「もうすぐ学校に着くからね。降りる準備をしておいてよ」

『はーい』

 2人揃ってタイミングよく返事をする私たち。あまりにもピッタリすぎて思わず笑ってしまう。

「本当にあんたたちは仲がいいわね」

「そりゃそうですよ。何年一緒にいると思ってるんですか」

「羨ましいね。これからも希空のことをよろしくね、未來ちゃん・・・」

 母の言う「よろしく」とはどんな意味なのだろうか。私はあと1年も生きることができないのに、母はそれを疑っているみたいだ。

 私はこの先も生き続けると信じているみたいに。

 そんなことは絶対にあり得ないことだとわかっているのに、信じて疑わないのは私の母親だからに違いない。

 だから、そんな前向きな言葉を言われるたびに私の胸は締め付けられる。

 私はあと1年以上生きられるとは、微塵も思ってはいないのだから。

 奇跡なんてものは存在しない。むしろ期待するだけ無駄なんだ。

 日光乾皮症だと診断されたあの日から、私は不思議と自分の死を受け入れてしまったのかもしれない。

「はい! これから先もずっっっと一緒です! そうだよね、希空?」

 私に向けられるその笑顔が、喜びよりも虚しさが優ってしまうのはどうしてなんだろう?

 母や未來が私は生きると信じているのに、その期待に応えようとしない私は最低なやつだ。

「う、うん。そうだね」

 無理やり口角を上に上げ、引き攣った笑顔を作り出す。 

 ぐちゃぐちゃに入り乱れた感情が、顔に映し出されていそうで怖い。

「さ、2人ともついたわよ。気をつけていってらっしゃい!」

「いってきます!」

「いってきます・・・」

 未來と同じ言葉のはずなのに、言葉に込められた気持ちが全く違く感じる。

 先に未來が車から降りて、日傘を準備する。車に乗る時と同様に、降りる時も油断ならない。

 日差しを遮る大きな真っ黒な傘。人を2人分覆い尽くせるほどの大きさ。

 車から降りると同時に肌に伝わってくる、もわっとした空気の塊。

 私だけが日傘に隠れるように、2人並んで歩き始める。

 遠くに見える景色が、暑さのせいか歪んで見える。『かげろう』という現象らしい。

 私たちを通り越していく生徒たちの首筋には、汗が垂れるように流れている。

 みんなの格好は、腕を曝け出した半袖の制服スタイル。去年までは、自分もあの半袖を着ていたんだと思うと名残惜しい。

 隣を歩く、未來は私のためを思ってなのか夏で暑いにもかかわらず、長袖を着用している。

 彼女の優しさが、嬉しい反面申し訳ない気持ちになってしまう。

 私がいることで、彼女の行動を制限してしまっているのではと...

「ねぇ、希空」

「ん?」

「夏休みになったらさ、遊ぼうよ!」

「いいよ。何かしたいことでもあるの?」

「んー、これと言ってはないけど。私たちが存分に遊べる夏は今年が最後じゃん?」

 彼女の言う『最後』とはどういった想いを含めての『最後』なのだろうか。

 私の最後の夏...いいや、未來の言う最後の夏は、きっと来年から私たちは高校3年生になるので、目一杯遊べる夏は今年で最後という意味。

 こんな些細なことで、悲観的になってしまう自分にうんざりする。こうなってしまったのも全部病気のせいなのに...

「未來と遊べるなら、私はなんでもいいよ」

 悲しみを孕んだ私の言葉に彼女は、気づいているのだろうか。もし、気づいているのに明るく接してくれているのなら本当に申し訳ない。

「もう、本当に希空は可愛いんだから〜! 私も希空さえいれば、なんでも楽しいよ」

 うん。多分気づいてはいないに違いない。この底抜けの明るさのおかげで、私は何度も助けられてきた。

 病気になる前からもずっと未來には、感謝しきれないほどの恩がある。