失われていた記憶がよみがえってくる。
思い出した今でも信じられない。だけどもうそれ以外にはあり得なかった。
「聖。お前が僕の記憶とひなの耳を奪ったのか?」
絞り出した声はかすれるような声だった。
失われた三十六日間の記憶を、もう全て取り戻していた。聖に襲われたあの日のことも。
「そうです。今だったら、信じてもらえるかもしれませんね。俺、力があります。不可思議な力です。触れた相手から『何か』を失わせる力、それが俺の力です」
聖の言葉はにわかには信じられるようなものではなかった。聖はときどき変な嘘をつくことはある。だから聖の言葉はでたらめである可能性もゼロではない。
だけどこの言葉が決して偽りではない事を僕は感じ取っていた。嘘だとするにはあまりにも突飛すぎて、逆に真実味を増していた。
実際に目の前にいるにも関わらずひなたの事を忘れてしまっていた。見えている人の事を忘れてしまうだなんて、何か超常的な力が働いているとしか思えない。
僕が記憶を失ったのは海に飛び込んだ後ではない。ひなたを追いかけて空を飛んだ時には、すでに記憶を失ってしまっていた。
あの時にひなたが叫んだのも、突然に耳が聞こえなくなったからだろう。いくら突発性難聴とはいっても、あまりにも不自然に聴力を失っていた。
だけど聖に力があるのだと仮定すればつじつまは合う。聖が触れた瞬間に僕達は失った。僕は記憶を、ひなたは聴力を。失ってしまい傷ついていた。それが聖の力によるものとだとすれば、理由がつく。
だけどそれ以上に聖の言葉には、嘘が含まれているようには思えなかった。
「でも無制限に使える訳じゃありません。何かを失わせたのと同じ数だけ、俺も何かを失います。だからこの力は滅多に使わなかった。けど」
どこか物憂げにすら感じられた聖の顔に笑みが浮かぶ。
崩れ落ちそうなほどに歪んだ満ち足りた笑顔。
「だけど美優さんの為なら、俺、どれだけ失っても構いません」
聖は恍惚とした笑顔を浮かべて、空を見上げていた。
何を感じているのだろうか。本当にこれが美優のためになると考えているのだろうか。僕にはわからない。ただ今の聖は他の何も見えてはいなくて、自らの想いに盲信しているだけなのだろう。
ひなたは僕の背で震えていた。聖に耳を奪われた時の記憶がそうさせているのだろうか。
ひなたは聖の事について何も言わなかった。ひなた自身も覚えていなかったのか、それともあまりに非現実的な事に理解が出来ていなかったのかもしれない。聖がしたことはただ一瞬ひなたの耳に触れただけ。それで聴力が奪われただなんて思いもしなかったのかもしれない。
ひなたが海に落ちたのは事故だ。聖が突き落としたという訳ではない。
聖の言葉はひなたには届いていない。聖に力があるだなんてことも、今も理解はしていないだろう。ただ今は襲ってくる相手に恐れを抱いているだけだ。
聖は僕達を前に空を見上げるだけで、何もしようとはしていない。だけどそこから感じる圧力は、僕達を逃がすまいと釘付けにさせている。
僕は美優を傷つけてしまった。だから僕を傷つけるのならば理解は出来る。
だけどひなたは何もしていない。ただ僕と出会ってしまっただけだ。それを罪とは言わせたくなかった。
僕は正しくなんてない。だけど聖は間違えている。聖にこれ以上間違えて欲しくなかった。
「聖。お前がやっていることは間違っている。こんなことをしたって何もならない」
ひなたをかばうように大きく手を広げて、僕は聖をにらみつける。
だけど聖は何も感じていないかのように、ただ淡々とした声で僕へと答えていた。
「正しいとか、正しくないとか。そんなことは関係ないんです。ただ美優さんに幸せであって欲しいだけです。そのためには友希さんは覚えていてはいけないんです。その人がいてはいけないんです」
僕の後に隠れるひなたを見つめながら、聖はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だから全てを失って貰います。存在がなくなればもう美優さんは奪われない。美優さんは、幸せになれる。美優さんから幸せを奪った、その人が憎い。それだけです。だから失ってもらいます。消えてなくなってもらいます」
聖は憎いと告げながらも、言葉には憎しみは感じられなかった。
機械のような抑揚のない声で、僕達を拒み続けた。
強く身体が震える。恐ろしさしか覚えなかった。それでも僕はひなたを守り続けようと思った。
「そんなことはさせない。させない。させてたまるものか。僕は、ひなたを守る。守るんだ」
僕に何が出来るんだろう。力を持つ聖に太刀打ち出来るのだろうか。一瞬触れられただけで、ひなたは聴力を僕は記憶を失ってしまった。
わからない。それでも僕はひなたを背にして、聖に立ちふさがっていた。
耳が聞こえていないひなたは何をしているのかもわからないだろう。だけどその方がいいのかもしれない。これ以上、ひなたに苦しんで欲しくなかった。
でもそんな僕の思いとは裏腹に、ひなたは僕の背中ごしに話し始めていた。
思い出した今でも信じられない。だけどもうそれ以外にはあり得なかった。
「聖。お前が僕の記憶とひなの耳を奪ったのか?」
絞り出した声はかすれるような声だった。
失われた三十六日間の記憶を、もう全て取り戻していた。聖に襲われたあの日のことも。
「そうです。今だったら、信じてもらえるかもしれませんね。俺、力があります。不可思議な力です。触れた相手から『何か』を失わせる力、それが俺の力です」
聖の言葉はにわかには信じられるようなものではなかった。聖はときどき変な嘘をつくことはある。だから聖の言葉はでたらめである可能性もゼロではない。
だけどこの言葉が決して偽りではない事を僕は感じ取っていた。嘘だとするにはあまりにも突飛すぎて、逆に真実味を増していた。
実際に目の前にいるにも関わらずひなたの事を忘れてしまっていた。見えている人の事を忘れてしまうだなんて、何か超常的な力が働いているとしか思えない。
僕が記憶を失ったのは海に飛び込んだ後ではない。ひなたを追いかけて空を飛んだ時には、すでに記憶を失ってしまっていた。
あの時にひなたが叫んだのも、突然に耳が聞こえなくなったからだろう。いくら突発性難聴とはいっても、あまりにも不自然に聴力を失っていた。
だけど聖に力があるのだと仮定すればつじつまは合う。聖が触れた瞬間に僕達は失った。僕は記憶を、ひなたは聴力を。失ってしまい傷ついていた。それが聖の力によるものとだとすれば、理由がつく。
だけどそれ以上に聖の言葉には、嘘が含まれているようには思えなかった。
「でも無制限に使える訳じゃありません。何かを失わせたのと同じ数だけ、俺も何かを失います。だからこの力は滅多に使わなかった。けど」
どこか物憂げにすら感じられた聖の顔に笑みが浮かぶ。
崩れ落ちそうなほどに歪んだ満ち足りた笑顔。
「だけど美優さんの為なら、俺、どれだけ失っても構いません」
聖は恍惚とした笑顔を浮かべて、空を見上げていた。
何を感じているのだろうか。本当にこれが美優のためになると考えているのだろうか。僕にはわからない。ただ今の聖は他の何も見えてはいなくて、自らの想いに盲信しているだけなのだろう。
ひなたは僕の背で震えていた。聖に耳を奪われた時の記憶がそうさせているのだろうか。
ひなたは聖の事について何も言わなかった。ひなた自身も覚えていなかったのか、それともあまりに非現実的な事に理解が出来ていなかったのかもしれない。聖がしたことはただ一瞬ひなたの耳に触れただけ。それで聴力が奪われただなんて思いもしなかったのかもしれない。
ひなたが海に落ちたのは事故だ。聖が突き落としたという訳ではない。
聖の言葉はひなたには届いていない。聖に力があるだなんてことも、今も理解はしていないだろう。ただ今は襲ってくる相手に恐れを抱いているだけだ。
聖は僕達を前に空を見上げるだけで、何もしようとはしていない。だけどそこから感じる圧力は、僕達を逃がすまいと釘付けにさせている。
僕は美優を傷つけてしまった。だから僕を傷つけるのならば理解は出来る。
だけどひなたは何もしていない。ただ僕と出会ってしまっただけだ。それを罪とは言わせたくなかった。
僕は正しくなんてない。だけど聖は間違えている。聖にこれ以上間違えて欲しくなかった。
「聖。お前がやっていることは間違っている。こんなことをしたって何もならない」
ひなたをかばうように大きく手を広げて、僕は聖をにらみつける。
だけど聖は何も感じていないかのように、ただ淡々とした声で僕へと答えていた。
「正しいとか、正しくないとか。そんなことは関係ないんです。ただ美優さんに幸せであって欲しいだけです。そのためには友希さんは覚えていてはいけないんです。その人がいてはいけないんです」
僕の後に隠れるひなたを見つめながら、聖はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だから全てを失って貰います。存在がなくなればもう美優さんは奪われない。美優さんは、幸せになれる。美優さんから幸せを奪った、その人が憎い。それだけです。だから失ってもらいます。消えてなくなってもらいます」
聖は憎いと告げながらも、言葉には憎しみは感じられなかった。
機械のような抑揚のない声で、僕達を拒み続けた。
強く身体が震える。恐ろしさしか覚えなかった。それでも僕はひなたを守り続けようと思った。
「そんなことはさせない。させない。させてたまるものか。僕は、ひなたを守る。守るんだ」
僕に何が出来るんだろう。力を持つ聖に太刀打ち出来るのだろうか。一瞬触れられただけで、ひなたは聴力を僕は記憶を失ってしまった。
わからない。それでも僕はひなたを背にして、聖に立ちふさがっていた。
耳が聞こえていないひなたは何をしているのかもわからないだろう。だけどその方がいいのかもしれない。これ以上、ひなたに苦しんで欲しくなかった。
でもそんな僕の思いとは裏腹に、ひなたは僕の背中ごしに話し始めていた。