瞳にぼやけて映る白い世界は、時間が経つにつれて薄れていく。
 ――これは、天井?

 私の視界に広がるものは白い天井だった。頭を左右にゆっくり動かすと、飾り付けも何もない白い壁が広がっていた。

 深く深呼吸をすると鼻に残るのは独特な匂い。
 ここは、病院?

 回らない頭でゆっくり考えた。
 なんで、病院のベッドで寝てるんだろう。
 全身痛みが強くて動かせない。

 そうだ、女の子を助けようと道路に飛び出して……。
 それから……その後の記憶がない。
 あれ、思い出したいはずなのに、なにも思い出せない。

 目が覚めた後、駆けつけた母は私を見るなり、泣き叫んだ。起き上がれない身体に抱き着かれて、痛みが走り、身体のあちこちが悲鳴を上げた。

 その後、主治医の先生から、入院の経緯を説明してもらった。女の子を守って車に轢かれた私は、7日間眠り続けて目を覚まさなかったらしい。

 7日ぶりに目を覚ましたのでお母さんは、喜びながらも泣き崩れていた。
 その後はたくさんの検査をした。リハビリも並行で行い、先生も驚く回復力を見せた。

 7日間、目を覚まさなかった私は数週間の入院生活を余儀なくされた。
 二週間後、今日の検査で異常が見つからなければ晴れて退院となる予定だ。



 ――コンコン。静まり返る病室にドアがノックされる音が響く。ドアがゆっくりと開いて「やっと、見つけた」現れた人はそう呟いた。

 

「早川未蘭さんですよね? この度はうちの子を助けていただいて本当にありがとうございました。意識が戻るまで警察の方から面会できないといわれたので……やっとお会いできて嬉しいです。なんとお礼を言っていいか……」


 頭を何度も低く下げながら、お礼を繰り返す人たちは、私が助けた女の子とそのご両親だった。

「そ、そんな、頭をあげてください!」

「……お姉さん、助けてくれて、ありがとうっございます」

 瞳が揺らしながら弱々しい声からは申し訳なさが伝わってくるようだった。

「あなたが無事でよかったよ。怪我はなかった?」

「……は、っはい。私のせいで、ごめんなさい」

 私が助けた女の子もしっかり目を見てお礼を伝えてくれた。声を少し震わせて、服の袖をぎゅっと握りながら言葉を発する女の子は、精一杯伝えてくれているのがわかる。


 その後も、何度も何度もお礼を言うご両親をなだめるのに時間がかかった。こんなに感謝されることは人生で、もうなさそうだ。そのくらい感謝をしてもらった。

 検査の結果、どこにも異常は見当たらず、無事に退院できることとなった。車に轢かれたのに、命に別状はなくて先生たちも驚いていた。

 退院した私は「あと数日は学校休みなさい」と言う心配性のお母さんの言われるがまま、学校にはまだ登校していなかった。

 退院後、数日学校を休んで来週から学校へ行く予定だ。

 気分転換にいつもと違うスーパーにお母さんと買い物に来ていた。空は思わず見入ってしまうほど綺麗な夕焼けが広がっていた。

「買い忘れちゃった! 未蘭、もう一回スーパーに戻っていい?」

「えー、仕方ないなあ」


 再びスーパーへと向かう。お母さんとしばらく歩いていると、少し先に公園が見えてきた。どくん、と心臓が跳ねた。吸い寄せられるようにその公園から目が離せない。
 

「……ねえ、あの公園で待ってていい?」

「え、でも、危なくないかしら?」

「もう、ママは心配しすぎ! なにかあったら、この防犯ベルを鳴らすから大丈夫だって」

 まだ納得しないような顔で考えているお母さん。私が事故に遭ってから、過敏に心配性になってしまった「もう高校生なのにな」自然と吐く息も深くなる。

「過干渉はうざいよ……」そう文句を言おうと口を開いたはずなのに、出てきた言葉は違うものだった。



「ママ、パパが死んでから1人で育ててくれて、ありがとう。大好きだよ」

 脈絡のない言葉は自分の意識とは関係なく出てきた言葉だった。「え?」今の状況に全く関係のない感謝の言葉が自分の口から出てきて、私が一番驚いた。意識とは関係なく、勝手に口が動いた。そう表現するのがしっくりくる。

「未蘭、急にどうしたの? ありがとう、なんて言ったことないじゃない」

「あ、うん。自分でも分からないけど……伝えたいな、伝えられるときにありがとうって言いたかったんだ」

「……未蘭、お母さんもごめんね。未蘭が一番大切だから。かけがえのない家族だから。大好きよ」

「あのね、彼氏を作ることは構わない。……だけど、まだ、ママと二人で暮らしていきたい」

 ずっと言えなかった気持ちを、ありったけの勇気と共に言葉に託した。

「うん、ごめん。急ぎ過ぎたみたい。お母さんも、未蘭と二人で暮らしたい」

 言いづらい本音を言った手前、顔を見られない。おそ?おそる俯いていた顔をあげると、笑顔を浮かべた母がいた。
 それは昔からずっと大好きな母の笑顔だ。
 嬉しくてとびつくように抱きついた。小さい子供のように、ぎゅっと抱きしめて、母のぬくもりを感じた。
 
「お母さん、買い物行ってくるから、待ってて。何かあったら防犯ベル鳴らすのよ?」

「うん、大丈夫だから。心配しないで」
 
 理由はわからないけど気になって仕方がない公園へと足が向かっていく。初めてきた公園なのに、来たことがあるような、不思議な感覚に陥る。


 なんだか、見覚えのあるような――。
 初めてのはずなのに。

 まあ、似たような公園なんてどこにでもあるもんね。


 〜♬

 公園に歌が流れている。どこかで聞いたことのあるようなラブソングだった。


「この公園は歌が流れるんかい? 珍しいね」

 耳を澄まして流れる歌に聞き入っていると、犬の散歩をしている老人夫婦に声を掛けられてた。


「この公園は17時に歌が流れるんです。流れる歌は毎月変わるんですよ」

 ――あれ。
 喋っている自分に驚いた。初めてきたはずの公園なのに、すらすらと口から説明が出てきた。
 なんで知ってるんだっけ?
 誰かから聞いたのかな。……誰だっけ。