こうして、月鈴は空燕にそそのかされて嫌々妓楼で占術席を開くこととなってしまった。
 机に椅子。そして彼女の方術の道具として札を各種。月鈴は嫌そうな顔で空燕を睨んだ。

「何度も言うが、私は占術はあまり詳しくないぞ? そもそも情報収集なのにどうして占術師の真似事なんざしなけりゃならないんだ!」
「おや、お前さん方士としては俺よりも長いのに、どういう人物が占術に頼るのかご存じないので?」
「……どういう意味だ?」

 月鈴はなおも半眼で空燕を睨むが、空燕はどこ吹く風だ。

「基本的に占術の場での会話は、その場限りの話とされる。人に頼れない、人に言いたいが言えない、噂を広めたくない……そういうときに、占術に頼るんだ」
「……ひとりで黙ってるんじゃ駄目なのか?」
「そりゃお前さんみたいな強い人間だけならそうだがな。人間そこまで強くないし、本当に困り果てたら藁にすらすがりつくんだよ。特に妓楼にいる女や、ここに酒を飲みに来た人間なんざ、ほとんどは訳ありさ。そんなもん婆さんや同業者になんざ相談できないだろ」
「……つまりは、これで雨桐の不可解な現状の情報を集める、と……?」
「そういうことだ」

 たしかにこれは、がたいが大きくて話しかけづらい空燕よりも、若干華奢な月鈴のほうが話しやすいだろう。
 空燕は「人を集めてくる」と一旦席を離れた途端に、周りを伺うようにして美しい女性がやってきた。くっきりとした化粧に派手な着物。どう見てもここで働いている女だろう。

「いらっしゃい。占いに?」
「ええ……最近、なかなか客が取れなくて」
「それはそれは」

 占術はまずは観察。女性の話を聞きながら、身だしなみや持ち物、手の形などを確認する。それにしても手首が細く、彼女はこの数日食べてないのではと勘繰りたくなる。ここで働く女は、稼ぎの大半は売られた際に被せられた借金の返済に宛がわれ、残った部分で着物や化粧品などの商売道具、食事を得る。彼女が客が取れないのは本当だろう。
 爪も上から爪紅を塗って誤魔化しているが、縦にひび割れている。縦に割れているのは、化粧品を買うのも難儀しているのが半分、精神的に苦痛を伴っているのが半分。

(たしかに空燕の言った通り、現状は汲み取れるが……これだけじゃ、どうして雨桐があんな自体に陥っているかがわからない)

 まずは女性に「首筋に使うといい」と後宮で医局からもらった桃の香りの香油を渡して助言をしたあと、他にも女性たちが辺りを見回すようにしてやってきた。
 どの女性もきちんと食べられているのか心配になる中、当たり障りのない助言を続けている中。ひとり、ボロボロの女性客が多かった中でやけに身なりのいい女性が現れた。

(高級妓女と言ったところだろうか……彼女だけやけに身なりがいいな。しかし、そんな人がどうしてわざわざ占術に頼る?)

 どうにか観察していることを悟られないよう、月鈴は「どうなさいましたか?」と尋ねると、おずおずと女性が口を開いた。

「この数日、誰かに見られているような気がしまして……私はどうにか常連客を取れていますが、このところ妓楼にまで足が伸びない客が増えているんで不安なんです」

(……来た)

 一番欲しかった情報が舞い込んできたことに、自然と月鈴は唾を飲み下しつつも、どうにかその話を慎重にたぐり寄せる。

「それは災難でしたね。見られているというのは、妓楼の方々には伝えましたか?」
「見張りの方々には伝えましたが、妓女仲間には言えていません……このところ雨桐も治安が悪い中、なんとか客が取れている私の悩みを言ったら最後、なにをされるかわかったものじゃありませんし」

 人は嫉妬したとき、相手を引きずり下ろしたところで自分の生活がよくなる訳ではないが、感情として相手を蹴落とそうとする習性がある。
 彼女は比較的売れっ子妓女だという自負があるために、この手の嫉妬に対する警戒心が強い様子だった。

(他の人たちの腕の細さと彼女の腕の肉付きの差からして、食べられていないのはだいたい三ヶ月と少し……これは、後宮の連続皇帝昏睡事件に近くはないか?)

 彼女はきちんと食べられている手前、下手に甘い香りを漂わせたら他の妓女の嫉妬の的になるだろう。そう判断した月鈴は、彼女の前に木の枝を並べた。
 それに彼女は困惑した顔で月鈴を見る。

「これは?」
「お守りです。桃の枝になりますね。一本はあなたの袖の中に、残りは香炉に投げ込んでください。火をつけられるのならば、他のものでもかまいませんよ」
「……ありがとうございます。方士様のお守りでしたら、大層効きそうですね」

 そう言って、彼女は頭を下げた。どうも彼女が売れっ子なのは、方術に対しても知識の面では勉強しているかららしかった。桃を魔除けとして使っていることをきちんと心得ているのだろう。
 こうして、月鈴はやってくる女性や、ときおり外から来る旅の客に占術を施して、一旦お開きとなった。
 どうも老婆にはかなり満足されたらしく、いい部屋を用意してくれて、そこで月鈴と空燕は一泊することとなった。
 ふたりは肉を食べないからと用意してくれたのは茶粥だった。それを食べつつ、ふたりで話をする。

「話をまとめると、数ヶ月ほど前から雨桐全体に怪しげな影が通るらしい。このことは国にも苦情を入れているものの、なかなか兵を挙げての捜査はしてくれず、影の出没はなかなか止められないらしい」
「これは……前にあなたが言っていた奇術の理論そのままではないか?」
「たしかに俺たちが兄上の影武者と愛妃として後宮に入る際に雨桐に入ったときも、嫌な感じはしたが……」
「あれは、後宮内で見た屍兵と同じものだったのか?」

 青蝶の微笑みが月鈴の脳裏に瞬いた。
 あの年齢不詳な少女。明らかに自分たちと同じ方士だったが、限りなく仙女に近い力を悪用して、屍兵を集めている。
 ……それは、雨桐の現状を隠すためのものだったのではないだろうか。

「仙女になりうる力を、こんな悪用して……っ」

 月鈴は悔しげに唇を噛む中、空燕は短く「落ち着け」とだけ答える。

「もし雨桐の不景気、皇帝の連続昏睡事件、あちこちに沸き立つ屍兵……これは、ひとりの仙女のしわざにしたら無理がないか? あれが雇われているのか、首謀者なのかはわからないが……」
「青蝶を追い出すことはできないのか!?」
「それは危険だ。第一にあれを理由を付けて追い出した場合、屍兵はどうなる? あれがぞろぞろ後宮の外に出たら、それこそ民草が屍兵に襲われて死ぬぞ?」
「じゃあ屍兵を、薔薇園ごと燃やして……!」
「落ち着け。青蝶を妃として入れた者が黙っているとは思えない。それは調べたが、普通に雲仙国の中でも一、二を争う豪商だ。あれをいきなり敵に回したら、この国は経済的に死ぬ」
「あなたはできないできないばかり言うな!? なら代替案はないのか!?」
「だから、落ち着けと言っている」

 月鈴は空燕から出た存外に冷淡な声に、思わず怯んだ。
 基本的に飄々とした人物である彼が、こんな声を出すことは滅多にない──出すときは大概、相当立腹しているときだけだ。
 彼は後ろ盾がいない以上、よっぽどのことがない限りは雲仙国の皇帝になり得ることはない。だが、彼は出家してもなお、紛れもなく皇族であり、自身の国の民に無体を働かされて怒っている。
 一連の出来事の黒幕に対して。

「まずは雨桐に結界を張らなければならん。さすがに寺院から応援を呼ぶにも時間がかかり過ぎる以上、俺と月鈴で手分けして、夜の内に張る」
「雨桐……雨桐全域にか?」
「まずは屍兵の動きを制止させなければならんからな」

 結界には二種類ある。
 外部から侵入する妖怪を防ぐものと、内部に存在する悪意を封じるものと。
 後宮に張り巡らされていたものは紛れもなく前者だが、既に意味をなさないことはふたりともよくわかっている。おまけに首都まで屍兵に冒されている以上、必要なのは後者だ。
 ふたりは首都の地図を引っ張り出すと、それぞれの場所を眺めた。
 城の回りに広がる雨桐の周辺。ふたりがかりでひと晩走り回ればどうにか張れないことはない計算にはなるが。

「だが……仮に屍兵に邪魔された場合は?」
「まずは明日一旦後宮に帰るまでに、妓楼から流行りものをつくる。なにぶん、現状宿はここしか開いてないんだから、妓楼から出る客はいくらでもいる。それで屍兵の自由をひとつでも多く減らす」
「……あなたはいつも、簡単なことのように言うな。ふたりがかりで張るとは言えど、印を結ばなければいけないのは私ではないか」
「俺はな、月鈴」

 空燕は月鈴の髪をくしゃりと撫でた。
 今日は完全に方士として方服を着て、髪もひとつに括っただけの体たらくであり、綺麗でもなんでもないが、それでも空燕は愛しげに彼女を撫でる。

「お前さんの才覚を信じているよ。なあ、姉弟子の姉さん」
「……いつも都合のいいことを言うな、あなたは」
「お前さんの憎まれ口を聞かなかったら、こちらも元気にならんからな。お前さんが憎まれ口を叩く余裕があるんだったら、まだ大丈夫さ。今日はあれだけ桃の枝やら香油やらを配ったんだ。よっぽどのことがない限りは大丈夫だろうさ。明日は大仕事だ。まあ一旦寝ようや」

 そう言って、空燕は彼女を寝台に無理矢理引っ張り込むと、本当にそのままいびきをかいて寝てしまった。
 彼に抱き枕のように抱き込まれたまま、月鈴はむっつりと膨れていた。

「……あなたはいっつもこうじゃないか」

****

 生まれたときには親はなく、気付けば彼女は寺院にいた。
 口減らしで子が寺院に捨てられることは珍しくなく、方士たちには「またか」という様子で下働きとして育てられた。
 その場で方士として育てなかったのも、ひとえに彼女がどこかに嫁入りできるようにという、方士たちなりの親心だったのだが、彼女はそれをよしとしなかった。
 方士たちは下働きの子に名前がないのを気の毒がり「仙女の鳴らす月の鈴」から、月鈴と名付けてくれた。
 方士たちが月鈴に語ってくれる物語が好きで、彼女が仙女になりたいと思うようになったのは、彼らが彼女に向けた憐憫からだったなんて、誰が思うのか。

「わたしもせんにょになりたい。そして、だれかをたすけたい」

 方士たちが方術修行に明け暮れているのも、仙人になるためだった。そして方士たちは月鈴を助けてくれた。
 彼女が仙女になって誰かを助けたいと考えるのは、ごくごく自然なことだったのだが。
 周りは慌てて止めたのだ。

「やめておけ。出家したら、もう二度と現世に戻れなくなるぞ?」
「修行は厳しいぞ? 仙女になるなんて生半可な気持ちじゃ無理なんだから」

 既に彼らは世俗を捨てた身。子などできないだろうと思っていた中拾って育てた下働きの子なのだから、余計に止めたかったのだが、月鈴は止まらなかった。

「わたし、せんにょになる!」

 こうして彼女は出家して方士になり、方術修行に明け暮れたのだった。
 彼女は存外に才能があり、まるで寒天が水を吸うように知識を吸収していき、さまざまな方術を会得し、薬学にも長けるようになったのだ。
 全ては優しくしてくれた人たちのため。自分の恩義を他の人に返すのだ。
 そう思って育ってきたからこそ。
 彼女は仙女の疑いのある女のやったことが、許せずにいたのだ。