次に目を開けた時、目の前には真っ白な世界が広がっていた。
見渡す限り真っ白でだいぶ先まで白いもやが掛かっている。目の前に乗用車があって轢かれそうになって……。その後の記憶がない。
自分の身体をくまなく確認するも、どこも怪我はしていなかった。痛みもない。先ほどの車に轢かれる映像が頭に浮かんでくる。さっきのことは夢?……でも、何かがおかしい。やっぱり、さっきの事故で私は死んでしまったのだろうか。
今の状況が全く分からなかったけど、その場にいるのもなんだか怖くて足を前に進めた。ゆっくりと進んでいくとある行列が見えてきた。
「皆さーん。こちらに並んでください」
「死んだ人こちらから」というプラカードを手に持つ男性が声を上げていた。
誰も居ない真っ白な世界が怖くて仕方なかったので、人がいたことに安心して緊張が緩む。状況を聞きたくて小走りで駆け寄った。
「あ、あのっ! ここって……」
「今きたばかりの人?」
「はい……ここはどこですか? 家に帰りたいんですけど……」
「あー、無理ですよ? ここにいるって事は死んでますから」
プラカードを持つ男は淡々と事務的な口調で答えた。
「この先で、天国行きと地獄行きに選別するので、こちらに並んでください」
あまりにも淡々と話すので、私の感情が追いついてこない。
「死んでる」その言葉は現実的に聞こえなかった。いや、信じたくなくて心が考えることを拒絶しているのかもしれない。
行列に並んでいる人をみつめた。ご老人や若い男性、そしてまだ小さな子供まで。様々な年齢の人が並んでいた。年齢はバラバラだが、共通点が一つだけあった。みんなの顔は俯き表情は暗く、覇気が感じられない。
頭の中で蘇る車が迫ってくる映像が鮮明に浮かび上がる。そして、現実離れした今の状況を踏まえて考えると、どうやら私が死んだことは確定らしい。
認めたくはないが、ここは死後の世界のようだ。
頭で理解すると目の奥が熱くなる。込み上げてくる涙が溢れないように、ぎゅっと唇を噛み締めて泣くのを我慢した。
ここで泣き叫ぶのも違う気がしたので、誘導されるがまま行列に並ぶことにした。
行列はどんどん前に進んでいく。これから私は天国行きか地獄行きかに分けられるようだ。
こんな状況なのに取り乱すことはなく。死んだことを冷静に受け入れられている自分に驚いた。
あの子は無事だったのかな?
死んでしまった自分のことよりも、道路に飛び出た少女のことが気がかりだ。
行列の先には大きな扉がみえる。大きな扉の前にはスーツを着た男性が立っていた。
「はい、君は天国」
「はい、君は天国」
「はい、君は地獄。ご愁傷様」
大きな扉の前にいる男性が天国か地獄かを判別しているようだ。並んでいる人達に事務的に淡々と告げていく。
男性に判別を言い渡された人は、その先の大きな扉を開けて中にスッと入って消えていく。
あの大きな扉の先は、天国か地獄か――。
私、邪魔者だったけど、天国に行けるかな……?
特に悪いことをした事ないから大丈夫かな?
さっきまでは冷静でいられたのに、ドキドキと心臓の鼓動が早くなる。
怖くて足が小刻みに震え出した。震える足をなんとか1歩、1歩前に進める。
不安が心を渦巻いてるうちに、判別を言い渡される順番が回ってきた。スーツの男性の前に立つと、余計に心拍数が跳ね上がる。言い渡される言葉を待つ緊張感が全身を駆け巡った。
――天国か、地獄か。
お願い、天国に行きたい。
心の中で祈りながら、目をぎゅっと固く瞑る。暗闇の中降りてきた言葉は、思っていたものと違かった。
「……ん? 君、死亡予定者リストにいないよ?」
死亡予定者リスト?聞き慣れない言葉に、瞑っていた目をぱちっと開けた。
スーツの男性は、言葉に詰まりながら怪訝そうな顔をしている。
「えー、えっと?」
「困るんだよ、君みたいに死亡予定者リストに記載されてないのに、勝手に死なれるとさ……」
「い、いや、私だって、死にたくて死んだわけではないんですよ?」
「……これから死亡手続きするから。はあ、面倒だなあ」
大きなため息を吐きながら、心底嫌そうな表情を浮かべている。
死後の世界にも、死亡手続きとかあるの?
全く状況が飲み込めない。聞きたいことは山ほどあったが、話しかけてはいけないような雰囲気が漂っていたので質問を飲み込んだ。
スーツの男性は考え込むような険しい表情でなにかを操作している。質問する勇気がない私は、仕方なく黙って待つことした。
もう一度ちらりと彼を見ると、現世でいうスマホのような機械でなにか調べているようだった。
「……君、本当に死んでる?」
再び口を開くと、探るような目つきで私を見ている。不可解そうに足の先から頭のてっぺんまで視線で撫でた。
「え、ここは死後の世界ですよね? ここにいるってことは死んでるんじゃ……?」
「そのはずなんだけど……探してもいないんだよなあ」
いない? どういうことだろう。
疑問符が頭の中にたくさん浮かんでくる。と同時に異変が起きた。
――ビービー
警報音のような頭に響く音が鳴り響く。その音は決して耳障りのいい音とは言えず、耳を塞ぎたくなるような音だった。その音を聞いたであろう目の前のスーツの男性は、今まで以上に怪訝そうな視線を私に向ける。その表情が怖くて背筋がぞっとした。
「……君、不法侵入者か?」
不法侵入?理解できない言葉に返事をすることができない。
「まだ死んでねえのに、こっちにくんなよ……! えー、不法侵入者の手続きは……めんどくせえな、いっその事死亡手続きしちまうか……」
独り言のようにぶつぶつと呟いている。今起きていることが理解できてないけれど、いまだに鳴り響く警告と、目の前のスーツの男性の怪訝そうな表情を見ると、私がここにいることが良くないということだけは分かった。
どうしよう。どうすればいいのだろう。
良くないことと分かっていても、この場から動けずどうすることもできない。
「君……ねえ、そこの君、死亡予定者リストにいないの?」
動揺している私の目の前に、今度は違うスーツ姿の男性がひょこっと現れた。目がくりっとしていて、男性だけど可愛さを感じた。歳は同い年くらいに見える。
「……そう、なのかな? 分からないんです」
「ふーん。門番さーん! この子うちで引き取っていい?」
目の前に現れた男性は軽い口調で言葉を投げかけた。ずっと怪訝そうにしていた男はどうやら門番らしい。大きな扉の前で死後の世界に案内するのだから、門番という名前がピッタリだった。
「……引き取るって言っても、そいつ不法侵入者だぞ?」
「わーお、ってことは、現世に戻す手続きするってこと? あの手続き大変なんだよなー」
「……」
「引き渡してくれるなら、面倒な手続きこっちでやっとくけど?」
「あー、まあ、いっか。面倒ごとが減ってよかったよ」
当事者の私はそっちのけで繰り広げられる会話をただ聞いていた。
二人の会話の内容を聞いていると、私の扱いで揉めていることだけは分かる。
話し合いが終わったのか、軽い口調で話すスーツの男がこっちに向かってきた。
「……っということで、僕についてきてくれる?」
「あ、あの! どうしたらいいのか分からないんです。あ、あなたは良い人なんですか? どうしたらいいのか正解が分からなくて……」
私は正直に不安を口に出して伝えることにした。男は一瞬きょとんとすると、すぐに口を開いた。
「ははっ、『良い人ですか?』なんて初めて聞かれたなあ、うーん、難しい質問だけど、あの怪訝そうな対応の門番についていくか、目の前の笑顔の俺についていくか、それは君自身で決めなよ」
目尻を下げて、わざとらしさを感じてしまうくらいの満面の笑みを浮かべている。
もしかすると、この選択が私の人生を決めかねない。そう思うとすぐに決断することができなかった。決めきれない私に彼は言葉を続ける。
「あっちについていってもいいけど、死亡手続きされちゃうけどいいの?」
「え、だって……私死んでるんですよね?」
「死んでないかもしれない」
「……え、じゃあ、元の生活に戻れるんですか?」
「答えが知りたければついてきて?」
ずっと怪訝そう顔をしていた門番さんより、数十秒前に現れた彼を信用したいと思った。その理由は直感でしかない。それに、死んでいないのかもしれない。この場に及んで小さな期待が生まれた。
「あ、あなたについていきます」
「よし、とりあえずついてきて? この場から離れよう」
先を歩く彼に着いていくことにした。後ろを振り返ると、大きな扉と、その前に立つ門番さんが怪訝そうな視線を私に向けている。嫌な感じがしてすぐに前を向き足を進めた。
「君、名前は?」
「……早川未蘭です」
「えーと、早川未蘭ね」
私の名前を復唱しながら、資料らしきものを手に取りじっと眺めている。
「……君、確かに死亡予定者リストにはいないなあ」
「あ、あの、死亡予定者リストってなんですか?」
「名前の通り、死亡予定の人間のリストだよ。このリストを元に俺たち死後の世界の住人が手続きを進めるんだ」
「……へえ、」
「死亡予定者リストにいなくても、稀に死んじゃう人もいるんだけどね……事故で突然死とか、殺されちゃうとか……」
「私、たぶん車に轢かれて……それで……」
私の言葉を聞いて頷きながらも、手元のスマホのような機械で熱心に調べている。
「……少女を助けて、車に轢かれたみたいだね」
車に轢かれた。
やっぱりあの車に轢かれて、それで……。
「どうやら、死んでない……ね」
「え! 死んでないって、まだ生きてるってことですか?」
「死んでない」その言葉に反応して彼に詰め寄った。勢いよく詰め寄ったので、距離が近くなり彼は後ずさりする。
「待って待って! 俺もまだちゃんと把握できてないんだ。期待させといて悪いけど、ここにいるってことは、限りなく死に近いってことは確実だよ?」
「結局、死んじゃうってこと?」
「うーん、死後の世界に迷い込んでしまってるからね……その可能性の方が高いかな?」
淡い期待を抱いてしまったせいで、死を告げられた時よりも、深い絶望感に見舞われる。
「調べるから少し時間をちょうだい。あ、自己紹介してなかったな。俺の名前は柊。よろしくね」
「……宜しくお願いします」
頭が理解するのに追いついてなかったけど、とりあえず軽い会釈をしながら挨拶をした。
「とりあえず……今から行くところは天国でも地獄でもなくて、また別なところなんだ。僕と一緒に来てくれる? これからのこと説明するから」
柊はそう言うと私が返事をする前に、手を引っ張り、いつのまにか現れたエレベーターのような乗り物に足を踏み入れる。一瞬の出来事で、拒否することも拒むことも出来なかった。
突然手を引っ張られて戸惑いつつ、辺り一面真っ暗で何も見えない。視界が視えないのに手を振りほどく勇気なんてあるはずもなく、柊に手を引かれたままだ。
扉が開くと同時に淡い光が差し込む。真っ暗で何も見えない世界に差し込んだ淡い光のおかげで、辺りを確認出来た。
目の前には先程の真っ白な世界とは程遠いテーブルに椅子がズラーッと並べてあり、オフィスのような光景が広がっていた。それはまるで普通の会社のようだった。
「現世のみんなが働くオフィスみたいだろ?」
見透かされたかのように、私の考えていたことをいうので驚いた。
「普通の会社みたいでびっくりした。ここは本当に、死後の世界なのか疑っちゃうくらい」
「ここは、僕ら守護霊代行が働いている事務所です」
「しゅ、守護霊代行? ここで働く? 働くって? 私はどうなるの?」
柊の言っていることが分からないことばかりで、不安な気持ちが押し寄せてきた。気づけば質問責めをしている。焦りが表情に思いっきり出ている私を見て、何が面白いのかハハッと笑いながら話し続ける。
「まず、今の状況を整理したい。死後の世界には『死亡予定者リスト』というものが存在するんだ。リストを確認しながら、門番が天国行か地獄行きかを選別するってわけ」
「……私は死亡予定者リストに載ってなかったんですよね?」
「そう、君のことを調べたけど、まだ確実に死亡はしていない。生死を彷徨っているのかもしれないね」
「そんなことあるんですか?」
「まず、聞いたことないな……。ただ、死後の世界に足を踏み入れてしまったということは、死亡手続きをして、無事に死者となる。あ、死ぬってことね? 手続きが終わったらさっき会った門番に選別されて、天国か地獄にいく……。これが普通の流れだね」
「……」
「死後の世界に迷い込んでしまった君に、ここで提案! 俺らの仕事を手伝ってみない?」
「え! し、仕事って……?」
唐突に「仕事を手伝ってみない?」と言われたら私は、驚きと戸惑いで声が裏返る。分からないことだらけで戸惑う私に、柊は柔らかな微笑みを向けた。そして言葉を放つ。
「僕らの仕事は守護霊代行! ようこそ、守護霊代行の事務所へ」
「……」
柊の声が合図のように、事務所の灯りがパッと灯った。私が柊についてきた選択は正しかったのか、間違いだったのか、この時の私は不安で胸が押しつぶされそうだった。
「そんなに深く考えずに高校生のアルバイトみたいな感覚でさ! どう? やってみない?」
「高校生でもアルバイトを決めるときは深く考えると思いますよ?」
お気楽な口調で、日雇いバイトの話を持ち込むくらい軽い感じで言うので、今の置かれている状況とマッチしなくて、頭が混乱してしまう。
「分かった! 未蘭は結構真面目ちゃんだ!」
「……あの、まだ完全に死んでないなら、早く戻りたいです……」
「まあ、まあ、そう言わずに……人出が足りないんだよ、不法侵入したのも、何かの縁だし、気軽な気持ちで手伝ってよ」
得体の知れない仕事を、気軽な気持ちで手伝おうと思えるメンタルは持ち合わせていない。目の前で両手を合わせてお願いされても、すぐに頷ける申し出ではなかった。一刻も早く元の自分に戻りたい。そう思うほかない。
「死んでないなら……戻れるっていうことですよね?」
「うーん、戻れるかは分からないんだ。死後の世界に不法侵入するって稀だからさ、正直、今後どういう待遇されるか分からないんだよな。その点、守護霊代行の仕事を手伝ってくれたら、安全は保障するよ? 勝手に死亡手続きをされる心配もない!」
この仕事を手伝わなかったら、今後どうなるかは保証出来ず、元の自分に戻れるか分からないってことか。半分脅しのようにも感じる。
「……守護霊代行の仕事って、どんな仕事なんですか?」
「守護霊代行の仕事は、その名の通り、守護霊がいない人を守護霊の代わりに守る仕事だよ」
「守護霊の代わり? 守護霊って、本当にいるんだ……」
生前に守護霊のことは知っていたけれど、本当に存在するのか深く考えたこともなかった。私は霊感がなかったし、幽霊が視えたこともなければ、心霊現象も信じないタイプだった。どちらかといえば、守護霊の存在も都市伝説だと思っていた。
「ほとんどの人に守護霊が憑いていて、その守護霊が災害や危険に遭わないように守ってくれてるんだ」
非科学的な守護霊存在を肯定されると、自分にもいるのかな?と、気になりちらっと後ろを振り向いた。
「あはっ、未蘭にはもう守護霊はいないよ。一応、死後の世界だから」
柊の言葉が、ぐさりと心に突き刺さる。死後の世界。改めて聞くと自分が置かれている立場に背筋が寒くなるようだった。
「話を戻すよ? 守護霊が間違いで除霊されてしまった人や、稀に守護霊が元々いない人もいるんだ。守護霊代行の仕事は、守護霊が憑いていない人を危険から守ること」
「……危険から守る?」
「わかりやすく言うと、道を歩いていたらモノが目の前に落ちてきて、あと1秒早かったら頭に当たってた! なんてヒヤッとした経験はない?」
「あ、ある、かも」
少し考え込んだ後、思い当たる古い記憶がいくつかあった。
「そういう危機から守護霊か守護霊代行が守ってるんだ。小さい危機って身近にたくさんあるから」
「人を助けるのが仕事ってこと?」
「簡単に言うとそうだね」
柊から守護霊代行の説明を聞いて、懐かしい記憶を思い出した。
「子供の頃に、軒下を歩いていたら頭の後ろにつららが落ちてきたことあった。……後1秒遅かったら、頭を氷の大きい塊が直撃して、大怪我するところだったの。もしかして、それも守護霊が守ってくれたってこと?」
私の話を聞いた柊は、肯定するかのように頷いた。
「それはきっと守護霊か守護霊代行が助けてくれたんだと思うよ。現世の人はみんな守護霊に守られてるんだ。僕たちがやってる事はそういう手助けだよ」
柊は優しい口調で説明してくれるので、守護霊代行の仕事のことが理解できた気がする。少しだけだけど。
「ちなみに……労働時間は?」
「労働時間? 仕事期間が終わるまでずっとだよ」
「ず、ずっと?」
「俺らは肉体があるわけではない。未蘭だって、肉体から飛び出てきてしまった魂なんだよ。要は現世を彷徨っている幽霊と一緒。肉体もないから疲労もしない。現世の労働基準法なんて適用されないよ?」
とんだブラック企業だ。労働基準法が適用されないなんて、ブラック企業以外の何者でもない。高校生の私にだってわかる。
「労働した分、とびきりの報酬はあるよ?」
「報酬?……とてつもなく給料が良いとか?」
「なんと! 現金では買えないものでーす」
現金では買えないもの。そのワードは、好奇心を刺激されるワードだった。
「……それって?」
「一般的な死者のいく先は天国か地獄しかない……。俺たちは無事仕事を終えたら、その二つ以外の道が用意されるんだ」
「別の道?」
「守護霊代行の仕事をこなした者は、仕事の任期を終えると、労働の報酬として来世は勝ち組の人生を選べるんだ」
「か、勝ち組の人生って?」
「芸能人や野球選手、エリート会社員とか世間から勝ち組と言われる親の子供に生まれ変わることを確約される。誰に生まれ変われるか選べるから、1番人気は芸能人や政治家の子供に生まれ変わるのが人気だね」
確かに、芸能人や政治家の子供に生まれ変われたら、お金に困ることは生涯なさそうだ。それだけで勝ち組ルート確定だということも頷ける。
「余計なお世話かもしれないけど……未蘭のことを調べた時にわかったんだけど。家のことで悩んでたんだろ? もし、自分の人生に不満があるなら、勝ち組の人生に生まれ変わるのも、アリだと思わない?」
「……」
柊に言われて胸の奥がぎゅっと痛かった。確かに、私は最近の生活に不満だらけだった。シングルマザーで決して裕福ではない。買いたい服も我慢してるし、化粧品だってプチプラでさえ買うのを躊躇する。今の環境を、勝ち組か負け組かで表すなら、完全に負け組だろう。
いっそのこと勝ち組の人生に生まれ変わったほうが得策かもしれない。そう思っている自分がいることも確かだ。
「答えはすぐにださなくていいよ? ただ、これは僕の仮説だけど、未蘭が死後の世界に迷い込んでしまった理由は、意識的なものが関係してたりするのかなって……死ぬ間際、死んでもいいやって、人生を諦めたりしなかった?」
「あ、」
柊の言葉に、身に覚えがあった。車に轢かれる寸前、生きたいと思う気持ちと、環境の辛さにこのまま死んだ方がいいかもしれないと思ったのも事実だ。考え込む私を気遣って、柊は何も言わず、目尻を下げて優しく微笑んだ。幼い笑顔から私と年齢が変わらないんじゃないかな、と感じる。
「柊って何歳? あ、違うか、死んでるから……何歳だった?」
「俺は19歳! 大学生でしたー」
思っていた年齢よりだいぶ年上だった。童顔で笑うと幼くなるから、高校生かと思った。同い年くらいかと思って、途中からタメ口になっていた。
「ごめんなさい。同い年くらいかと思ってた。あっ、思ってました」
「ははっ、今更、敬語使わなくていいよ。生前もよく若く見られたなあ」
「うん、じゃあタメ口で話すね?」
柊の緩い喋り方は、年齢差を感じないので気を使うことなく話せる。
「まあ、さっきのは俺の仮説だからさ。未蘭のことを調べてもらってるから、どういう状況なのか確認してから決めるといいよ。……現世でいうと俺たちの上司がそろそろくるから、ちょっと待ってて」
「じょ、上司?」
「僕の指導係みたいな人。未蘭も守護霊代行の仕事を引き受けるなら上司になる人」
「上司……」
「大丈夫だって。楓さん、優しいから」
働いたことがない私には、上司という響きが少し怖かった。怯えている私を感じ取ったのか、優しい言葉で励ましてくれた。
「あなたが、柊が連れてきた子?」
背後からいきなり声が聞こえてきたので、びくっと体が震えた。驚きながらも振り向くと、さっきまで誰もいなかったはずの場所に、女性が一人立っていた。
50代くらいに見えるショートカットで小柄な女性だった。彼女はスーツを着ていて、身なりがきちんとしている。
女性の威圧感にたじろいでいると「この人が上司だよ」と横にいる柊がコソコソと小声で教えてくれた。
この人が、上司。表情は険しく、眉間に皺が寄っていて第一印象は怖いと思った。
「は、はい」
「あらあら、まだ子供じゃないの! 事情は把握しているわ。私の方でも調べてみたの。……どうやら仮死状態のようね」
「か、仮死状態? それは、死んでるってことですか?」
「仮死状態は、正式にはまだ身体は生きている。だけど、魂が彷徨って、三途の川を渡って死後の世界に迷い込んでしまったみたいね。ここは死後の世界と呼ばれているけど、厳密に言うと、現世と死後の世界の境界線なの。未蘭ちゃんも見たと思うけど、大きな扉の先が本当の死後の世界よ」
「私の身体は仮死状態で、魂が足を踏み入れてしまったってことですか?」
「かなり珍しいことだけど……」
「そ、それって、やっぱり……そのうち、死ぬってことですか?」
「そうね、今は生きてるけど。魂がこっちに迷い込んでしまってる以上、死はすぐそこまできてるわ」
「……」
「死」その言葉がズンと心に錘のようにのしかかる。死後の世界にいることで、覚悟を決めたはずだったが、生きているかもしれないという期待が生まれて、戻りたいという気持ちが強く主張していた。その願いを打ち砕かれて、死というものが怖くてたまらない。
「未蘭ちゃんは……どうしたい?」
「え、」
「このまま死亡手続きを進めていいの?」
「確かに、車に轢かれるときは、このまま死んでもいいって、思ったんですけど……戻れるなら、死にたくないです」
心臓がバクバクしながら、自分の気持ちを精一杯、言葉にした。緊張で震えた声で伝えた言葉たちは、上手く伝えられたかは分からない。
「実はね、上層部と話してきたの。死亡する予定ではなく、死亡予定者リストに載っていなかったこと。少女を助けて善意に溢れていること。守護霊代行の人出が足りていないこと。さまざまな要因が奇跡的に重なった結果……守護霊代行の仕事を遂行後、未蘭ちゃんは現世に戻れることになったわ」
「ほ、ほ、ほんとうですか?」
「ええ。特例中の特例ね。自分の命をかえりみず、少女を助けた功績が大きかったみたい。柊に聞いたと思うけど、守護霊代行の仕事を終えると、勝ち組の人生が約束されている道を選ぶこともできるわよ? もしも生前の自分の人生に嫌気がさしていたならば、新しい人生という選択肢もあるってことよ?」
「……その話を聞いて、新しい人生もいいのかなあ、なんて思ったりもしました。もっといい環境に産まれたかった。正直、何度も思ったことあります。でも……あの、こんなこと言うのおかしいかもしれないんですけど、分からないんです。どっちを選ぶのが正しいのか」
「おかしいことじゃないわよ? 悩むのも当然。生前の自分に戻るのか、勝ち組と呼ばれる環境で新しい人生を選ぶのか、誰でも悩むわよ! 普通は親を選べないから、まあ、凄い報酬ではあるのよ? ただ、世間的に勝ち組と呼ばれる環境を選んでも、自分が幸せと思うかはまた違ってくるし……思う存分悩めばいいわ」
いくら悩んでも決めきれない私に優しい言葉をかけてくれた。その言葉に、焦っていた気持ちが少し落ち着く。
「ただね、守護霊代行の仕事ができるのは限られた人たちだけなの」
「限られた人たち?」
「生前に、徳を積んだ人、なにか功績を残した人、その中でも、選ばれた人しかなれないのよ。だから、未蘭ちゃんもその権利があるというのは、とても誇らしいことなのよ。生前の行いがよかったのね」
「あ、ありがとうございます。……わ、私、あんあり褒められたことないから、なんだか嬉しいです」
「……うっ、本当に良い子じゃないの……」
楓さんは目を真っ赤に染めて目頭を押さえている。話し出すと最初の怖いという印象が崩れ去った。感情豊かに話すので、本当に私を気にかけてくれているのが伝わってきてなんだか心地よい。