◇◇
久しぶりに、朝儀に玉榮が出席するという報告を受けて、紅琳も華月も臨戦態勢で待ち構えていた。
………今日、決着をつける。
二人で、そう決めていたのだ。
「これだけ待ち望んでいるのに、朝儀を遅刻とは。良い身分ですよね。玉榮の奴。今日はやっぱり来ないんじゃ……」
「来るさ。私が死にかけているなんて、奴にとっては、またとない好機だからな」
朝堂の一等高い所に設けられた緋色の玉座。
玉座に腰を掛けている男姿の華月の隣に、袍衫姿に男装した紅琳が侍っていた。
眼下では、玉榮子飼いの大臣がどうでも良い議題を取り上げて、延々と話しているが、耳を傾ける意味がないので、無視している。
(御簾、用意して貰って良かった)
華月が何らかの事故で、女身化した時の為に、用意させた玉座を覆う「御簾」が良い成果を発揮していた。
二人の姿も隠れるし、雑談していることだって、小声だったら、誰にも気づかれないだろう。
「でも、やっとここまで来た」
「やっと……って。あんたのせいで、ここまで遅れたんだからな」
「私の?」
やはり、無自覚らしい。
今まで多忙だったので、遠慮していたが、紅琳は華月に一度言っておきたいことがあった。
「本当はもっと早く決着をつける予定だったんだ。それが……華月が私を皇后なんかにしたから」
「何がいけないのですか?」
ここまで言っても、分からないらしい。
「悪いに決まってるだろう。誰が皇后にして欲しいなんて、頼んだ? 私は多少、高位でないと、玉榮と張り合えないって話しただけだ」
「何にしても、私の中での妃は貴方だけなんですから、皇后で良いと思います」
「やめてくれ。あんたは知らないだろうが、玉榮だけじゃなく、他の妃達にまで、いらぬ顰蹙を買って、面倒なんだからな」
「今更、降格なんて出来ません。だから、誰にも言い返せないくらい、私が貴方に夢中なのだと、皆に知らしめてやれば良いものを。どうして、貴方は、私が近寄ると逃げるのですか?」
「当たり前だ」
「なぜ?」
「本能的な危機感だ。悪いか?」
「……陛下」
囁き声で言い合っていると、華月の腹心が咳払いをした。
視線で、華月に「前を見ろ」と訴えている。
大勢の官の間を縫って、前方にやって来る豪奢な冠を被った中性的な男。
――玉榮が、姿を見せたのだ。
「来ましたね」
「ああ」
今まで睨み合っていた紅琳と華月は、笑顔で頷き合った。
「久しいな。玉榮。待っていた」
華月が、玉座から立ち上がる。
この時の為に細心の注意を払って、男の姿を維持して来たのだ。
皇帝・慶果としての華月は、紅琳が威圧されるくらい、覇気に溢れている。
冕服がよく似合っていた。
正直、何も知らずに正装姿の華月に出会っていたら、紅琳は反射的に跪いていただろう。
「陛下。まだ朝儀の途中ですが?」
「私は、お前に会いたかったと告げたはずだが?」
「はっ」
反論を許さない気迫に、玉榮も渋々叩頭した。
(玉榮の奴、皇帝が瀕死の妃を想って、腑抜け状態に陥っていると思い込んでいたな)
美貌を歪めながら、玉榮はぎこちなく挨拶を続けた。
「ここのところは、陛下におかれましても、お加減が宜しいようで、何よりです」
「ああ、妃のおかげだ。彼女がいると、力が漲って来るのだ」
華月がにやけているが、それは二人の脚本にはない言葉だ。
(……華月)
案の定、玉榮が食いついてきた。
「ああ、お妃様といえば、先般、倒れられたと聞きましたが、ご容態は如何でございますか?」
一瞬、ざわっと、朝儀の間がどよめいた。
玉榮の一言は、この場に集った者にとって、寝耳に水に違いなかった。
何しろ、紅琳が臥せているという話は、玉榮にしか伝わらないようにしていたのだから。
周囲の反応を堪能しながら、華月はしれっと答えた。
「妃は快方に向かっているが、まだ安心はできない状況だ。しかも、彼女の侍女まで、体調を崩してしまってな」
「何たることでしょう。私に出来ることがあれば、お申し付け下さい」
「本当にそう思っているか? 玉榮」
「陛下?」
「実はな、我が妃を呪術師に診せたところ、彼女とその侍女共に、妖術が仕掛けられていると言われたのだ」
少し大仰な芝居だったが、玉榮には効いたみたいだった。
ぎょろりと大きな目を剥いて、玉榮は黙り込んでしまう。
この間隙を逃すまいと、華月は早口で捲し立てた。
「信じ難いことに、呪術師は犯人が「お前」だと言うのだ。しかも、お前は人ではないなどと、荒唐無稽なことを……」
「一体、何を?」
「済まない。玉榮。私はお前の忠義を信じているが、呪術師が「試しに」と、符を置いていった。お前に、その符を触れさせてみれば、本性を現すと……」
玉榮の前に、そそくさと華月の臣が符を差し出した。
「人であるのなら、ただの紙だ。妃を安心させる為に、一つ触ってみてくれないか。玉榮」
――さて。
(どうする、化け物?)
久しぶりに、朝儀に玉榮が出席するという報告を受けて、紅琳も華月も臨戦態勢で待ち構えていた。
………今日、決着をつける。
二人で、そう決めていたのだ。
「これだけ待ち望んでいるのに、朝儀を遅刻とは。良い身分ですよね。玉榮の奴。今日はやっぱり来ないんじゃ……」
「来るさ。私が死にかけているなんて、奴にとっては、またとない好機だからな」
朝堂の一等高い所に設けられた緋色の玉座。
玉座に腰を掛けている男姿の華月の隣に、袍衫姿に男装した紅琳が侍っていた。
眼下では、玉榮子飼いの大臣がどうでも良い議題を取り上げて、延々と話しているが、耳を傾ける意味がないので、無視している。
(御簾、用意して貰って良かった)
華月が何らかの事故で、女身化した時の為に、用意させた玉座を覆う「御簾」が良い成果を発揮していた。
二人の姿も隠れるし、雑談していることだって、小声だったら、誰にも気づかれないだろう。
「でも、やっとここまで来た」
「やっと……って。あんたのせいで、ここまで遅れたんだからな」
「私の?」
やはり、無自覚らしい。
今まで多忙だったので、遠慮していたが、紅琳は華月に一度言っておきたいことがあった。
「本当はもっと早く決着をつける予定だったんだ。それが……華月が私を皇后なんかにしたから」
「何がいけないのですか?」
ここまで言っても、分からないらしい。
「悪いに決まってるだろう。誰が皇后にして欲しいなんて、頼んだ? 私は多少、高位でないと、玉榮と張り合えないって話しただけだ」
「何にしても、私の中での妃は貴方だけなんですから、皇后で良いと思います」
「やめてくれ。あんたは知らないだろうが、玉榮だけじゃなく、他の妃達にまで、いらぬ顰蹙を買って、面倒なんだからな」
「今更、降格なんて出来ません。だから、誰にも言い返せないくらい、私が貴方に夢中なのだと、皆に知らしめてやれば良いものを。どうして、貴方は、私が近寄ると逃げるのですか?」
「当たり前だ」
「なぜ?」
「本能的な危機感だ。悪いか?」
「……陛下」
囁き声で言い合っていると、華月の腹心が咳払いをした。
視線で、華月に「前を見ろ」と訴えている。
大勢の官の間を縫って、前方にやって来る豪奢な冠を被った中性的な男。
――玉榮が、姿を見せたのだ。
「来ましたね」
「ああ」
今まで睨み合っていた紅琳と華月は、笑顔で頷き合った。
「久しいな。玉榮。待っていた」
華月が、玉座から立ち上がる。
この時の為に細心の注意を払って、男の姿を維持して来たのだ。
皇帝・慶果としての華月は、紅琳が威圧されるくらい、覇気に溢れている。
冕服がよく似合っていた。
正直、何も知らずに正装姿の華月に出会っていたら、紅琳は反射的に跪いていただろう。
「陛下。まだ朝儀の途中ですが?」
「私は、お前に会いたかったと告げたはずだが?」
「はっ」
反論を許さない気迫に、玉榮も渋々叩頭した。
(玉榮の奴、皇帝が瀕死の妃を想って、腑抜け状態に陥っていると思い込んでいたな)
美貌を歪めながら、玉榮はぎこちなく挨拶を続けた。
「ここのところは、陛下におかれましても、お加減が宜しいようで、何よりです」
「ああ、妃のおかげだ。彼女がいると、力が漲って来るのだ」
華月がにやけているが、それは二人の脚本にはない言葉だ。
(……華月)
案の定、玉榮が食いついてきた。
「ああ、お妃様といえば、先般、倒れられたと聞きましたが、ご容態は如何でございますか?」
一瞬、ざわっと、朝儀の間がどよめいた。
玉榮の一言は、この場に集った者にとって、寝耳に水に違いなかった。
何しろ、紅琳が臥せているという話は、玉榮にしか伝わらないようにしていたのだから。
周囲の反応を堪能しながら、華月はしれっと答えた。
「妃は快方に向かっているが、まだ安心はできない状況だ。しかも、彼女の侍女まで、体調を崩してしまってな」
「何たることでしょう。私に出来ることがあれば、お申し付け下さい」
「本当にそう思っているか? 玉榮」
「陛下?」
「実はな、我が妃を呪術師に診せたところ、彼女とその侍女共に、妖術が仕掛けられていると言われたのだ」
少し大仰な芝居だったが、玉榮には効いたみたいだった。
ぎょろりと大きな目を剥いて、玉榮は黙り込んでしまう。
この間隙を逃すまいと、華月は早口で捲し立てた。
「信じ難いことに、呪術師は犯人が「お前」だと言うのだ。しかも、お前は人ではないなどと、荒唐無稽なことを……」
「一体、何を?」
「済まない。玉榮。私はお前の忠義を信じているが、呪術師が「試しに」と、符を置いていった。お前に、その符を触れさせてみれば、本性を現すと……」
玉榮の前に、そそくさと華月の臣が符を差し出した。
「人であるのなら、ただの紙だ。妃を安心させる為に、一つ触ってみてくれないか。玉榮」
――さて。
(どうする、化け物?)