「なんだ? なんかイメージが浮かんできたぞ、おい」
薄川の頭にも同じものが見えているようだ。
映画などのように派手な演出も効果音もなく、ホームビデオのようにそれは淡々と先のコマへと流れていく。
ヒーローではなくお姫様に焦がれた少年が、ひたすらに自分を封じ込めていく話だった。
美少女戦士のステッキに、少女雑誌、ラメの入った色ペン、裁縫グッズ、様々なものが手に取られては売り場に戻される。
そうして、中学生になったある日。京都で買われた一本のかんざしだけは、少年のお土産袋に紛れ込んだ。
校外学習かなにかで、開放的な気分になっていたのかもしれない。
やっと手に入った好きなもの。
しかし、少年がそれを髪に刺すことはなかった。鍵付きの引き出しにしまい、毎日のように眺める。
好きになったのは同性の後輩、なりたいと憧れたのは異性の先輩。しかし決して人には言えない。
秘密を机に隠し、ちぐはぐを胸に抱えたまま少年は大人になっていき、最後、引き出しが開かれる。
「僕、男だもんね」
そこで映像は真っ暗になった。
結衣は、自分の意識がその余韻から還ってくるのを待ってから目を開ける。
薄川はまだ目を瞑っていた。カンザシは、寂しげにまた鬼灯の実を揺らす。察するに、この倒れている男が見てきた景色なのだろう。
この妖の根源は、男のやりきれない思いを乗せた言霊らしい。
「分かっただろう? この子がいかに我慢してきたか。自分が男だと強く思い込むがゆえにこの子は色々なことを封じ込めてきた」
思い返せば、彼の服装も動作も喋り方も、女性らしいものだった。
その「らしさ」に彼は苦しんできたのだ。
人はどうしても、イメージをする。
雪子を気品ある美人だと思ったり、薄川をその道の人と勘違いしたりするのもそう。
その勝手なイメージに、彼は人一倍囚われていたということになる。
ただ心と身体がずれていたばかりに。
「小娘が今やっているみたいに、髪留めをつけることもままならない。その心が泣くのを聞いて、あたしは取り憑いた」
そのうえで、カンザシが取った行動は、身体を占領して自由にしてしまうのではなく、彼がしたいようにさせることだったそう。
化粧や美容グッズの購入、流行りのドリンクやランチのお店選び。
彼が少しでも世間のイメージとの狭間で、判断に迷うようならば、背中を押してやったと言う。
「今回のお見合いでこの子は、自分が男か、女か、白黒つけたがっていた。だから参加をさせたのさ。でも、うまくはいかないものだね」
「……女の人と本当にマッチングしちゃったから、引っ込んでいたあなたは、前に出てきてしまったのね」
「あぁ。この子のしたいことではないだろうからね」
まるで人情話のようだった。
苦しんできた人間を、その心の発露であるカンザシの妖が救ってやる。
それは、一見なんの間違いもなく美しい。
カンザシは人を自在に操っているわけではない。少しばかり、その選択を矯正しているだけだ。
けれど、やはり否定しなくてはならない。
「それって、カンザシが思う、この人のしたいことだよね」
「なにを言うか、小娘!」
「事実だよ。とくに、人に迷惑かけたことなんてそう。私にも散々悪戯したでしょ。
私がこの人のことを気遣ってたのを、好意だってカンザシが勘違いしたからじゃないの。それはこの人が望んだと? あなたでしょ」
そして、カンザシが本当に望んでいるのは、たぶん一つだ。
「いつか、この人の髪に、付けてもらいたかったんだね? 無理矢理じゃなくて、この人の意思で」
カンザシは、にわかになにも発しなくなる。図星のようだった。
「どうにかしたい気持ちは分かるよ。この人のしたいことでもあるんだろうし、少しくらい力を貸すなら、いいかもしれない。でも、過度に干渉するのはだめだよ」
「……他人に害を与えるからかい?」
「うん。でも、それだけじゃない。……そうしないと、いつまでもこの人が、自分の心と向き合えないと思うから。この人が大切なら余計に」
男だとか女だとかで疑問をもったこともない結衣に、彼の心情の全てが理解できるわけではもちろんない。
でも、問題の根っこは同じだ、対自分。
結衣も、よく悩み、よく目を背けようとする。自分で言っておいて、跳ね返ってきて痛いくらいだ。
それでも、最後には向き合わねばならない。自分の意思で、選ばなければばいけない。
カンザシは、強気な態度から一転、黙り込む。
薄川が、一つ咳払いをした。あたかも見えているかのように語りかける。
「カンザシとやら、そこにいるんだよな。お前がもうこの男に憑依しないってなら、厄除けの効果、解いてやるよ。なぁ八雲。それで、妖の方の力も戻るんだよな?」
「……うん。そのはずだけど」
結衣は、薄川に代わってカンザシの意思を確かめる。
「カンザシはどうしたいの。一つだけ言っとくと、このままじゃあなたが消えるかもよ?」
「厄除けの効果を解けば、この世にとどまれるのか」
「そうなると思うよ。……この人が苦しんできた二十数年分がカンザシなんだから。そう簡単には消えないよ」
感情から生まれた妖は、とくにそれが宿った付喪神は、その持ち主の思いの丈だけ強い力を持つのだから。
結衣は、ふと恋時の顔を浮かべる。
もしくは彼も付喪神になるのだろうか。その考えが次のステップに行かないうちに、カンザシはしゃらんと首をしならせた。妖しく、けれど愛嬌をみせて笑う。
「それならば、いつか願いが叶うのを気長に待つとするよ」
凛々しく答えて、彼女はその提案を飲んだ。
薄川によれば、
「厄除けは、願い事をお焚き上げして行うからな。その逆、つまりは、厄除けの撤回を祈ればいいんだ」
とのことだった。
ひとまず、本会場同様こちらも、かたがついたといえよう。
男が自然に目を覚ますのを待つ間、
「それにしても、悪戯がすぎるよ。グラス倒すし、髪の毛入ってるし。静電気、まち針……。あ、そうだ、ワンピース! せっかく可愛かったのに」
結衣はカンザシに、少しの恨み節を口にした。
言い募らずにはいられなかった。
情けなくも、袴の下から浮き上がっているダブルクリップを指差す。
「あたし、その服のことは知らないよ。覚えがない」
「……えっ? 嘘」
「嘘をつく理由がないね。たしかに静電気あたりはそうさ。この子に関わることならやったけれど……。でも、女の飲む器に微塵も興味はないし、まして服を破こうなんて趣味はない」
結衣は、はっきり虚をつかれた。
ということは、別に真犯人がいるということだ。
悪戯は、決して妖の専売特許ではない。身体を乗っ取られずとも、悪事を考える人間だって当然いるのだ。