作詞作業中の仮眠を取ろうとベランダにでると、スマートフォンからバイブ音が聞こえた。

「お姉ちゃん……?」

 ここでの生活が始まって以来、誰とも連絡は取っていない。
唯一事情を知っている姉とも話していなかった。家族に何かあったのか、僕達の生活がバレてしまったのか、恐る恐る通話に応じる。

「はい……空だけど」

「久しぶり!よかった……生きてたのね」

 冗談まじりに笑う姉の声に少し安堵する。

「大丈夫だよ、あんまり不便もなく生活できてるよ」

「それならよかった、高嶺さんは?空と二人で大丈夫?」

「そこも問題なくできてるよ」

 『空は女の子慣れしてないからねぇ』と揶揄う姉も、恋人いない歴=年齢の種族。
とても僕を揶揄える立場ではない。

「急に通話なんてどうしたの?何かあった?」

「問題が起きたとかでは無いんだけど、少し空に伝えたいことがあってね」

「伝えたいこと……?」

「空は疑問に思わない?今住んでるその小屋、どうして私の小屋なのか」

 言われてみれば確かにそうだ。
四年前、祖父によって建てられたこの小屋の所有者は他でもない姉。当時未成年の姉がどうしてこんな山奥に……?

「確かに、どうして?」

『その小屋は私の挫折の象徴よ』

 衝撃が強い。
僕にとって完璧で、人当たりもよく、人としても能力としても欠点などない姉から発せられる『挫折』という言葉。

「お姉ちゃんが挫折……?」

「私が学校を辞めたのは、今から三年前。その小屋が建てられたのが四年前」

「それが何か関係しているの?」

「それは私の夢を叶えるためにおじいちゃんが遺していったものなのよ」

 建築家だった祖父の遺作となるものがこの小屋。
名の知れた建築家だったこともあり、祖父の死は多方面に掲載された。その中に記されていた『遺作』についての記事。持病を抱え、余命わずかの祖父が遺した遺書にはこう書き遺されていた。

『遺作は、私が大切な人が大きな夢を叶えるための支えとなるものを造った。世間様に公開する予定は一切ございません』

 その『大切な人』は姉を指していて、『夢を叶えるための支え』がこの小屋だった。

「……そういうことだったんだ」

「そう、空は私の夢わかる?」

「わからない、考えたこともなかった」

「私の夢は、小説家だった」

 幼い頃から姉にはよく図書館へ連れて行かれた。
一度入館すると数時間は離れようとしない姉に少し苛立ったこともあったけれど、本を探している姉の輝いて目を見るとその気持ちは自然と和んでいった。

「小説家……」

「ずっと本が好きでね、いつか私の物語を誰かに届けたいって思っていたの」

「……」

「でも届く日は来なかった」

「……え?」

「筆を握って三年、小屋に入って二年の夏。心が折れちゃった」

 電波越しにでもわかる震えた声。
いつも姉とは違う、弱く脆い声が僕の心に響く。

「妄想ならいくらでもできた、でも言葉が出てこない」

「そんな……」

「でも、空は違うからね」

「僕……?」

「空の詞を必要としている人は必ずいるから」

 僕の背中を押し出すような、足踏みをする僕を突き出すような声。
『止めるな』と煽るような言葉が刺さる。きっと深く過去を語らないのは姉の優しさ、考えすぎる僕の可能性を潰さない姉なりの方法。

「僕の詞を必要としてくれる人……?いるのかな」

「私がその一人だから、書き続けてよ」

「お姉ちゃんが……?」

「そうだよ……!空なら何だってできるんだから、諦めないでよね」

 僕の中の天秤が傾く。
無謀な夢を追うこと、保証のない彼女との口約束の終着にへの迷いが全て打ち消された。
だからこそ僕はこの想いを言葉にしなければいけない。

「お姉ちゃん、僕……!」

「聞くよ、空の想い」

 息が早くなる、頭を駆け巡る想いと詰まる言葉で満たされる。

「僕は、僕の詞が誰かの心に届くまで書き続けたい」

「うん」

「だから僕の中で、そして高嶺さんの中で何かが見つかるまで戻らない」

「わかった、それが空の決意だもんね」

「でも、お父さんとお母さんになんて言おう……」

 躊躇う僕に姉の声が響く。

「そのことは心配しないで大丈夫だよ」

「えっ……?」

「お父さんもお母さんも心配してたの、空が進級して元気がないよねって」

「そうだったんだ……」

「弟が生まれて色々大変だったから手が回らなかったけど、空の変化にはどっちも気づいてたみたい」

 両親の優しさは僕の想像を遥かに超えるものだった。
この優しさも詞にして、彼女に伝えたい。

「だから空が家を出ていった次の日、私から話をしたんだ」

「お姉ちゃんから……?」

「空の事情と高嶺さんのことも全部ね」

「何て言ってたの……?」

「やりたいだけやってみなさだって、それがお父さんとお母さんの幸せだからって」

「……」

「空は気なんて使わなくていいの!私という悪い前例があるんだからやりたいだけやりなさい!フォローはいくらでもする、それが私達の役目だからね」

「本当に……ありがとう」

 通話越し暖かさと安心感と、居場所を感じた。
深く息を吸って、覚悟を決める。僕はここで本気で全てを背負って叶えてみせる。

「空」

「……何?お姉ちゃん」

 一呼吸置いた後『最後に一つだけ』と姉は口を開く。

『生きるって夢を見ることだからね』

 息を吸うだけじゃない、僕はこれから、貪欲に何かを追い求めるんだ。
それがきっと生きるということだから。