「私、普段帰る時間バラバラなんだよね。だから、橋場くんと電車で一緒にならなかったんだと思う」
「そうなんだ? どこか部活に入ってるの?」
「それがね、意外や意外。私、帰宅部なんだ」
……言うほど意外だろうか。
「じゃあ僕と同じだね。放課後は何してるの?」
僕はたいてい、すぐの電車に乗って帰っている。なのに、これまで結夏を見かけたことはなかった。きっと僕より遅く帰っている日が多いんだろう。
「もちろん寄り道。楽しいこと探してふらふらしてるだけだよ」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「そっか。……じゃあ、朝はどうしてるの?」
ちょっと気になって訊いてみた。初めて話した翌朝、結夏は僕より早く教室に来ていた。それが少し引っかかっていた。
すると結夏は、一瞬だけ黙り込んで、少し間をおいて答えた。
「朝はね……家の都合で早めの電車に乗ってるんだ。橋場くんと同じ電車に乗ったこともあるよ。だけど、君っていつもホームに早く来て、本読んでるじゃない? 乗ってからもずっと読んでるし、そりゃ気づかないよ」
「……うーん、そっかぁ?」
「そーだよ。前も言ったけど、もっと周り見ないとダメだぞ」
たしかに僕は、駅に早めに着いて、ホームでも電車の中でもずっと本を読んでいる。
一方の結夏は、いつもギリギリに電車に飛び乗ってくるタイプらしい。だから、同じ電車に乗っていたとしても、気づかなかったのかもしれない。
――でもそれにしては、ちょっと出来すぎてるような気もした。
クラスで席が隣だったのに気づかなかった時と同じような、奇妙な感覚。自分が本に夢中すぎるのはわかってるけど、それにしても……と、どこか納得しきれない気持ちが残った。
そんな僕の気持ちをよそに、結夏は話題を変えるように明るく言った。
「それにしても、読むの楽しみだなぁ。橋場くんに選んでもらった本!」
そう言って、鞄からそっと本を取り出す。ブックカバーがかけられていて、大切そうに両手で抱えていた。
「しかも……恋愛小説だなんて!」
僕が彼女に選んだのは、少し前に読んだ一冊――
タイトルは『せつなさのシーグラス』。
海辺の小さな町を舞台にした物語で、主人公の少年がそこで出会う、まったくタイプの違う三人の少女たち。そして、その中に芽生える特別な感情。
読んだあと、僕は妙に胸がざわついた。
今も、その気持ちは、なんとなく言葉にできずに残っている。


