ポジティブな人が嫌いだ。凄く。
あの人たちには学がない。
ただの現実逃避を堂々とやってのけているだけ。
自分たちだけで勝手にやってくれる分にはいいけどあいつらはそれを強要してくる。
「何とかなるって」
その言葉を聞くたびに蕁麻疹が出そうになる。
“なんとかなる”で放置された問題を片付けるのは私たちみたいな発言力のない静かな人達。
それに気づいていないのがさらに腹が立つ。
でも仕方がない。
私のような何もない人間は、そうやって何かを持っている人間の下に立ってしりぬぐいをするしか人権がないの。
課題をうつさせてあげたり、教科書貸してあげたり、早引きする言い訳を先生に伝えたり。そうやって使ってくれる人がいないとあっという間にただのゴミと同じになる。
しりぬぐいは何も頼まれごとをするだけじゃない。
「あの子って根暗だよね」
「何考えてるか分からないよね」
そうやってできる友情だって私みたいな人間がいないとできない。
悪口でつながれる友情の足枷になってるんだ。
そうとでも思ってないと毎日がしんどいから、今日も卑屈になって心の中でボソボソしゃべる。
誰も聞いてくれないこんな言葉たちを自分の中で自分に話して落ち着ける。
それでも雨の日は別。
雨はいい。
雨の日は決まって学校に居残って誰もいない教室で本を読む。
それが私の至福の時間だった。
湿気で少しページがめくりづらい。
それでもここが好きだった。
いつも動物園のようなギャーギャーとうるさいだけの教室には私の本をめくる音と雨音しか響かない。
梅雨の季節の今、今日は連続で三日目の雨だった。
「あれ、山下？」
体内時計で一時間ほどたったとき、もう学校に生徒なんて誰も残っていないようなこんな時間に声をかけられることなんて今までなかったから完璧に気を抜いていた。
呆れるくらい間抜けな伸びを一つ、しているときだった。
「やっぱり山下だ、どうした？忘れ物？」
こっちになんの断りもなくずかずかとテリトリーに入ってくる。学校やクラスの人に興味がなくてもこの人の事は嫌でも分かる。
クラスの中心人物。元気。うるさい。
この三つが彼を象徴するものだった。
「そんなじゃない」
雨音できっと聞こえていない声。
私の声は彼に聞こえる前に多分そこに落ちている。
「ん？なんて？」
そういってさらにグッと距離を縮めてくる。
ため息交じりで本にしおりを挟み帰る準備を始めた。
「帰るの？」
「帰る」
「ごめん、邪魔した？」
そう言いながら私の前の席の椅子を引いて、座った。
何でだよ。
「ちょっと話そうぜ」
私の机に手をかけてまたグッと距離を詰めてくる。
詰められた分少し椅子を引いた。
私は人に嫌われるのが怖い。
だから人と深く関わるのが嫌だった。
仲良くならなきゃ嫌われても傷つかないでしょ。
だからこの場でこの人を無視して立ち去ることはできなかった。
行動と思考に矛盾が生じてることは分かってる。
こんだけ冷たい感じを出しといて嫌われたくないは虫が良すぎる。
それでも私自身、この矛盾する感情を上手く処理することが出来ていなかった。
「山下さ俺の名前分かる？」
突拍子もない意外な質問。
あなたの名前、知らない人の方が少ないよ。多分だけど。
「分かるよ」
「え、まじ？言ってみてよ」
「大山かいと」
「マジじゃんすげえ」
そう言ってケラケラと笑った。
「覚えられてないと思ってた」
「なんで」
「山下って人に興味なそうじゃん」
「そんなことないよ。大山なんて興味なくても耳に入ってくる。名前」
「なんで？」
「あんだけクラスでいろんな人から名前呼ばれてたら覚える」
大山は「ああ～」といって笑った。
なんで彼がこんなところにいるんだろう。
いつも一人の時間のはずなのに誰かといることがとても不思議だ。
「雨好き？」
外を見ながら、またいきなり思いついたような質問をされた。
「うん」
「雨好きな奴なんているんだ」
大山は雨で部活が無くなるから嫌いなんだって。
部活ってやるのだるいって人しか聞いたことなかった。
部活やってる子はいつも「今から部活だよ、だるい」って言ったり「オフがない」って嘆いたりする子ばかりだから「部活がなくて嫌」なんて人初めて出会った。
その話題から大山は自分の部活の話をずっとしていた。
サッカーはこういう所が面白くて、今年の後輩はどうで、とか。
あまり覚えてないけどなんか、熱かった。
一時間くらい喋ったのちごめんしゃべりすぎたなって言って教室を出ていった。
彼曰くすっきりしたらしい。
＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾
「あれ、今日は松下休み？」
出席を取る間の一定のリズムが松下そうたの所で止まった。
私の隣の席の松下そうた。
今日はお休みなんだ。
彼はどっちかというと私とかと同じ部類の人な気がする。
静かであまりものをしゃべらないけど向こうから来てくれれば普通にしゃべるタイプ。
そんなことを勝手に思いながらふと外を眺める。
朝から止むことを知らない雨が今日はなんだか私の好きな雨じゃない気がした。
それでもやっぱり誰もいない教室でまた本を開く。
前回の雨からまあまあ日にちが開いてしまったから前の話が少しあいまいだ。
前回は大山もいたし。
そう思ってしおりが挟まっているページから少し戻って読み始めた。
心地よい空間に少しずつ入っていく。
少しずつ、少しずつ。
なのに
「やっぱりいた。山下～」
その時間を壊す邪魔が入った。
普通にイラっとする。
いや今本読んでるじゃん。
やっぱりいたじゃないのよ。
私がイラっとしているのも知らず当の本人はこの前のごとく私の前の椅子を引いてなんの躊躇もなく座った。
私は今にも「どっか行け、バカ」といいそうだったけどそれをグッとこらえてなるべく平常心で「なに」と聞いた。
「え、怒ってる？ごめん」
怒ってそうな人に怒ってる？と聞くことは逆効果であるということを義務教育で教えてやってくれ。
あからさまにため息を一つついて「怒ってないよ。で、どうしたの」と聞き直した。
「怒ってないならよかったけどさ」
と言う彼にこの人なんで人気者なんだろうという邪念が通りすぎたけどまあもういい。
嫌われるのは嫌だけどだからって全部のイライラを隠し通すことはさすがに無理だ。どうせこうやって冷たく接してしまったことについて今日の夜お風呂かベッドで反省会が開かれる。
「今からそうたが学校くるっていうからじゃあ教室で待ってよって思って」
その言葉に心臓が明らかに大きく波打ったのを感じた。
「嘘でしょ、なんで松下君が？」
「え、食いつきいいじゃん。どうした？」
ニヤニヤしながら前のごとく距離をグッと縮めてくる。
あからさまに話題に食いついてしまったことが少し恥ずかしくて「別に」とそっぽを向いた。
「山下って意外とわかりやすいのな」
またしてもケラケラ笑いながらすごく楽しそうにからかってくる。
「もうすぐ来るんじゃね？プリントだけ取りに来るらしいけどせっかくならちょっとしゃべってけよ」
大山はスマホを確認しつつおかしなことを言い出した。
「何言ってんの。いい、いい。話すなんて絶対無理」
「なんでよ、あいつ悪い奴じゃないよ？
ぱっと見愛想悪いけど」
「キモいじゃんこんな根暗女にいきなり話しかけられたら」
「キモくないよ」
「キモいキモい。帰る。絶対帰るから」
ほんと私みたいなやつの事眼中にないだろうけど、名前も知らないだろうけどさ、気持ち悪いでしょ。もっとかわいい子ならまだしもさ。気持ち悪がられるのは勘弁。
自分でも身の程知らずだということは嫌でもわかる。喋るなんてもってのほかだということも。
なのに。
「おっすそうた～待ってたぞ～」
帰ろうとする私の前に現れてしまった。
松下そうた君が。
「よ。ごめんな、わざわざ待ってもらっちゃって」
落ち着いた静かめの声が目の前から降ってくる。
どうしようどうしよう。
もう前を見ることが出来ない。
「山下さん？どうしたの？」
耳を疑った。
心臓が跳ね上がる。
今、私の名前言った。
「山下も一緒にまってたんだよ、な～」
「ち、ちがう！」
大山の顔はこんなにたやすく見れるのに。
「え～違うの？」
とクスクス笑う松下君の顔はどうしても見れない。
「まあまあ二人とも座りなよ」
大山にいわれるがまま二人とも自分の席に腰を下ろした。
「お前体調大丈夫なん？」
そうだ。それは私もとても気になる。
「うん、朝起きた時は結構きつかったんだけどね。昼からわりかし元気だよ」
「そっか、それは安心だな。な、山下」
事あるごとに私に話題を振ってくる。
やめてほしいような、ちょっとありがたいと思ってしまっているような複雑な感情だった。
女子ってそうはいかないから。
大体結果は自分のため。
こんな子と仲良くしてる「私」
頼まれ事を聞いてあげる「私」
こちら側が相手に良いように思われるような情報は一切言わずにせいぜい話の「だし」にするか「言い訳の材料」にするか。
昔１回「え、それ私の名前出せば良かったのに」って言ったら「だってそうしたら先輩の興味そっち言っちゃうじゃん」って言われたことがある。その時に「あぁそういう事ね」って納得した。
「私は所詮だしね」って。
いやーなことをぐるぐる考えていると
「そうたは山下の事知ってる？てゆうかお二人さんしゃべったことあるん？」
という飛んでも爆弾がいきなり降ってきた。
考え事をしている場合ではない。
それは最悪な質問だ。
気まずくなる奴。知ってるわけないじゃん。やめてあげてよ。変な気を使わせないであげて。体調悪かったのに。
「僕は知ってるよ。名前。山下はつなさんでしょ？」
またもや心臓が跳ね上がる。
フルネーム、フルネームだ。なんで知ってるの？なんでなんで。
この動揺を悟られないように私も口を開く。
「しゃべったことはあんまりないよ」
目も見れずぶっきらぼうに話してしまう。
嫌われたくないという気持ちが先行してうまくできない。
「山下何か聞きたいこととかないの？そうたに」
聞きたいこと？聞きたいこと⁈
「あんまり山下さんの事困らしちゃだめだよ」
優しい。
「この際なんでも聞いちゃえよ」
「僕なんかに興味ある？」
興味しかない。
「じゃ、じゃあ」
いきおいで声に出してしまった。
「おっあるってさ」
「なんだろ」
二人の視線が集まっているのが分かる。
この期に及んでも松下君の顔が見れない。
スっと息を吸って意を決して聞いてみた。
「前、見える？そのかみのけ、」
ずっと松下君を目で追っていていつも気になってることだった。
まえ、見えてるのかなって。
となりで大山がぷっとふきだした。
「確かに、前見えてんの？その天パ前髪で。目元隠れちゃってんじゃん」
笑いながら大山は言うけど私は大まじめだ。
「これね、伸びたから切らないとな～って思ってたんだよね。一応前は見えてるよ」
そう言って前髪をくるくるといじった。
ちゃんと答えてくれたことが嬉しくて「それはよかった」と口元が緩んでしまった。
「あ、俺そろそろ行かないとバス乗れない。じゃあな、二人で仲良くしろよ！」
急に大山はカバンを持ってそういって走り出した。
え、いきなり？そう思って時計を見るともう学校が終わってから三時間もたっていた。
全く時間の流れを感じない満たされた空間だった。
「山下さんは電車？」
「え？」
さっきまでの時間になんとなく浸ってたせいですっかり油断していた。
この狭い教室で松下君と二人。
しまった。
無理無理。
吐きそう。
せめて、せめて聞かれたことには答えないいと。
「ううん、歩き」
必死だ。こんな短文でもなんか変な汗が出る。
「歩き？おうち近いの？」
「だいたい一時間くらい」
「一時間？遠いね」
びっくりしてるのにびっくりしてないみたい。松下君はいつも落ち着いている。
「なんで歩きなの？」
会話を続けてくれんだ。優しい。
「電車とか乗ると色々考えちゃって落ち込むんだよね。だから帰りは特に歩きが多いよ」
「色々って？」
「今日あの子に対して冷たくしちゃったかなとかあの発言大丈夫だったかなとか今日のあの行動悪目立ちしたかなとか悪い方にどんどん想像広がってちゃってネガティブになっちゃう」
わああ私何語ってんだ。
こんなの言われたって困るだけでしょ。
ごめん、松下君、
「そっか、歩いてたらそうはならないの？」
さっきまでの調子と変わることなく聞いてくれたことで私の中でできた不安が少し溶けた。
「歩いてても少し考えたりするけど電車の中とかでぼーっと立つだけよりは歩くっていう行動してた方がまだマシなの」
意味わかんないよねと自虐的に笑う。
こういう話をすると皆スマホを触りだしててきとう返事になる。
ああ、私の話興味ないんだなってすぐに分かる。
過去の辛い話とか自分が楽しかった時の話をしてる時に一つ返事になられたりスマホを触られたりすると自分ってホントにこの人にとってなにか得を積むことでしか価値がないんだなって自覚する。
それで最後はお決まりの「何とかなるって」
「そんなの気にしたら負けだって」で片づけられる。
つくづく満たされない人生だ。
目の前の彼もきっとそうなんだろうな。
ごめんね、松下君。
「じゃあ僕も歩いて帰ろっかな」
「え？」
びっくりしてパッと顔を上げてしまった。前髪からちらっと見える目と視線があって今まで以上にドキッとする。
「わ、やっとこっち向いてくれた」
またクスクスと笑いながら優しく目を細める。
心臓が持たない。
胸に手を当てなくても分かるくらい心臓が音を鳴らしていた。
「あ、雨あがったね」
そう言われて窓の方に目をやると本当に雨が上がっていた。
今日は一日雨予報だったのに。
「これで気兼ねなく歩いて帰れるね」
そうだね、でも。
「今日松下君と喋れたから変なこと言っちゃったって大反省会かも」
またネガティブが口からこぼれ出てしまう。しまったと思うのはいつも言葉が出た後。
「そっか～大反省会か～。“喋れたから”って僕有名人みたいな扱いだ」
また笑う。
反省して嬉しくなっての繰り返しだ。
松下君が笑ってくれるとすごく嬉しい。
「僕は何も気にしてないけどそういうモードに入っちゃったときってとことん気持ち下がるよね」
「え、分かるの？」
「分かる分かる。きっと僕も今日反省会だなあ」
また一つ松下君の新しい表情。
「なんで、反省会？」
「ん？ひみつ」
首を少し傾けて落ち着いた声でそう言った。
はあ、かっこいい。
「でもさ、山下さん」
「なに？」
松下君はなにか悪いことをする子供みたいにニヤッと笑った。
「そういう時はスキップで帰ればいいんだよ」
「スキップ⁈」
こんな冗談言うんだとか、こんな顔するんだとか、顔の割に悪いこと言ってない可愛いとか、色々諸々にびっくりして聞き返す私とは裏腹に
「うん、スキップ」
といたずら気に笑いながらいう彼になんだか笑えてきてしまって、
「そっか、じゃあスキップして帰ればいいんだ」
と二人でクスクス肩を震わせた。
帰り道、余韻に浸りながら歩いているとスマホが震えた。
何かと思って開いてみると松下君からでまた心臓がドキッとする。
少しおぼつかない指で通知をタップすると
▽スキップしてたら見つけた
と写真と一緒に送られてきていた。
写真には大きな虹。
見上げると私の頭の上にもきれいな虹がかかっていた。
松下君がほんとにスキップをしていないことはわかってるけどこうやってさっき話してたことをメッセージにしてつなげてくれることが嬉しかった。
今までは雨が好きだった。
でも今日、雨のあとの晴れがこんなに素敵だったんだと
私の好きな人が教えてくれた。
あの人たちには学がない。
ただの現実逃避を堂々とやってのけているだけ。
自分たちだけで勝手にやってくれる分にはいいけどあいつらはそれを強要してくる。
「何とかなるって」
その言葉を聞くたびに蕁麻疹が出そうになる。
“なんとかなる”で放置された問題を片付けるのは私たちみたいな発言力のない静かな人達。
それに気づいていないのがさらに腹が立つ。
でも仕方がない。
私のような何もない人間は、そうやって何かを持っている人間の下に立ってしりぬぐいをするしか人権がないの。
課題をうつさせてあげたり、教科書貸してあげたり、早引きする言い訳を先生に伝えたり。そうやって使ってくれる人がいないとあっという間にただのゴミと同じになる。
しりぬぐいは何も頼まれごとをするだけじゃない。
「あの子って根暗だよね」
「何考えてるか分からないよね」
そうやってできる友情だって私みたいな人間がいないとできない。
悪口でつながれる友情の足枷になってるんだ。
そうとでも思ってないと毎日がしんどいから、今日も卑屈になって心の中でボソボソしゃべる。
誰も聞いてくれないこんな言葉たちを自分の中で自分に話して落ち着ける。
それでも雨の日は別。
雨はいい。
雨の日は決まって学校に居残って誰もいない教室で本を読む。
それが私の至福の時間だった。
湿気で少しページがめくりづらい。
それでもここが好きだった。
いつも動物園のようなギャーギャーとうるさいだけの教室には私の本をめくる音と雨音しか響かない。
梅雨の季節の今、今日は連続で三日目の雨だった。
「あれ、山下？」
体内時計で一時間ほどたったとき、もう学校に生徒なんて誰も残っていないようなこんな時間に声をかけられることなんて今までなかったから完璧に気を抜いていた。
呆れるくらい間抜けな伸びを一つ、しているときだった。
「やっぱり山下だ、どうした？忘れ物？」
こっちになんの断りもなくずかずかとテリトリーに入ってくる。学校やクラスの人に興味がなくてもこの人の事は嫌でも分かる。
クラスの中心人物。元気。うるさい。
この三つが彼を象徴するものだった。
「そんなじゃない」
雨音できっと聞こえていない声。
私の声は彼に聞こえる前に多分そこに落ちている。
「ん？なんて？」
そういってさらにグッと距離を縮めてくる。
ため息交じりで本にしおりを挟み帰る準備を始めた。
「帰るの？」
「帰る」
「ごめん、邪魔した？」
そう言いながら私の前の席の椅子を引いて、座った。
何でだよ。
「ちょっと話そうぜ」
私の机に手をかけてまたグッと距離を詰めてくる。
詰められた分少し椅子を引いた。
私は人に嫌われるのが怖い。
だから人と深く関わるのが嫌だった。
仲良くならなきゃ嫌われても傷つかないでしょ。
だからこの場でこの人を無視して立ち去ることはできなかった。
行動と思考に矛盾が生じてることは分かってる。
こんだけ冷たい感じを出しといて嫌われたくないは虫が良すぎる。
それでも私自身、この矛盾する感情を上手く処理することが出来ていなかった。
「山下さ俺の名前分かる？」
突拍子もない意外な質問。
あなたの名前、知らない人の方が少ないよ。多分だけど。
「分かるよ」
「え、まじ？言ってみてよ」
「大山かいと」
「マジじゃんすげえ」
そう言ってケラケラと笑った。
「覚えられてないと思ってた」
「なんで」
「山下って人に興味なそうじゃん」
「そんなことないよ。大山なんて興味なくても耳に入ってくる。名前」
「なんで？」
「あんだけクラスでいろんな人から名前呼ばれてたら覚える」
大山は「ああ～」といって笑った。
なんで彼がこんなところにいるんだろう。
いつも一人の時間のはずなのに誰かといることがとても不思議だ。
「雨好き？」
外を見ながら、またいきなり思いついたような質問をされた。
「うん」
「雨好きな奴なんているんだ」
大山は雨で部活が無くなるから嫌いなんだって。
部活ってやるのだるいって人しか聞いたことなかった。
部活やってる子はいつも「今から部活だよ、だるい」って言ったり「オフがない」って嘆いたりする子ばかりだから「部活がなくて嫌」なんて人初めて出会った。
その話題から大山は自分の部活の話をずっとしていた。
サッカーはこういう所が面白くて、今年の後輩はどうで、とか。
あまり覚えてないけどなんか、熱かった。
一時間くらい喋ったのちごめんしゃべりすぎたなって言って教室を出ていった。
彼曰くすっきりしたらしい。
＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾
「あれ、今日は松下休み？」
出席を取る間の一定のリズムが松下そうたの所で止まった。
私の隣の席の松下そうた。
今日はお休みなんだ。
彼はどっちかというと私とかと同じ部類の人な気がする。
静かであまりものをしゃべらないけど向こうから来てくれれば普通にしゃべるタイプ。
そんなことを勝手に思いながらふと外を眺める。
朝から止むことを知らない雨が今日はなんだか私の好きな雨じゃない気がした。
それでもやっぱり誰もいない教室でまた本を開く。
前回の雨からまあまあ日にちが開いてしまったから前の話が少しあいまいだ。
前回は大山もいたし。
そう思ってしおりが挟まっているページから少し戻って読み始めた。
心地よい空間に少しずつ入っていく。
少しずつ、少しずつ。
なのに
「やっぱりいた。山下～」
その時間を壊す邪魔が入った。
普通にイラっとする。
いや今本読んでるじゃん。
やっぱりいたじゃないのよ。
私がイラっとしているのも知らず当の本人はこの前のごとく私の前の椅子を引いてなんの躊躇もなく座った。
私は今にも「どっか行け、バカ」といいそうだったけどそれをグッとこらえてなるべく平常心で「なに」と聞いた。
「え、怒ってる？ごめん」
怒ってそうな人に怒ってる？と聞くことは逆効果であるということを義務教育で教えてやってくれ。
あからさまにため息を一つついて「怒ってないよ。で、どうしたの」と聞き直した。
「怒ってないならよかったけどさ」
と言う彼にこの人なんで人気者なんだろうという邪念が通りすぎたけどまあもういい。
嫌われるのは嫌だけどだからって全部のイライラを隠し通すことはさすがに無理だ。どうせこうやって冷たく接してしまったことについて今日の夜お風呂かベッドで反省会が開かれる。
「今からそうたが学校くるっていうからじゃあ教室で待ってよって思って」
その言葉に心臓が明らかに大きく波打ったのを感じた。
「嘘でしょ、なんで松下君が？」
「え、食いつきいいじゃん。どうした？」
ニヤニヤしながら前のごとく距離をグッと縮めてくる。
あからさまに話題に食いついてしまったことが少し恥ずかしくて「別に」とそっぽを向いた。
「山下って意外とわかりやすいのな」
またしてもケラケラ笑いながらすごく楽しそうにからかってくる。
「もうすぐ来るんじゃね？プリントだけ取りに来るらしいけどせっかくならちょっとしゃべってけよ」
大山はスマホを確認しつつおかしなことを言い出した。
「何言ってんの。いい、いい。話すなんて絶対無理」
「なんでよ、あいつ悪い奴じゃないよ？
ぱっと見愛想悪いけど」
「キモいじゃんこんな根暗女にいきなり話しかけられたら」
「キモくないよ」
「キモいキモい。帰る。絶対帰るから」
ほんと私みたいなやつの事眼中にないだろうけど、名前も知らないだろうけどさ、気持ち悪いでしょ。もっとかわいい子ならまだしもさ。気持ち悪がられるのは勘弁。
自分でも身の程知らずだということは嫌でもわかる。喋るなんてもってのほかだということも。
なのに。
「おっすそうた～待ってたぞ～」
帰ろうとする私の前に現れてしまった。
松下そうた君が。
「よ。ごめんな、わざわざ待ってもらっちゃって」
落ち着いた静かめの声が目の前から降ってくる。
どうしようどうしよう。
もう前を見ることが出来ない。
「山下さん？どうしたの？」
耳を疑った。
心臓が跳ね上がる。
今、私の名前言った。
「山下も一緒にまってたんだよ、な～」
「ち、ちがう！」
大山の顔はこんなにたやすく見れるのに。
「え～違うの？」
とクスクス笑う松下君の顔はどうしても見れない。
「まあまあ二人とも座りなよ」
大山にいわれるがまま二人とも自分の席に腰を下ろした。
「お前体調大丈夫なん？」
そうだ。それは私もとても気になる。
「うん、朝起きた時は結構きつかったんだけどね。昼からわりかし元気だよ」
「そっか、それは安心だな。な、山下」
事あるごとに私に話題を振ってくる。
やめてほしいような、ちょっとありがたいと思ってしまっているような複雑な感情だった。
女子ってそうはいかないから。
大体結果は自分のため。
こんな子と仲良くしてる「私」
頼まれ事を聞いてあげる「私」
こちら側が相手に良いように思われるような情報は一切言わずにせいぜい話の「だし」にするか「言い訳の材料」にするか。
昔１回「え、それ私の名前出せば良かったのに」って言ったら「だってそうしたら先輩の興味そっち言っちゃうじゃん」って言われたことがある。その時に「あぁそういう事ね」って納得した。
「私は所詮だしね」って。
いやーなことをぐるぐる考えていると
「そうたは山下の事知ってる？てゆうかお二人さんしゃべったことあるん？」
という飛んでも爆弾がいきなり降ってきた。
考え事をしている場合ではない。
それは最悪な質問だ。
気まずくなる奴。知ってるわけないじゃん。やめてあげてよ。変な気を使わせないであげて。体調悪かったのに。
「僕は知ってるよ。名前。山下はつなさんでしょ？」
またもや心臓が跳ね上がる。
フルネーム、フルネームだ。なんで知ってるの？なんでなんで。
この動揺を悟られないように私も口を開く。
「しゃべったことはあんまりないよ」
目も見れずぶっきらぼうに話してしまう。
嫌われたくないという気持ちが先行してうまくできない。
「山下何か聞きたいこととかないの？そうたに」
聞きたいこと？聞きたいこと⁈
「あんまり山下さんの事困らしちゃだめだよ」
優しい。
「この際なんでも聞いちゃえよ」
「僕なんかに興味ある？」
興味しかない。
「じゃ、じゃあ」
いきおいで声に出してしまった。
「おっあるってさ」
「なんだろ」
二人の視線が集まっているのが分かる。
この期に及んでも松下君の顔が見れない。
スっと息を吸って意を決して聞いてみた。
「前、見える？そのかみのけ、」
ずっと松下君を目で追っていていつも気になってることだった。
まえ、見えてるのかなって。
となりで大山がぷっとふきだした。
「確かに、前見えてんの？その天パ前髪で。目元隠れちゃってんじゃん」
笑いながら大山は言うけど私は大まじめだ。
「これね、伸びたから切らないとな～って思ってたんだよね。一応前は見えてるよ」
そう言って前髪をくるくるといじった。
ちゃんと答えてくれたことが嬉しくて「それはよかった」と口元が緩んでしまった。
「あ、俺そろそろ行かないとバス乗れない。じゃあな、二人で仲良くしろよ！」
急に大山はカバンを持ってそういって走り出した。
え、いきなり？そう思って時計を見るともう学校が終わってから三時間もたっていた。
全く時間の流れを感じない満たされた空間だった。
「山下さんは電車？」
「え？」
さっきまでの時間になんとなく浸ってたせいですっかり油断していた。
この狭い教室で松下君と二人。
しまった。
無理無理。
吐きそう。
せめて、せめて聞かれたことには答えないいと。
「ううん、歩き」
必死だ。こんな短文でもなんか変な汗が出る。
「歩き？おうち近いの？」
「だいたい一時間くらい」
「一時間？遠いね」
びっくりしてるのにびっくりしてないみたい。松下君はいつも落ち着いている。
「なんで歩きなの？」
会話を続けてくれんだ。優しい。
「電車とか乗ると色々考えちゃって落ち込むんだよね。だから帰りは特に歩きが多いよ」
「色々って？」
「今日あの子に対して冷たくしちゃったかなとかあの発言大丈夫だったかなとか今日のあの行動悪目立ちしたかなとか悪い方にどんどん想像広がってちゃってネガティブになっちゃう」
わああ私何語ってんだ。
こんなの言われたって困るだけでしょ。
ごめん、松下君、
「そっか、歩いてたらそうはならないの？」
さっきまでの調子と変わることなく聞いてくれたことで私の中でできた不安が少し溶けた。
「歩いてても少し考えたりするけど電車の中とかでぼーっと立つだけよりは歩くっていう行動してた方がまだマシなの」
意味わかんないよねと自虐的に笑う。
こういう話をすると皆スマホを触りだしててきとう返事になる。
ああ、私の話興味ないんだなってすぐに分かる。
過去の辛い話とか自分が楽しかった時の話をしてる時に一つ返事になられたりスマホを触られたりすると自分ってホントにこの人にとってなにか得を積むことでしか価値がないんだなって自覚する。
それで最後はお決まりの「何とかなるって」
「そんなの気にしたら負けだって」で片づけられる。
つくづく満たされない人生だ。
目の前の彼もきっとそうなんだろうな。
ごめんね、松下君。
「じゃあ僕も歩いて帰ろっかな」
「え？」
びっくりしてパッと顔を上げてしまった。前髪からちらっと見える目と視線があって今まで以上にドキッとする。
「わ、やっとこっち向いてくれた」
またクスクスと笑いながら優しく目を細める。
心臓が持たない。
胸に手を当てなくても分かるくらい心臓が音を鳴らしていた。
「あ、雨あがったね」
そう言われて窓の方に目をやると本当に雨が上がっていた。
今日は一日雨予報だったのに。
「これで気兼ねなく歩いて帰れるね」
そうだね、でも。
「今日松下君と喋れたから変なこと言っちゃったって大反省会かも」
またネガティブが口からこぼれ出てしまう。しまったと思うのはいつも言葉が出た後。
「そっか～大反省会か～。“喋れたから”って僕有名人みたいな扱いだ」
また笑う。
反省して嬉しくなっての繰り返しだ。
松下君が笑ってくれるとすごく嬉しい。
「僕は何も気にしてないけどそういうモードに入っちゃったときってとことん気持ち下がるよね」
「え、分かるの？」
「分かる分かる。きっと僕も今日反省会だなあ」
また一つ松下君の新しい表情。
「なんで、反省会？」
「ん？ひみつ」
首を少し傾けて落ち着いた声でそう言った。
はあ、かっこいい。
「でもさ、山下さん」
「なに？」
松下君はなにか悪いことをする子供みたいにニヤッと笑った。
「そういう時はスキップで帰ればいいんだよ」
「スキップ⁈」
こんな冗談言うんだとか、こんな顔するんだとか、顔の割に悪いこと言ってない可愛いとか、色々諸々にびっくりして聞き返す私とは裏腹に
「うん、スキップ」
といたずら気に笑いながらいう彼になんだか笑えてきてしまって、
「そっか、じゃあスキップして帰ればいいんだ」
と二人でクスクス肩を震わせた。
帰り道、余韻に浸りながら歩いているとスマホが震えた。
何かと思って開いてみると松下君からでまた心臓がドキッとする。
少しおぼつかない指で通知をタップすると
▽スキップしてたら見つけた
と写真と一緒に送られてきていた。
写真には大きな虹。
見上げると私の頭の上にもきれいな虹がかかっていた。
松下君がほんとにスキップをしていないことはわかってるけどこうやってさっき話してたことをメッセージにしてつなげてくれることが嬉しかった。
今までは雨が好きだった。
でも今日、雨のあとの晴れがこんなに素敵だったんだと
私の好きな人が教えてくれた。
