◇◇
「やっと見つけましたよ。紅琳」
「何だ。華月か」
後宮の大池の畔。
人気のない場所を選んで、紅琳は写生をしていたのだが……。
(もう、バレたのか……)
想定外だ。
やっと見つけた秘密の場所だったのに……。
(次は、何処に隠れたら良いのか)
紅琳の目下の悩みは、それだった。
――玉榮の正体を晒し、捕縛してから一カ月半が過ぎようとしていた。
妖に国が乗っ取られかけていたなんて、有り得ない醜聞はもちろん口外禁止にした。表向きは、玉榮を反逆罪で捕えたということにしている。
それでも、後宮内では真実が知れ渡っていて、紅琳の存在は、妃嬪たちの蔑視の的から畏怖の対象に変化していた。
ともかく、これ以上、後宮内で悪目立ちしたくないのだが……。
「私に話があるのか? 華月」
「玉榮のことですよ。朔樹殿が見張ってくれているのですが、解呪の方法を吐かないのです。尋問方法を変えた方が良いのでしょうかね?」
「何だ、そんなこと。解呪なんて時間の問題だろう。急ぐ必要もない」
「しかし、私には死活問題。心が落ち着きません」
「悲観的に考えなくてもさ。完全な男に戻ったら、念願の欲望解禁なんだ。妃なんて選び放題。どの娘が良いか、今のうちに、吟味してれば良いじゃないか」
「妻に浮気を勧められる夫の気持ちって……ね?」
「別に、浮気じゃないだろう?」
「……で? 貴方は堕落した皇妃として、再び離縁されることを目指しているというわけですか?」
華月の呆れ果てた溜息に、紅琳は肩を竦めるしかなかった。
「これが最善なんだ。私は皇后の器じゃない。二度の離婚で、更に悪名を上げてる方が性に合ってる」
「最近、以前のように、私と政務をしないのも、そういうことですか。いつも貴方は逃げてばかりで、一向に私と会ってくれなかった。ここだって、李耶を懐柔して、ようやく教えて貰ったんですから」
(李耶の奴)
あれほど、華月に居場所を教えるな……と、頼んでおいたのに、簡単に言いなりになってしまうなんて。
「華月。政務は皇帝がするものだ。今までは、不測の事態に備えて、私もあんたといたけれど、妃が出しゃばるとロクなことにならない。あんたが一番よく知っているはずだろう」
紅琳は華月を淡々と諭しながら絵を描いていた。
離縁したら、後宮の景色を見ることは出来ないのだから、早めに仕上げておきたかったのだ。
「他人事ですね」
「私の役目は終わった。後はあんたの仕事。私は、画家として忙しいんだよ」
「一応、友からの助言ですけど、残念ながら、貴方のその絵の腕では、画家と名乗るのは難しいと思います」
「はあっ!?」
紅琳の肩越しに、華月は斬新な構図の絵を見たのだろう。
率直な友の意見に、紅琳は唇を尖らせるしかなかった。
「あんたには、この私の躍動感溢れる豪快な筆致で描いた画が、理解できないのか?」
「まったく」
一蹴されてしまった。
(おかしいな)
なぜか、昔から紅琳の絵は、評価されないのだ。
「もう暫く、絵の勉強をしてみたら如何ですか? 後宮でなら、いくらでも学ぶ時間を取れますよ」
「後宮でなくても、学ぶ時間は得られるだろう?」
「……しかし」
「いいか、華月。あんたは立派な皇帝になる。私はそう見込んだんだ。佳い女性を妃に迎えて、跡取りを沢山作って、この国を繁栄させてくれ。私は今後、あんたの友として、遠くから……」
「紅琳」
「はっ?」
「貴方、処女ですよね」
「………っ!?」
瞬間、絶句して硬直した紅琳は、筆を膝の上に落としてしまった。
「突然、何てことを言うんだ!? あんた、また変な呪いでも掛けられたのか?」
おかげで、お気に入りの着物に、墨染みが出来てしまったではないか。
ぎこちなく振り返ると、皇帝しか身に着けることが出来ない、濃紫色の衣を堂々纏った華月が、むくれ顔で紅琳を見下ろしていた。
「私は、いたって正常で問題ありません。ついでに、人払いは徹底していますから。今の会話は、私と貴方しか知り得ません」
「いや、そういう問題ではなくて」
赤面を隠すように、紅琳は下を向くが、華月はお構いなしだった。
「貴方が男慣れしていないことは、分かっていました。触れようとすると、避けたり、ぎこちなかったり……。私がそういった話をすると、貴方は顔を真っ赤にして目を逸らす。今のように……ね」
「試していたのか、私を?」
「いや、まさか。ただ触れたいという欲望の中に、照れる貴方を見てみたいという探究心があっただけです」
凄まじく言葉を装飾しているが、要するに紅琳の反応を「試していた」のだろう。
六歳も年下の甥っ子に対して、情けない話だった。
「しかし、そんなこと暴いて、一体」
「……だから、沙藩王と貴方の婚姻は、契約だったのでしょう?」
「えっ?」
「貴方は妃とはいえ、名ばかりで、沙藩王と「夫婦」ではなかった」
そして、その場にしゃがんだ華月は、紅琳としっかり目線を合わせた。
「契約条件は何だったのです?」
「何で、そんなことまで、分かったんだ?」
「分かりますって。貴方は私の妃なんですから」
自信満々に妃の部分を強調されると、何とも複雑な気分だった。
(どうせ、嘘を吐いたところで、墓穴を掘るだけだ)
だったら、白状するしかない。
「やっと見つけましたよ。紅琳」
「何だ。華月か」
後宮の大池の畔。
人気のない場所を選んで、紅琳は写生をしていたのだが……。
(もう、バレたのか……)
想定外だ。
やっと見つけた秘密の場所だったのに……。
(次は、何処に隠れたら良いのか)
紅琳の目下の悩みは、それだった。
――玉榮の正体を晒し、捕縛してから一カ月半が過ぎようとしていた。
妖に国が乗っ取られかけていたなんて、有り得ない醜聞はもちろん口外禁止にした。表向きは、玉榮を反逆罪で捕えたということにしている。
それでも、後宮内では真実が知れ渡っていて、紅琳の存在は、妃嬪たちの蔑視の的から畏怖の対象に変化していた。
ともかく、これ以上、後宮内で悪目立ちしたくないのだが……。
「私に話があるのか? 華月」
「玉榮のことですよ。朔樹殿が見張ってくれているのですが、解呪の方法を吐かないのです。尋問方法を変えた方が良いのでしょうかね?」
「何だ、そんなこと。解呪なんて時間の問題だろう。急ぐ必要もない」
「しかし、私には死活問題。心が落ち着きません」
「悲観的に考えなくてもさ。完全な男に戻ったら、念願の欲望解禁なんだ。妃なんて選び放題。どの娘が良いか、今のうちに、吟味してれば良いじゃないか」
「妻に浮気を勧められる夫の気持ちって……ね?」
「別に、浮気じゃないだろう?」
「……で? 貴方は堕落した皇妃として、再び離縁されることを目指しているというわけですか?」
華月の呆れ果てた溜息に、紅琳は肩を竦めるしかなかった。
「これが最善なんだ。私は皇后の器じゃない。二度の離婚で、更に悪名を上げてる方が性に合ってる」
「最近、以前のように、私と政務をしないのも、そういうことですか。いつも貴方は逃げてばかりで、一向に私と会ってくれなかった。ここだって、李耶を懐柔して、ようやく教えて貰ったんですから」
(李耶の奴)
あれほど、華月に居場所を教えるな……と、頼んでおいたのに、簡単に言いなりになってしまうなんて。
「華月。政務は皇帝がするものだ。今までは、不測の事態に備えて、私もあんたといたけれど、妃が出しゃばるとロクなことにならない。あんたが一番よく知っているはずだろう」
紅琳は華月を淡々と諭しながら絵を描いていた。
離縁したら、後宮の景色を見ることは出来ないのだから、早めに仕上げておきたかったのだ。
「他人事ですね」
「私の役目は終わった。後はあんたの仕事。私は、画家として忙しいんだよ」
「一応、友からの助言ですけど、残念ながら、貴方のその絵の腕では、画家と名乗るのは難しいと思います」
「はあっ!?」
紅琳の肩越しに、華月は斬新な構図の絵を見たのだろう。
率直な友の意見に、紅琳は唇を尖らせるしかなかった。
「あんたには、この私の躍動感溢れる豪快な筆致で描いた画が、理解できないのか?」
「まったく」
一蹴されてしまった。
(おかしいな)
なぜか、昔から紅琳の絵は、評価されないのだ。
「もう暫く、絵の勉強をしてみたら如何ですか? 後宮でなら、いくらでも学ぶ時間を取れますよ」
「後宮でなくても、学ぶ時間は得られるだろう?」
「……しかし」
「いいか、華月。あんたは立派な皇帝になる。私はそう見込んだんだ。佳い女性を妃に迎えて、跡取りを沢山作って、この国を繁栄させてくれ。私は今後、あんたの友として、遠くから……」
「紅琳」
「はっ?」
「貴方、処女ですよね」
「………っ!?」
瞬間、絶句して硬直した紅琳は、筆を膝の上に落としてしまった。
「突然、何てことを言うんだ!? あんた、また変な呪いでも掛けられたのか?」
おかげで、お気に入りの着物に、墨染みが出来てしまったではないか。
ぎこちなく振り返ると、皇帝しか身に着けることが出来ない、濃紫色の衣を堂々纏った華月が、むくれ顔で紅琳を見下ろしていた。
「私は、いたって正常で問題ありません。ついでに、人払いは徹底していますから。今の会話は、私と貴方しか知り得ません」
「いや、そういう問題ではなくて」
赤面を隠すように、紅琳は下を向くが、華月はお構いなしだった。
「貴方が男慣れしていないことは、分かっていました。触れようとすると、避けたり、ぎこちなかったり……。私がそういった話をすると、貴方は顔を真っ赤にして目を逸らす。今のように……ね」
「試していたのか、私を?」
「いや、まさか。ただ触れたいという欲望の中に、照れる貴方を見てみたいという探究心があっただけです」
凄まじく言葉を装飾しているが、要するに紅琳の反応を「試していた」のだろう。
六歳も年下の甥っ子に対して、情けない話だった。
「しかし、そんなこと暴いて、一体」
「……だから、沙藩王と貴方の婚姻は、契約だったのでしょう?」
「えっ?」
「貴方は妃とはいえ、名ばかりで、沙藩王と「夫婦」ではなかった」
そして、その場にしゃがんだ華月は、紅琳としっかり目線を合わせた。
「契約条件は何だったのです?」
「何で、そんなことまで、分かったんだ?」
「分かりますって。貴方は私の妃なんですから」
自信満々に妃の部分を強調されると、何とも複雑な気分だった。
(どうせ、嘘を吐いたところで、墓穴を掘るだけだ)
だったら、白状するしかない。