翌朝、学校へ向かう電車の中で、僕はいつものように座席に腰かけ、本を開いた。
車内は九十五パーセントの乗車率。つまり、僕の左隣だけ一人分、ぽっかりと空いていた。
カバンから取り出したのは、昨日まで読んでいた文庫本ではなく、昨夜ふと手に取った、あの薄緑色の文集だった。
表紙をめくると、手書き風の文章が印刷されていた。
『私はある時は、頭ひとつぶんの空を見上げて、
またある時は、爪先ひとつぶんの地面を見下ろす者。
それが私という存在だ』
その下には、小さく「久平由重」と達筆な筆記体で記されていた。
意味はよく分からなかった。ただ、どこか奇妙で、詩のような文章だった。
――「ねぇ、何読んでるの?」
突然、左側から聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、生暖かい風を頬に感じた。けれど、そこに人影はなかった。
座席ひとつ空けてスーツ姿の男性がうつむいているだけだ。
……何を期待してるんだ、僕は。
まるで、読書をしていると結夏に話しかけられることが日常になっているような錯覚。
いや、それどころか、本を読めば彼女が現れるとでも思っていたような……。そんな自分に気づいて、思わず顔が熱くなった。
気を紛らわせるように、僕は再びページに目を落とした。
この文集は単行本サイズだけど薄くて、せいぜい百ページほどしかない。
なぜこの本が自分の本棚にあったのか、まったく心当たりがないことが、何よりも不思議だった。
物語の舞台は、何十年も前の日本。
主人公の青年と、難病を抱えた少女との恋愛を描く、山奥の療養所を中心にした静かな物語。
いわゆる「サナトリウム文学」だろうか。
僕が読んだことのある作品で言えば、堀辰雄の『風立ちぬ』に近い空気感があった。
決して模倣だと決めつけたくはないけれど、その影響を感じさせる一編だった。
時代設定は古いけれど、現代の「余命もの」に通じる部分もある。
けれど、変わっているのは――登場する少女の名前が、最後まで空白のままだということだ。
「私は、□□□□です」「□□は微笑んだ」
まるで名前の部分だけ虫食いになっているような、そんな不可解な文体で。
物語の中で、青年は少女に出会い、その儚げな姿を「夏の化身のような存在」と記していた。
少女の笑顔に、「たくさんの花びらが降ってきたようだ」と感じる。
やがて、少女は療養所に入り、残された日々を青年と共に静かに過ごす――。
だが、そんな日々はあっけなく終わりを迎える。
『墓碑銘には「 □□□□ 享年 十七歳」と刻まれている。』
それが、この文集に収められた唯一の物語の、最後の一文だった。
ヒロインの名前は、結局最後まで明かされることはなかった。
名前を伏せる演出かと思いきや、それが作中でうまく生かされているわけでもない。
そのことが、かえって不気味な余韻を残した。
やがて電車は、学校の最寄り駅に着いた。
僕はようやく、ある違和感に気づいた。
この本、百ページ近くあるはずなのに、読了までの時間があまりにも短すぎる。
二十分ほどで読み終えてしまった。
僕は普段、特別読むのが速いわけではない。
ページ数はあるはずなのに、まるで“中身が抜け落ちている”ような読後感。
ちゃんと読んだはずなのに、なにかを見落としてしまったような、そんな気がした。
駅から学校までの道を、自転車で漕ぎながら考えてみたけれど――
やっぱり、答えは出なかった。


