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 家まで一人で帰れるという杏子ちゃんと別れた。
 私と来衣先輩はファミレスの近くにあった人目の少ない公園のベンチに腰掛けた。

 小さな寂れた公園にはベンチがぽつんと置かれている。子供もおらず静寂が広がっていた。

 どちらからも言葉を発せず緊張で心臓がバクバクとうるさい。あまりにも静かで心臓の音が彼に聞こえてしまうのではないかと不安が募る。

 
「来衣先輩、わ、私……言わなきゃいけないことがあります」

「うん?」

 深く深呼吸をした。吸い込んだ息と共に全て吐き出した。

「じ、じつは……私。交通事故にあって、仮死状態なんです。今来衣先輩の目の前にいる私は……魂というか、幽霊なんです。今まで生きてる人のふりしてごめんなさい。来衣先輩を騙すつもりなんてなくて……ただ助けたいと思って、そしたらいつの間にかこんなことに……こんなこと言って信じてもらえないと思うんですけど」

 勇気を振り絞った声は震えていたと思う。
 意を決して伝えた言葉は、まるで現実味のない話だ。普通の人なら信じるはずがない。

 わかっているからこそ、怖くて来衣先輩の顔を見られない。数秒の無言がとてつもなく長く感じる。
 
「知ってたよ」

「ええっ!」

 予想を遥かに上回る言葉に思わず変な声が漏れた。

「し、知ってた……とは?」

 1度の説明では信じてもらえるはずがないと思っていた。信じてもらえるまで何度でも話そうと決意を固めていたんだ。

 しかしいざ帰ってきた言葉は思いもよらない言葉だった。来衣先輩は焦る様子もなく淡々と平然と述べた。

 知ってる?
 私が人間ではないって気づいてたってこと?

 来衣先輩の顔は真剣そのもので、冗談で言っているようにはとても見えなかった。驚きで言葉を失う。

 放心状態の私に向けて彼は言葉を続ける。

 
「……知ってて、知らないフリした」

「そ、そんな……なんで」

「未蘭がそばにいてくれるなら、幽霊でもいいと思ったんだ」

「……っ」

「未蘭がいなくなってしまうのが怖かった。だから、聞くことができなかった」

 頭の中に今日の記憶が鮮明に映し出された。
 思い返してみれば、昼ごはんを決める時も『未蘭は何食べたい?』という聞き方ではなくて『未蘭は何が好き?』という聞き方だった。

 その時は気にならなかったけど、今思えば私が幽霊で食べられないことを知っていたからなのかもしれない。

 他にも思い当たる節がいくつもあった。来衣先輩の言葉の意味を理解すると鼻の奥がツンとする。彼の優しさが嬉しくて胸がジーンとあたたかくなるんだ。

「私は来衣先輩に、知らないフリをさせてしまったんですね……」

「それは違う。俺が勝手にやったことだから」

「……幽霊って分かってて、映画の座席指定券かったんですか?」

「くくっ、気になるところ、そこなの?」

 
 やっぱり。買わなくてもいいのに私のために購入してくれたんだ。彼の優しさが嬉しくてたまらない。

 
「ずっと隠してたのに。なんで言おうと思ったんだ?」

「私がまたいなくなったら、その、し……死にたくなっちゃうんじゃないかと」

「は?」

「じ、自殺はだめです! 私がいなくなったら、悲しいかもしれませんが、それで大切な命を自ら無くすなんて、絶対に後悔します。幽霊の私が言うんだから間違いないです。……死んだら、生きてることの大切さを痛いほど感じました。経験談だから信憑性高いです」

 必死に早口でまくし立てた。
 うまく伝わっただろうか。

 反応が怖くておそるおそる来衣先輩に視線を向けると、ぽかんと口を開けて固まっていた。思っていた反応じゃなくて困惑する。

 
「力説してもらって悪いけど、全く話が見えないんだけど?」

「え、だって、死にたいんですよね?」

「いつ死にたいなんて言ったよ。そりゃ、病気が発覚した時とか、夜に全く見えなくなった時は、考えたこともあったけど。未蘭に出会ってから、前向きになれたんだ。完全に失明したって、堂々と生きてやるけど?」

「……よ、よかったあ」

 安心すると共に体の力が抜けた。
 同時に不安要素が残る。
 自殺じゃないなら、死亡予定者リストに載ってるのには他の理由があるということ?

「あの、理由は言えないんですけど、あと一日。24時間常に一緒にいていいですか?」

「つ、常に? ……お、おう」

 来衣先輩が自死を考えていなくて心の底からホッとした。と同時に死亡予定者リストに載った理由がわからなくなった。来衣先輩は自殺じゃなければ……事故か、他殺?
 絶対に怒ってほしくない思想が頭に浮かぶ。そんな物騒なこと考えたくない。

 ずっと隠していた自分が幽霊だと告げられたことでつかえが取れたように心が軽くなった。ただ来衣先輩の守護霊代行をしている理由を忘れてはいけない。

 まだ彼がこれから「死ぬ」という事実は変えられていないのだから。

「あー、ちょっと俺行くところあるから。先に帰っててくれる? 杏子が待ってるから」

「え、私も行きますよ?」

 私は来衣先輩を守るのが仕事だ。彼に襲い掛かる危険を排除しなければならない。

「あー、悪いんだけど、杏子のことが心配なんだよ。しっかりしてるけど小学生だから。俺もすぐ帰るから、先に杏子のところにいてくれると助かるんだ」

 彼の申し出を断ることが出来なかった。来衣先輩のことも心配だが、確かに小学生の杏子ちゃんを1人にしているのは心配だ。

 来衣先輩の申し出を頷いて、彼と別れた。
 
 来衣先輩の言う通り一足お先に最上家に帰宅する。瞳を潤ませて、今にも泣き出しそうな杏子ちゃんが待っていてくれた。

「よかったあ。なんかっ、いろいろ心配しちゃって……。未蘭さんに真実を告げられたお兄ちゃんが、良くないことを考えちゃうかも……って」

「杏子ちゃん、ごめんね、ありがとう。来衣先輩の原因は自殺じゃなかったの。他の原因があるなら、私が絶対に阻止するからね!」

「……なんか、未蘭さん。ちょっと違う」

「え、なにそれ」

「なんか、頼りなかったのに、……今は頼りになる感じ?」

「そう? それなら嬉しいな。来衣先輩は幽霊の私でも受け入れてくれた。そんな彼を絶対に守りたいんだ」

「……未蘭さんっ。ありがとうっ」

 杏子ちゃんの声は弱々しく今にも消えそうだった。可愛らしい大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれていた。

「あ、杏子ちゃん! 大丈夫だから。ね?」

 杏子ちゃんは口を大きく開けて悲痛の涙を流した。いくら話し方が大人びていてもまだ小学生だ。

 大好きなお兄ちゃんが死ぬかもしれないと言われて平気なはずがない。きっとたくさん我慢していたんだ。近くにいたはずなのに杏子ちゃんの辛さを気づかなかったことに胸が痛んだ。泣きじゃくる彼女をぎゅっと抱きしめる。




「み、未蘭さん! もういいから! 杏子、子供じゃない!」


 しばらく抱き締めると杏子ちゃんは、落ち着いたようでいつもの口調に戻っていた。