僕の部屋の本棚は、ごく普通の木目調のものだ。
 だけど、黒猫のブックスタンドで整理を始めると、見慣れたはずの本棚が、まるで違う空間に思えてくる。ちょっとした変化なのに、不思議と新鮮だった。

 本棚が整ってくると、自分がどんな本を集めてきたのかが、改めて目に見えるようになる。よく読むジャンル、作家の名前――高校生のくせに、よくもまあこんなに本を買い集めたなと、我ながら呆れてしまった。

 このブックスタンドを買ったのはいいけど、本の山をちゃんと整理する気力がなくて、ずっと放置していた。ようやく重い腰を上げたのが、今日というわけだ。
 眠気も出てきたけど、ここで止めると中途半端で気持ち悪い。だから最後までやり切ることにした。

 本棚の手前に積んであった残りの本たちを、一番下の段に詰めていく。背表紙が見えるように並べて、空いた隙間にブックスタンドを差し込んでバランスを調整――と思ったら、真ん中に置いた黒猫がちょっと邪魔だった。

 仕方なく場所を調整しながら、ふとその黒猫を見つめる。
 シルエットだけのシンプルなデザインだけど、どこか愛嬌があって、僕はこのブックスタンドがかなり気に入っていた。
 こんな可愛げのあるものが、自分の部屋にあるのは不釣り合いかもしれない。だけど、どうせ誰に見せるわけでもない。友達もいないし。

 ……そう、誰に言いふらされるわけでもない。

 ――言いふらされる? 誰が?

 その瞬間、僕の手が止まった。

 言いふらすような相手なんて、いないはずなのに。なのに、なぜそんな言葉が頭をよぎったんだろう。

 どこかで、最近も似たような違和感を覚えた気がする。そう考えるうちに、本を持つ手が緩んだ。

 パタパタッ――。
 不規則に本が倒れていき、縦に積んであった本の何冊かが手前に崩れてきた。そして、そのうちの一冊が膝に直撃する。

「……痛った」

 なんて乱暴なピタゴラスイッチだ、と苦笑しつつ、その本を手に取る。

 それは単行本サイズの、淡い緑色をした本だった。

 『文集  久平由重(ひさひらゆえ)

 表紙も背表紙も、タイトルと名前の印刷だけ。帯もなく、裏表紙にも説明文は見当たらない。無地の表紙が、逆に目を引いた。

「……こんな本、持ってたっけ?」

 目次や奥付を見れば済む話だったけど、整理の疲れもあって、なんとなくそのまま本棚に戻そうとした――そのとき。

 くるり。

 倒れかけた黒猫のブックスタンドが、一匹、僕の方を向いていた。

 偶然とはいえ、なんだかこちらを覗き込んでいるようで、そのしぐさが妙にお茶目に思えた。
 それと同時に、ふいに頭に浮かんできた言葉がある。

――『そうかな? 私、猫みたいで可愛いと思うよ』
――『黒猫のブックスタンドを買ってたこと、言いふらされたくなかったら……私と、友達になって』

 ……水野さんだ。

 僕の部屋にこのブックスタンドがあることを知っていて、そんな冗談を言いそうなのは、あの水野結夏しかいない。

 ……疲れてるのかもしれない。

 時計を見れば、もう十一時を回っていた。

 ふと、今手にしているこの本――『文集』を見て、結夏がどんな反応をするだろうかと想像する。

『ねぇねぇ、何読んでるの? ……文集ぅ? もったいぶらずに教えてよ……って、ほんとにタイトルが“文集”じゃん! 何その本!?』

 ――うん、彼女ならいかにも言いそうだ。

 思わず笑ってしまいそうになるその想像とともに、僕は文集をそっとかばんの中にしまった。

 彼女の反応を楽しみにするなんて、自分でもちょっと意外だった。

 気づけばベッドに入り、目を閉じて数秒で眠りに落ちる。

 最後に頭に浮かんだのは――
 「本当に、あんなボロボロの本に、結夏は興味を持つんだろうか?」という疑問だった。

 夢は、相変わらず見なかった。