結夏のことが気になり始めてから、僕は彼女のいろんな面に気づくようになった。
たとえば、休み時間はいつも友達と楽しそうに笑っていること。英語が得意で、小テストの点数でこっそり張り合ってきたりすること。そして、教室の隅までよく通る、明るい声をしていること。
だけど、ちょっと困ることもあった。
結夏は、友達と話している最中でも、僕が一人で本を読んでいるのに、平気で話しかけてくるのだ。
仕方なく僕は、「うん?」「何の話?」なんて、とぼけたふりをして返事をする。まるで、話の内容なんてまったく聞こえてなかったよ、というように。
でも実際は、彼女の声はよく通るから、聞くつもりがなくても耳に入ってくる。気になって仕方がない。
そんな結夏でも、たまに周りに誰もいないタイミングがある。そういうときは、決まって僕のところに話しかけてきた。
まるで空気を吸うみたいに、誰かと会話していないと落ち着かない。彼女は、きっとそういうタイプなんだと思った。
「そういえば橋場くんって、誕生日は何月?」
「僕は3月の末だよ。正真正銘の早生まれさ」
「お。私は6月の初めだから、じゃあ橋場くんが生まれる前の年だね。私の方がずっとお姉さんだ」
彼女はそうした些細なことで、本当に謎に意地を張っていた。
「6月か。もうすぐだね」
僕がふとつぶやくと、彼女は嬉しそうな顔をして言った。
「えへへ。だねぇ。もしかして橋場くん、私に何かくれたりする?」
「え? 悪い子のところにはプレゼントは届かないよ」
「今の、サンタさんみたいだね? 季節感もへったくれもないじゃん」
「わざとだよ。ジョークだから」
「むむむぅ。この季節にクリスマスジョークなんて。君は相変わらずひねくれた人だなぁ」
彼女はうなっていたが、ふと大事なことを思い出したように真剣な表情で言った。
「ちなみに、私の名前、結夏っていうの」
「うん。知ってるよ」
「なら話が早いね。じゃあ、さっきよりは季節っぽい話をしようか。あんまり実感ないかもしれないけど、6月って、暦の上ではもう“夏”なんだよね。だから、そんな6月の最初の日に生まれた私は、“夏のはじまり”って感じの名前で、すごくぴったりだと思うの。……だからね、私、自分の名前がけっこう気に入ってるんだ」
そう熱っぽく語る彼女に、僕はぽつりとつぶやいた。
「君は自分に自信があるんだね」
「え、いやみ?」
イヤミか。今のはたしかにそう思われてもおかしくなかった。さすがに言葉足らずだと思ったので、言い直す。
「ううん。むしろ……良いと思う。結夏って名前も、その文字を素直に大好きになれるところも、君にぴったりで」
「う、うん」
僕の言葉を聞いて、彼女はなぜだか少し、いいや、かなりびっくりしたようだった。
「ねぇ、もっかい言ってくれない?」
聞き取れなかったのだろうか。僕はもう一度言う。
「名前も、自分を素直に好きになれるとこも良いと思う」
「もう少し前からもう一度言ってくれる?」
「?」
「私の名前のとこからだよっ」
そう言われて、さっきよりも詳しくわかりやすく伝えようとする。
「……結夏って素敵な名前だと思うよ。自分で決めたわけじゃない名前を素直に大好きになれる君のそういう部分も。僕はとても良いと思うし、好きだ」
結夏からは何も反応がなく、固まっている。
心配をしていると、彼女の顔が赤くなっていた、ように見えた。
「――もうっ! そうそう、そういうとこだよ、君ぃ! 100点満点中、120点だよ」
彼女は奇声を上げて、早口でまくしたててきた。
怒っている? わけではなさそうだけど。
ふと気づく。
……もしかして、僕は今、かなり恥ずかしいことを言ってしまったのではないか。
「そういうとこって、どういうとこ? 120点って何で?その20点はどこから来たのさ」
訊ね返したのは、僕自身、照れ隠しからだったのかもしれない。
「いちいち気にしないの。じゃ、今度は私が質問するね。昔の大ヒット映画じゃないけど、君の名前は?」
「ん……僕は、橋場航」
「――航くん」
「は、はい」
「さっきのお返しだよ」
彼女は片目をつぶって再び開く。意味ありげに微笑んでいた。
「航って、すっごく、すっごーく良い名前だね」
ストレートな褒め言葉に、なんだか胸のあたりがどきりとした。
「そうかな……僕は君みたいに、あまり自分の名前は感銘できるとこがないかな」
「そんなことないと思うな。いっかい付けてくれた人に由来とか聞いてみたら?」
「あとで覚えてたらね」
「えー、それぜったい聞かない時の言い方だよ」
結夏に初めて話しかけられたあの日以来、僕たちはこんな他愛もない話を何度もしていた。
あるとき、彼女はふと提案をしてきた。
「ねぇ、私は橋場くんとまた本の話がしたいんだ。いつもの感想とか、この本面白かったよとか、読書家のあるあるじゃなくてさ、君と初めて話した時にも訊いた、私がいちばん気になってたこと」
「前に言ってた、本を読んで得たことを生かせるかって話? それも、あくまでも実用的な本じゃなくて、小説で、だよね」
「――うん。それに関係があるの。放課後にね。一緒に来て欲しいところがあるの」
「ん、唐突だね。どうしてまた」
「ついて来ればわかるよ」


