「……最低」


 昇降口を遠くに確認できたあたりで、私は走る速度をゆるめた。

 短く息を吐き、そして吸い込んだ。
 呼吸を整える合間、さっきまでの会話を振り返る。

 やっぱり彼は、噂どおりの人だとはっきりわかった。
 手伝い役とやらを頼む気はまったくなかったけれど、あの理由には不快だと、そう強く思った。

『……なんていうの、俺って悩んでる女の子は見過ごせないタチっていうか。ほら、佐山ちゃん可愛いしさ。可愛い女の子の、少しでも助けになれたらなーとか思ったり。それでよければ俺と仲良く、』

 女好きといわれるミヤケンにとっては、些細な口説き文句だったのかもしれない。
 だけど今の私には、そんな彼の性格に付き合うほどの余裕がなかった。

 ……面白おかしくかき乱されるほど、虚しく悲しいことはないんだから。


「ねえ、あそこにいるの佐山さんじゃない?」

 そんな囁き声が聞こえたのは、感情に任せて肩掛け鞄の持ち手をきつく握りしめたときだった。
 

「あ、本当だ! あのあとどうしたんだろうね。ミヤケンにお姫様抱っこしてもらってたけどさー」

「なんか倒れたらしいけど、体が弱かったとか?」

「さぁ? ていうかあたしら、佐山さんと話したことないし。だって佐山さん、転校してきてからずっと一人でいるじゃん」

「んー、そうだけどさぁ。でも気になるじゃん。なんでミヤケンが佐山さんと一緒にいたとか」


 振り返ると、同じクラスの女子と思われる二人組と目が合った。
 彼女たちは、あ、と声を出す。こちらを見ながら気まずそうに肘でお互いの脇腹を突きあっていたけど、なにも言わずに昇降口へとそそくさに歩いていった。

「あれ、あの子。ミヤケンが運んでた子じゃね? 昨日廊下ですれ違ったよ」

「なになに、なんの話し?」

「いや、昨日の放課後にミヤケンが保健室から女子を抱えて出てきて、それがあそこにいる子だって話」


 さらに耳に入った会話の内容に、私は愕然とする。
 いつの間にか生徒が一番に密集する登校時刻となっていた。

 校門から昇降口にかけて流れ込んでくる生徒たちは、全員が全員ではないけれど、私に視線を送っている。


「そうそう。あの子、ミヤケンと保健室にいて……えーと、イチャついてる最中に気絶したんだっけ?」

「いや、知らねーよ。誰から聞いたんだそれ」

「誰だっけ。昨日部活で校内ランニングしてるときに、誰かが言ってたわ」

「それ、けっきょく誰だかわかんねーじゃん」


 興味半分、好奇心は捨てきれないといった感じ。そんな男子生徒の曖昧な話し声が背中をかすめる。

(本当に、最悪……)

 噂というのは、当人たちの関係ないところで一人歩きして、真実をことごとく歪めていく。

 私はそれをもう、身をもって知っていた。