい廊下を――

 ……記憶は、そこでぷつりと途切れていた。

 おかしい。夢にはもっと続きがあったはずだ。
 でも、それ以降、僕は一度も夢を見ていない。

 考え込んでいたその時だった。

「えぇぇっ!? もしかして結夏、まだ来てないの!?」

 突然、教室に響いた大きな声が鼓膜を震わせた。僕は驚いて声のした方を振り返る。

 声の主は、同じクラスの女子だった。よく結夏と話している子だ。
 目が合った瞬間、彼女の視線がまっすぐこちらに向けられた。

「あっ、ちょうどよかった」

 まるで獲物を見つけたような視線。次の瞬間には、僕の席の前に立っていた。

「橋場航くん、だよね? ちょっとツラ貸してくれる?」

 柔らかい声色に反して、じっとこちらを見据えるその灰色の瞳には、不思議な力があった。

 彼女はたしか――結夏の友達。クォーターで、モデルのように整った顔立ち。
 栗色の髪にピアスをしていて、結夏とはまた違ったタイプの華やかさを持っていた。

「今ちょっといいかな?」

 反応の鈍い僕にしびれを切らしたのか、目の前で手をぶんぶんと振ってきた。

「え、えっと……」

「アタシ、山本羽純(やまもとはすみ)。はっすーって呼ばれてる」

「は、はっすー……?」

「ちなみにアンタは今日から“はっしー”ね。……って、似すぎじゃない!? はっすーとはっしーなんて、めっちゃ紛らわしいんだけど!」

「いや、それ……そっちが勝手に言い出したんじゃ――あ」

 言った直後に気づく。
 僕は、つい結夏に対する時のような軽いノリで返してしまっていた。

 そして、直感する。この人も結夏と同じタイプだ。
 人との距離感が独特で、強引なのにどこか憎めない。

 山本さんは僕の反応にくすっと笑った。

「なるほどね。最初は正直、なんでクラスの置物みたいなアンタと結夏が仲良くしてるのか疑問だったけど」

 毒のある一言を放ったあとで、ふっと柔らかく笑った。

「……でも、なんか分かった気がする。こりゃあの子が気に入るわけだわ」