「本当に懐かしいな……」
俺は開け放たれた校門を通過し、下駄箱にやって来た。教室は確か南校舎の三階だ。
幸い今いる場所が南校舎なので、そのまま階段を登っていく。
ここは俺と真姫が過去をやり直せるように特別に作られた空間なのだろう。別の軸の別の過去。それでも俺と真姫が関係する部分だけは本物だ。ここでの結果が現実に反映されるに違いない。
ここで真姫が自分を助けるという選択を当時の俺にさせなければ、まだ幼い泣き叫ぶ俺の願いを星の使徒に無視させれば、真姫という人間の時間はこの夏の教室で途絶えることになる。
そして彼女の命を代償に世界は回る……頭では分かっている。それが正しいのだろう。人類を存続させるには、真姫が死ぬしかない。だけど俺は見ず知らずの数千、数万の命よりも、見知ったたった一人を選ぶ。
俺はヒーローではない。映画の主人公でもなければ善人でもない。
小汚い欲にまみれた人間だ。
だから俺は俺のエゴを押し通す。
「だから早まるなよ!」
俺は自然と階段を駆け上がる。息が切れ、熱くも寒くもない無機質な空気が肺を満たしていく。真姫の自殺を止める。それ以外どうでもいい。
速度を落とさず三階まで登り切った俺は、廊下の一番奥。突き当たりの教室の前で立ち尽くす人影に声をかける。
「真姫! 戻ってこい!」
俺はそう叫ぶ。目一杯叫ぶ。
真姫と呼ばれた人影は、ゆっくりと振り返る。
廊下の窓から差し込む斜陽が、恐ろしく整った彼女の顔を照らす。
その顔は泣いているのか笑っているのか分からない。表情から感情が読めない。
「暮人? どうやってここに?」
真姫は俺の名を口にする。
「どうやってって……たぶん真姫と同じ手段だぜ?」
俺はあえて軽い口調で話しながら、廊下を進んでいく。焦る内心とは裏腹に、彼女を刺激しないように、普通の速度で近づいていく。方法は違えど、彼女は自殺を試みようとしている人間だ。駆け寄ったりして、プレッシャーを与えるべきではない。
「そう……あの星の使徒。絶対邪魔が入らないようにしてって言ったのに」
真姫はうつむきながら答える。
「アイツからしたら、俺は邪魔だと思わなかったんじゃないか?」
俺は冗談めかしてさらに距離を詰める。
そこまで近づいて、真姫が片手を俺に向けた。
「止まって。私の話を聞いて?」
「ああ。そのつもりだ」
俺は彼女の要求通りに止まる。ここは従うしかない。それに、ここで過去を払拭できなければ、仮にこの場を上手く収めても意味がない。あの星の使徒がいる限り、真姫が望めば再びこの空間を作り出すだろう。
「私ね、ずっと辛かったの」
真姫はゆっくりと話し始めた。
「この半年間、暮人から本当のことを聞かされた時から、ずっと辛かった。表情には出さないようにしていたけど、やっぱり辛かった。この半年間で、ドンドン状況が悪くなっていって、崩壊病で亡くなる人も少しづつ増えていって……自分達の周囲の人達も死んでいって……暮人は私の存在を肯定してくれたけど、やっぱり心のどこかでこう思うの『私は生きてて良いのかな?』って……それがこの半年間ずっと私の頭の中をグルグルしてるの」
真姫はただただ真っすぐに俺を見据えて語る。彼女の言葉が発せられるたびに、空間が共鳴するかのようによじれる。
「暮人も星の使徒に聞いたかもしれないけど、私って生きているだけで星の寿命を無駄に吸い続けるみたい。そんなのが今地球上に数人……それじゃあ星の寿命が足りなくなっても不思議じゃないよね?」
やっぱり真姫も星の使徒に俺と同じ質問をしたのだろうか? それとも星の使徒が自ら説明した? どちらにせよ、ただでさえ罪悪感で死のうとしている真姫が、そんなことまで聞いてしまったらこうなるのは目に見えていただろう。それがあの星の使徒の狙いか? 選択権を俺達に委ねるということは、責任を取りたくないということだ。自ら手を下したくないという感情だ。全く持って無責任な星の”使い”だ。
「だから私は星の使徒にお願いしたの。この場所に連れていって欲しいって。たぶん暮人も見てきたと思うけど、懐かしい景色だったよね? ここまでの道のり。今はなくなってしまった商店街や公園、憶えてる? 私達何度も遊んでたんだよ?」
語り続ける真姫は、しかし途中から涙声に変わる。
勿論憶えている。忘れもしない。あの公園、あの商店街。子どもの頃に真姫とよく通っていた場所だ。
「その風景を見ていたら、ちょっとずつ私の決心が崩れていった。死のうと思ってここに来たのに、私はまだまだ生きたいと願ってしまった。あの公園や商店街を見ていたら、頭に子供の頃の暮人の顔と、今の暮人の顔が両方浮かんで……ずっと君の隣にいたいと思ってしまった……どう? 私って身勝手でしょ?」
真姫は、そう自嘲する。泣きながら笑う。自分の我儘さ加減に笑う。
でも……どこが我儘だろうか?
「そんなことない! 人が生きたいと願うのは当然の願望だ! 誰もそれを奪うことは許されないし、笑う権利もない!」
俺は、もっと気の効いた言い回しは無かったのかと後悔しながら、思ったことをそのままストレートにぶつける。
「それに何度も言うが、真姫を選んだのは俺だ! 勝手に加害者面するな! 世界に対して、人類に対して加害者なのは俺だ! 俺一人だ! あの時、俺の我儘で真姫と一緒にいたいと星の使徒に願った。責められるべきは俺なんだ」
そう。真姫が思い悩むことなどありはしない。それは俺の役目だ。俺への罰だ。だから真姫にはいつまでも俺の隣で笑っていて欲しかった。
「暮人……こっちに来て? こっちに来て中を覗いて? そこからじゃ聞こえないかもしれないけど、ずっと中で泣いてるの。まだ幼い暮人が泣いてるの」
真姫は俺の言葉を飲み込むと俺を手招く。俺は真姫に言われた通り、ゆっくりとした足取りで歩を進める。
真姫まで後数メートルといったところで、俺の耳に泣き声が聞こえてきた。酷く聞き覚えのある……いや、発した覚えのある声だ。この声は間違いなく俺だ。まだ八歳だった俺の泣き声だ。それが真姫の目の前の教室からここまで漏れている。
「でもこれって……」
俺は不思議に思いながら、真姫の隣まで移動する。
俺の記憶では、確かに泣いていたのは憶えているのだが、こんなに長いこと泣いていただろうか? 真姫が「ずっと泣いてる」と言っていたのを考えると、本当にずっと泣き続けていることになる。
「見てみて」
真姫はうっすらと涙を流しながら俺を促す。
彼女に促されるがまま教室の窓からそっと中を覗くと、俺の全身に鳥肌が立つ。身震いする。目を見開く。
「ああ、そうだ。これだ。この風景だ……」
俺は一人、誰に言うでもなく口にする。
それは窓から夕日が差し込む教室。真姫がぐったりとして机に体を預け、どうしたらいいか分からなくて、途方に暮れて泣き続けている俺。そうだ。この景色だ。
俺は今まで以上に鮮明に思い出す。今思い返せば、確かに異常だった。教室が歪んでいたようにも思える。とにかくいつもの教室では無かったことは記憶している。そんな過去の記憶と照らし合わせながら、目の前の幼い俺達を見る。
何もかもが分からない状況で、俺は泣き続けていた。
その泣き声は悲痛で、苦悩に満ち溢れていた。こうして客観的にみると、どうにかしてあげたくなる必死さだ。
「私はここに来る途中でさえ決心が揺らいでいたけど、それでも死のうと考えていたのよ?」
俺と同じく隣で教室内を眺める真姫が語りだした。
俺は開け放たれた校門を通過し、下駄箱にやって来た。教室は確か南校舎の三階だ。
幸い今いる場所が南校舎なので、そのまま階段を登っていく。
ここは俺と真姫が過去をやり直せるように特別に作られた空間なのだろう。別の軸の別の過去。それでも俺と真姫が関係する部分だけは本物だ。ここでの結果が現実に反映されるに違いない。
ここで真姫が自分を助けるという選択を当時の俺にさせなければ、まだ幼い泣き叫ぶ俺の願いを星の使徒に無視させれば、真姫という人間の時間はこの夏の教室で途絶えることになる。
そして彼女の命を代償に世界は回る……頭では分かっている。それが正しいのだろう。人類を存続させるには、真姫が死ぬしかない。だけど俺は見ず知らずの数千、数万の命よりも、見知ったたった一人を選ぶ。
俺はヒーローではない。映画の主人公でもなければ善人でもない。
小汚い欲にまみれた人間だ。
だから俺は俺のエゴを押し通す。
「だから早まるなよ!」
俺は自然と階段を駆け上がる。息が切れ、熱くも寒くもない無機質な空気が肺を満たしていく。真姫の自殺を止める。それ以外どうでもいい。
速度を落とさず三階まで登り切った俺は、廊下の一番奥。突き当たりの教室の前で立ち尽くす人影に声をかける。
「真姫! 戻ってこい!」
俺はそう叫ぶ。目一杯叫ぶ。
真姫と呼ばれた人影は、ゆっくりと振り返る。
廊下の窓から差し込む斜陽が、恐ろしく整った彼女の顔を照らす。
その顔は泣いているのか笑っているのか分からない。表情から感情が読めない。
「暮人? どうやってここに?」
真姫は俺の名を口にする。
「どうやってって……たぶん真姫と同じ手段だぜ?」
俺はあえて軽い口調で話しながら、廊下を進んでいく。焦る内心とは裏腹に、彼女を刺激しないように、普通の速度で近づいていく。方法は違えど、彼女は自殺を試みようとしている人間だ。駆け寄ったりして、プレッシャーを与えるべきではない。
「そう……あの星の使徒。絶対邪魔が入らないようにしてって言ったのに」
真姫はうつむきながら答える。
「アイツからしたら、俺は邪魔だと思わなかったんじゃないか?」
俺は冗談めかしてさらに距離を詰める。
そこまで近づいて、真姫が片手を俺に向けた。
「止まって。私の話を聞いて?」
「ああ。そのつもりだ」
俺は彼女の要求通りに止まる。ここは従うしかない。それに、ここで過去を払拭できなければ、仮にこの場を上手く収めても意味がない。あの星の使徒がいる限り、真姫が望めば再びこの空間を作り出すだろう。
「私ね、ずっと辛かったの」
真姫はゆっくりと話し始めた。
「この半年間、暮人から本当のことを聞かされた時から、ずっと辛かった。表情には出さないようにしていたけど、やっぱり辛かった。この半年間で、ドンドン状況が悪くなっていって、崩壊病で亡くなる人も少しづつ増えていって……自分達の周囲の人達も死んでいって……暮人は私の存在を肯定してくれたけど、やっぱり心のどこかでこう思うの『私は生きてて良いのかな?』って……それがこの半年間ずっと私の頭の中をグルグルしてるの」
真姫はただただ真っすぐに俺を見据えて語る。彼女の言葉が発せられるたびに、空間が共鳴するかのようによじれる。
「暮人も星の使徒に聞いたかもしれないけど、私って生きているだけで星の寿命を無駄に吸い続けるみたい。そんなのが今地球上に数人……それじゃあ星の寿命が足りなくなっても不思議じゃないよね?」
やっぱり真姫も星の使徒に俺と同じ質問をしたのだろうか? それとも星の使徒が自ら説明した? どちらにせよ、ただでさえ罪悪感で死のうとしている真姫が、そんなことまで聞いてしまったらこうなるのは目に見えていただろう。それがあの星の使徒の狙いか? 選択権を俺達に委ねるということは、責任を取りたくないということだ。自ら手を下したくないという感情だ。全く持って無責任な星の”使い”だ。
「だから私は星の使徒にお願いしたの。この場所に連れていって欲しいって。たぶん暮人も見てきたと思うけど、懐かしい景色だったよね? ここまでの道のり。今はなくなってしまった商店街や公園、憶えてる? 私達何度も遊んでたんだよ?」
語り続ける真姫は、しかし途中から涙声に変わる。
勿論憶えている。忘れもしない。あの公園、あの商店街。子どもの頃に真姫とよく通っていた場所だ。
「その風景を見ていたら、ちょっとずつ私の決心が崩れていった。死のうと思ってここに来たのに、私はまだまだ生きたいと願ってしまった。あの公園や商店街を見ていたら、頭に子供の頃の暮人の顔と、今の暮人の顔が両方浮かんで……ずっと君の隣にいたいと思ってしまった……どう? 私って身勝手でしょ?」
真姫は、そう自嘲する。泣きながら笑う。自分の我儘さ加減に笑う。
でも……どこが我儘だろうか?
「そんなことない! 人が生きたいと願うのは当然の願望だ! 誰もそれを奪うことは許されないし、笑う権利もない!」
俺は、もっと気の効いた言い回しは無かったのかと後悔しながら、思ったことをそのままストレートにぶつける。
「それに何度も言うが、真姫を選んだのは俺だ! 勝手に加害者面するな! 世界に対して、人類に対して加害者なのは俺だ! 俺一人だ! あの時、俺の我儘で真姫と一緒にいたいと星の使徒に願った。責められるべきは俺なんだ」
そう。真姫が思い悩むことなどありはしない。それは俺の役目だ。俺への罰だ。だから真姫にはいつまでも俺の隣で笑っていて欲しかった。
「暮人……こっちに来て? こっちに来て中を覗いて? そこからじゃ聞こえないかもしれないけど、ずっと中で泣いてるの。まだ幼い暮人が泣いてるの」
真姫は俺の言葉を飲み込むと俺を手招く。俺は真姫に言われた通り、ゆっくりとした足取りで歩を進める。
真姫まで後数メートルといったところで、俺の耳に泣き声が聞こえてきた。酷く聞き覚えのある……いや、発した覚えのある声だ。この声は間違いなく俺だ。まだ八歳だった俺の泣き声だ。それが真姫の目の前の教室からここまで漏れている。
「でもこれって……」
俺は不思議に思いながら、真姫の隣まで移動する。
俺の記憶では、確かに泣いていたのは憶えているのだが、こんなに長いこと泣いていただろうか? 真姫が「ずっと泣いてる」と言っていたのを考えると、本当にずっと泣き続けていることになる。
「見てみて」
真姫はうっすらと涙を流しながら俺を促す。
彼女に促されるがまま教室の窓からそっと中を覗くと、俺の全身に鳥肌が立つ。身震いする。目を見開く。
「ああ、そうだ。これだ。この風景だ……」
俺は一人、誰に言うでもなく口にする。
それは窓から夕日が差し込む教室。真姫がぐったりとして机に体を預け、どうしたらいいか分からなくて、途方に暮れて泣き続けている俺。そうだ。この景色だ。
俺は今まで以上に鮮明に思い出す。今思い返せば、確かに異常だった。教室が歪んでいたようにも思える。とにかくいつもの教室では無かったことは記憶している。そんな過去の記憶と照らし合わせながら、目の前の幼い俺達を見る。
何もかもが分からない状況で、俺は泣き続けていた。
その泣き声は悲痛で、苦悩に満ち溢れていた。こうして客観的にみると、どうにかしてあげたくなる必死さだ。
「私はここに来る途中でさえ決心が揺らいでいたけど、それでも死のうと考えていたのよ?」
俺と同じく隣で教室内を眺める真姫が語りだした。